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【コラム】憎たらしい祖父/尊敬する祖父 

 


当時は息が詰まりそうでした

 
 老人の介護・介助というのは困難の連続です。
 特に、気が強くて短い人が認知症になると、正直に言って手に負えません。

 そう、うちの祖父です。


我々の将来にだってあり得ます


 俺なんかは、トイレ掃除、介護・介助の手助けぐらいしかしていませんでしたが、24時間365日、なにかとあるので、安穏としている暇がないのは堪えました。

 憎たらしいなあ、と幾度思ったことか。
 実際、口喧嘩もしました。

 でも、祖父の脳は加齢に伴って衰えただけです。
 筋肉や骨と同じことが脳にも起こっているだけです。

祖父の”偉業”


 まがりなりにも祖父は国家公務員として勤め上げ、定年後は70歳まで個人の事務所を構えて働いていました。

 公務員時代は今でいうパワハラだのモラハラだのが当たり前にはびこっていたと思います。
 そんななか一生懸命働いて、家族を養ったのは祖父です。
 子育てや家事などは祖母が担当したそうですが、祖父も祖父で子供に無関心ではありませんでした。


雷親父の流儀


 これは後々聞いてびっくりしたんですが、祖父は雷親父だったとはいえ、ゲンコツひとつ食らわせることなく口で叱っていたんだとか。
 昭和中期の話ですよ?
 体罰が当たり前な時代に、ずいぶん未来を先取りしたと思います。

 ただ、祖父がせん妄状態になるとなかなか手に負えないんです😅
 あの剣幕でよく人を殴らないよな、というぐらいでした。

 しかし、祖父が往年の雷親父に戻っても、自分の子供たち(父のきょうだい)にこぶしをふりかざす素振りも見せませんでした。
 腕力にモノを言わせない人だったんだなあ、とつくづく思います。


そしていま


 現在、祖父は認知症病棟に入っています。
 老健などでは手に負えないそうです。

 また、進行が遅いながらもがんを患っていますので、そう長くないのは確実です。

 だからこそ、祖母と三人きょうだいを養った祖父の「偉業」はちゃんと記憶にも記録にも残そうと思います。
 この記事はそのきっかけ、という一面もあります。 
 


 珍しくまじめに終わろうと思います😌

 最後までお読みいただきありがとうございました、またお越しくださいませ😊