見出し画像

私は愛するものを人と見做す

わたしには少し変わった価値観があります。

それは人間と呼ばれるものを

  • 愛するものを「人間」

  • それ以外を動く何か

だと思い込むことです。

ブラックボックスモデルだと思い込んでいます。

そうしないと自我が保てないからです。

過去にこれで人間不信になっているからです。

この分類をしていることに気がついたのは、1人で地元愛媛で生活していたときでした。

あまりにも暇で、ネットで色々な人とお話をしていました。

わたしはそれなりに愛想良く喋れるので友達はたくさんできた気がします。

ただ、人間と喋っている気が全くしないのです。

人間としての温かみを全く感じないのです。

ここで葛藤を起こす矛盾が起き、私は潰れます。

  • 人間と喋りたい

  • 「人間」が怖い

「人間」が怖いというのは、過去の経験から、その人に何かあるとわたしへのダメージが大きいことを知っているからです。

「人間」が増えれば増えるほど、わたしにダメージが蓄積する可能性は上がります。

だからわたしは積極的に「人間」を「人間」でなくします。つまり、縁を切ります。切って切って最小限にします。

関わりはあったとしても、「人間」だとは思わないです。コミュニケーションの取れる何かです。

私のコミュニティ参加は圧倒的に質重視です。

これが私のリスク最適の結論ですが、この数少ない「人間」に何かが起こると私はどうなってしまうのか。

それはまだ分からないです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?