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高校の美術の先生

高校3年の時、クラスでうまくやれていなかった。僕に限ったことじゃないというのは言い訳でしかないが、実際うまくやれてないと思う子が何人もいた。青年期の不安定がぶつかりまくって、担任にはすごく心配をかけたクラスだったと思う。

ここで書くのは、そんな時に居場所をわけてくれた、担任じゃない先生のこと。

先生の顔はもう思い出せない、声も淡い記憶だ。
色白ではなかったようだとか、50代と知ってからよく見たら目尻に皺が刻まれていた気がするとか。こんなに忘れるなんてと自分に呆れる。
当時はやりの、リンゴダイエットをされていた。そんなの必要なさそうな体つきだった。

受験のプレッシャーとか、人間関係とか(高校最後の年の行事だから全力で!みたいな校風だったので、なかなかエグかった)、間違いなくストレスがかかっていて、だんだんと息が苦しくなった。比喩じゃなく、喉に何かがつっかえているみたいで。食欲も落ちて、4月から夏休みまでに4キロ痩せた。


教室にいたくなかった、それだけの理由で、昼休みに弁当箱を抱えて美術室に向かった。
直前に授業がなかったのか、薄暗い部屋にそっと入る。入り口近くの席に座っていると、先生が隣の準備室から出てきた。片手にはいつものリンゴがあった。
「電気ぐらい点けなよ」
スイッチを押して、どうして来たのかも問わずに、準備室に戻った。

それからの僕は、毎日のように美術室に通った。電気を自分で点けたことは、ほとんどなかった。ささやかに、でも確かに甘え続けた。
ここにいていい、ということの婉曲な表現かのように思って、電気のスイッチを押してくれる一手間に縋っていた。

美術室でなら多少は楽に息ができたし、他の子と机を寄せて弁当を食べるとかのごちゃごちゃがないのも救いだった。
弁当を食べ、世界史の用語集を広げるのが常で、授業のために机やイーゼルの配置が変わる日には、隅っこで先生を見ていた。
たまに、美術部員のために買ったというお菓子をもらった。

甘えすぎたのかもしれない、と今なら思うけれど、必要な場所だったんだと主張したくもなる。
過去に戻れるとして絶対戻りたくない時期に差し込んだ淡い光のような場所と、そこにいた先生のお話。

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