韓国ミュージカル『ファンレター』の世界③
隠れた文字
1番始めにも書いたが
「この作品を日本人が理解できるのか。」
これが日本公演が決まった時に韓国のファンから出た意見だ。
こうの史代に「夕凪の街 桜の国」という漫画がある。簡単な内容はこうだ。
主人公の七波は28歳。
母親は小学生の頃に亡くなった。
弟は最近恋人の親から結婚を
反対されているらしい。
これだけをみるとホームドラマだ。
どこにでもあるような家族と当たり前にある日常の物語。
だが私は今敢えて物語の情報を一つ言っていない。実は主人公は被爆2世である。
と言うと自然と以下のように言葉が浮かび上がってくるのではないだろうか。
主人公の七波は【被爆2世】の28歳。
母親は小学生の頃に【原爆症により】亡くなった。
弟は最近恋人の親から【被爆2世を理由に】結婚を反対されているらしい。
こうなると物語の感じ取り方は全く違うものになる。事実この漫画には具体的な原爆の描写や被害は描かれていない。
だが小さい頃から教科書や夏のテレビでヒロシマに触れてきた私たちは一言一句言葉にしなくてもなんとなく【 】の中を読み取ることが出来る。そしてその主人公たちの日常に溶け込んだ苦しみをほんの少しだが感じる事ができる。
だがもし「ヒロシマ」という知識がない国の人がこの漫画を読んだら上のような【 】の抜けた物語として読んでしまうかもしれない。芸術の受け取り方は自由だがなんとなくそれでいいのか…と疑問が湧いてしまうだろう。
私は歴史に詳しくないし自分の考えもない薄っぺらい人間だけど、この作品を何度も何度も見たり韓国のファンとこの作品について話したりするうちに『ファンレター』も同じなのではないかと思うようになった。
セフンは「ヒカル」と言う名前で
ファンレターを送った。
ヘジンは小説に込めていた悲しみに
気づいてくれる人に出会い恋をした。
『ファンレター』の物語展開はこれで十分だ。
文豪を取り巻くラブストーリー。はたまた、1人の青年の苦悩を描く成長ストーリー。現代風に言えば「成功したオタク」の物語とも言える。
私がそうだったように特に歴史的、文学的知識がなくてもこのミュージカルを楽しむことができる。
だがこの時代を知っている人がこの作品を見ると
セフンは【文を書いたり手紙を送る時怪しまれないように】
「ヒカル」と言う【日本人の】名前で
ファンレターを送った。
ヘジンは【検閲に引っかからないように
細心の注意を払い書いた】
小説に込めていた悲しみに
気づいてくれる人に出会い恋をした。
描かれていない【 】が見えるだけで急に見方は変わってくる。うまくは言えないが切なさが増したような気がする。
この作品は韓国公演の時ですら「歴史を美化している」だとか「主人公が親日ではないか」などの意見があった。とてもいい作品なので日本公演を否定されることは悲しいが、様々な意見が現れるのは過激でもなんでもないと私は思ってしまった。
芸術は全てを語ると面白くない。
私はこの作品を見る上で全ての人が予習していく必要があるとも思わない。
だが少しでもそういう背景がある作品だと知ってしまった以上歴史を無視して笑って見るわけにもいかなくなってしまった気がする。
この作品を大好きだといえば、韓国人からは嫌な顔をされる気がして、日本人からも考えの偏った人だと思われる気がして、いつからか、なんとなく私の居場所がなくなってしまった。
だから、今回日本公演が決まった時なんともいえない気持ちになった。嬉しいのに、嬉しいといえないような。それでもやっぱり、日本語で誰かとこの作品を語れる日が来るとわかって少し嬉しかったように思う。
愛される作品
私がここであげたのは作品の魅力のほんの少しだ。
私はこの作品が大好きだ。
この作品で人生が変わった。
この作品に出会った時私はヒカルのたった一言しか聞き取れないレベルの韓国語力だった。内容なんてこれっぽっちも分からなかった。
だが美しいセットと演出、変わりゆくヒカルの衣装、何より韓国の俳優達の熱演など視覚効果を通しどんどん好きになっていった。
好きで好きでたまらなく一生懸命韓国語を勉強し、時代背景やモチーフの作品も調べた。時に電車で2時間かけて金裕貞の原書を読みに行ったりもした。台本の注釈を含め全ての翻訳を自分で完成させたときのあの達成感は忘れられない。
だが正直この作品を『楽しむ』という言葉を使って愛していいのかわからなくなる時もある。
私は以前幸運にもこの『ファンレター』を演じた韓国の俳優と話をできる機会を貰った。
