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添い寝ASMRにハマってるから始まる寂しさの考察

最近添い寝ASMR配信にハマってるんですよね。シチュボっぽくないやつ。自然体なやつ。なんか落ち着くんですよね。何ででしょうね。

音声を聞きながら寝始めた頃

Vtuberの配信を見ながら寝る

ある日からVtuberの配信の配信を見て寝るということをしていました。雑談配信からゲーム配信まで。特にアルスアルマルさん、葉加瀬冬雪さん、葉山舞鈴さんをよく見ていた気がします。わいわいとした空気の中で眠りにつくのが好きだったんですよね。

突然スマホから聞こえてくる叫び声で起きてしまうのでやめましたが。

来栖夏目さんのASMRにハマる

雑談配信などを色々と巡っていったのですが、一つ困った事象があり、それはスパチャ読みになると何故か起きるというw。いや困ったな、と思った時に出会ったのが来栖夏目さんのASMRでした。ASMR自体、僕はあまり好みでなく、音声によってでもリアルを少しでも感じるのが嫌だった僕は避けてました。

ただこれは手のひら返しかもしれませんが、来栖夏目さんのASMRは自然体で(シチュボでない)まるで雑談をしているかのような感じがしました。

存在がそこにあるという安心感からか、結構長い間ハマることになります。

先斗寧さんの雑談配信

先斗寧さんというVtuberがデビューし、彼女の配信を見に行くと、明らかに僕の第二の故郷、神戸の方言が聞こえました。全くそのままでした。方言というものは恐ろしくて、それを聞くだけでかなり心が落ち着きます。先斗寧さんのマイクラ配信については、かなりの回数、聴きながら寝ました。

大阪や京都の関西弁には何も感じなかったので、同じ土地出身の人間の言葉を聞けるということがこんなにも安心することだと思っていませんでした。 

一周回って自然体のASMR配信へ

今は寝る前は自然体なASMR配信を聴いています。これまで紹介したのはにじさんじのライバーさんが多かったですがイル・フローラという方のものを聞いています。

そもそもシチュボがそんなに好きでないので、「彼女が〜」とか「お姉さんが〜」とかいうASMRは結構無理です。イル・フローラさんはバーチャルメイドであり、その点かなり自然体で中立的な配信をしています。

他には前も聞いていた来栖夏目さん、またにじさんじのラトナ・プティさんのものを聞いています。一貫して自然体であるということを中心に選んでいます。

音声コンテンツから見る考察

距離感が近い方が好み

シチュボを好まない理由は次の二つがあります

  • 共感性羞恥

  • 入り込めない

何かを演じられるということにかなり共感性羞恥を覚えてしまう人間なので、シチュボはかなりきついです。また、そもそも僕に姉はいないので、なかなか入り込めないんですよね。架空の世界に飛び込むことができない。逆を返せば、そのようなシチュエーションを構築しなくとも楽しめるコンテンツに関しては否定的でないです。その結果が自然体のASMRまたは配信だと思っています。

そしてシチュボに関しては上に述べた通り、「入り込む」という動作が必要なため、現実と乖離した世界に移る必要があります。これに対し

  • 自然体なASMRはライバーの配信の延長線として楽しめ、さらに距離が近く感じる。

  • 同じ方言の方の配信は心理的にかなり近いものがある

ため、入り込むという動作を行わなくても、そもそもの心の距離が近いため、自然と心が落ち着く構造になっています。

この点が睡眠時に聴くのに適している理由だと考えられます。

なぜ、睡眠時に更なる安心感を求めるのか?

そもそも何故このようなものを聴かないと寝れないのか、ということについてですが、これは1つの仮説として、僕が寂しがり屋である、かつ、ゆっくり寝たいという点があげられます。

寂しがり屋である

僕は1人でいるのがかなり無理なタイプで、それも、物理的な距離をかなり求めるタイプです。そのためASMRではバイノーラルによる、そこにいるかと錯覚させるような仕組みにより物理的距離を、同じ方言ではまるで地元に帰ってきたかのような感覚を感じることで、その寂しさを埋めているのだと思います。

ゆっくり寝たい

寝落ち通話的なのではダメなのか?という疑問が浮かび上がりますが、普通にゆっくり寝たいんですよね。(唐突な普通の睡眠欲)寝る直前は頭を使いたくないので会話したくないし、寝るまでに目を閉じてから1時間ぐらいかかるので、能動的に脳を使うのは向いてないのかなと。

まぁそもそもそんなことをする相手がいるのかと言われれば怪しいですが。

寂しさについて

音声コンテンツからの考察について、寝る前以外はどう寂しさを埋めてるのか?というとVtuberさんの配信、楽曲を聴く、友達と遊ぶ、会社のもくもく会に参加するなどしています。しかしどれも今の立場では物理的距離を縮めるのは難しいもの。

衝動としてオープンなSNSを始めることがありますが、過去の経験的にろくなことが起きないので、最近は自重できるようになっている気がします。

僕の推しが引退して以来、かなりこの寂しさみたいなものは感じていましたが、なんかどこかで見守ってくれてんのかな、と思うと少し紛れる一方、元気にしてんのかな……という心配も感じるようになりました。

なかなかこの寂しさを埋めるという行為は、一筋縄では行かないなと、感じた瞬間でした。

話せれば誰でもいいわけじゃないですし。そもそもがストレスを抱えてはいけない体なので尚更。

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