突然のことに興奮しながらもファンレターがいかに好きかを伝え、この作品がきっかけで李箱の作品集を買った、と買ったばかりの本を見せた。するとにこやかだった俳優の顔が少し曇った。
その後すぐ笑顔に戻り「あまりの情熱に驚いて…。この作品を好きになってくれてありがとう」と言ってくれたが私はやってしまった、と思った。
確かに海外からやって来た初めましてのちんちくりんが拙い韓国語でばーーーっと早口のオタク語りを始めたら怖い。しかも道のど真ん中で。怖いにも程がある。
でもきっとあの時大好きな俳優の顔が曇ったのはそういうことじゃない気がする。日本人の私が李箱の本を韓国の道の真ん中で出すことの意味を考えてしまった。
*○*○*○*○*○*
それでもやっぱりこの作品は面白い。
最後に、歴史的背景や文学作品を除き私がこの『ファンレター』が大好きな理由を3つ述べようと思う。
ひとつめ。
この物語は現代においても
あり得るかもしれないこと。
セフンは理想の自分を用いて憧れの人に近づいたため苦悩することになる。
そしてヘジンはヒカルから嫌われないよう無理をした。
現代においても私たちは推しにSNSという本名ではない形で愛を伝える。それにより時に愛の伝え方を間違える。
そしてアイドルもまたどこかファンに依存し、ファンが求める自分であろうと葛藤する。「ヒカル」たちに翻弄されているのだ。
ふたつめ。
ブロマンス
「結核×文豪」が好きなファンは少なくないのではないだろうか。
ヘジンとイユンが咳き込みながら冗談を言うシーンが一定数のオタクに刺さるのを私は知っている。言葉が合ってるかは分からないが、ヘジンの喀血シーンはとても美しく好きだ。
そしてはっきりとは言葉にはされないセフンの尊敬を超えた恋心。
憧れの先生が自分に跪いて怪我の手当てをしてくれるシーンは見てるこちらも緊張とときめきて顔が赤くなってしまうほどだ。(ここの演出どうなるかな…)
そしてみっつめ。
ヒカル。
ヒカルは演劇的表現のひとつだ。ヒカルはこの世に存在しない。セフンにしか見えない。セフンの代わりにヘジンに触れ、愛を囁き、抱きしめる。
そしてヘジンはその見えない存在に翻弄されてゆく。
キャストの中でも紅一点でその名の通り主人公達に光を与えるその存在。そして光には影が付きまとう。
舞台ならではのヒカルと言う存在や演出はファンレターが人気作品である大きな理由だと思う。
見にいく予定がない人や韓国語がわからない人もYouTubeで「팬레터 뮤지컬」(ファンレター ミュージカル)など検索してみて欲しい。
韓国のミュージカルは多くの劇中歌が映像として公式からアップされている。
公演回数の多い『ファンレター』は稽古シーンを含めるとほとんどの劇中歌をYouTubeで見ることができる。(ここだけの話YouTubeにおとという名前で字幕動画あげています。良ければ)
きっとその美しさに目を奪われるだろう。
『ファンレター』彼らのその後
劇中「七人会」のメンバーは声高らかにこう歌う。
カーテンコールでも歌われた『ファンレター』を代表する劇中歌だ。
だがしかしこの後現実の「九人会」は春を見ることなく散ってゆく。
先述した通りヘジンとイユンのモデルである金裕貞と李箱は1937年に結核により他界。
キムスナムのモデルの金起林は朝鮮戦争の時北朝鮮に拉致され没年未詳、キムファンテも35歳でこの世を去った。
セフンはどうなったのだろう。
春を失ったセフンはそのあとどう生きたのだろうか。
2023年11月に李箱の訳書が出た。
李箱の作品は日本では手に入りにくかった上、こんなにも解説がついた本が出ると思ってなくてとても嬉しかった。
李箱をモデルとしたイユンは本当にキャストによって全く違う顔をする。渋いイユンもいればかなりひょうきんなイユンもいる。
俳優の演技などミュージカルそのものを楽しみたい人にはこの本は正直勧めないが、歴史や作品の背景を予習してから観劇したい人はぜひ手に取ってほしい。私は観劇後の購読がちょうどいいかなと思う。
評論家でも専門家でもない私の長い長い文を読んでくださりありがとうございます。
もし良ければここかXにコメントお願いします。
これを読んでのことでも、観劇後のことでも、感じたこと、好きだった演出・台詞……などなど色んな方のお話が聞いてみたいです。
やっと!やっと!!!!翻訳機を使わず、辞書を使わず!!!ファンレターのお話を誰かとできる日が来て嬉しいんです…
皆さんにとってファンレターが思い出の一作となりますように。