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雑記、7月26日

タイ料理の店に行ってきた


駅からほど近く(なおその駅までがこの暑さで歩ける距離とは言い難い)、以前にも行ったことのあるタイ料理店に行って、トムカーガイを食べた。

トムカーガイ

トムヤムクンが「煮る、混ぜる、エビ」らしいから、「トム」がつくということは煮てあるのか。まあ見た目も煮ていそうである(その辺は調べたら出てくるだろうよと思いつつ、本当に考えたことを書いておくだけ)。

「ちょっと辛い」と店員さんが言う通り。ちょっと辛い。
だが、もちろんこれは辛いだけではない。ココナッツミルクのまろやかさもあり、セロリとかパクチーの味もする。エリンギらしいものも入っていた。異様に硬いというか筋の強い、茗荷かネギかみたいな見た目をした野菜が入っていて、かなり咀嚼して覚悟を決めて飲み込んだが、それ以外には文句のつけどころがなく美味しい。

香味野菜が好き、エスニックが好きな人が近所に来ることがあったらおすすめしたい。タイビールを飲むかどうか一瞬迷ったが、そのあとの用事を考慮してやめた。
デザートのタピオカにコーンが入っていて、若干塩が入っているっぽい味もして面白かった。

靴下

ここ3週間くらい迷っていたが、とうとう買ってきた。ツイッターでアンケートまでしたのに、それに逆らっている。
たんぽぽとコーヒー。それぞれ左右違うデザインだ。

靴下


暑すぎないか

あまりに暑いので、日傘の代わりに折りたたみの雨傘をさして歩いた。畳んだ時の傘の表面が熱すぎる。髪の毛がこんな温度になったら怖いくらいだ。足も焼かれるように暑かったので、マラソンランナーみたいに水筒に入っていた水をかけて冷やした。手元が狂って、かなりアスファルトに持って行かれて悲しかった。

今日というか、最近の暑さだけ考えたら、前述の靴下よりはちゃんとした日傘にお金を使うべきじゃないかと思う。靴下が薄かろうが穴があろうが、死ぬことはないはず。予想外に靴を脱ぐ必要に迫られて恥をかくことはあるかもしれないが。

まあ、ここの選択も当然場面によるだろう。靴下は靴下以外で代用がきかなさそうだ。日陰が欲しいだけなら傘の形をとっていなくても、最悪ハンカチとか広げるという手もあるし。

スーツを着て砂漠から生還する人のアニメを見たことがあるが、僕の住んでいるところはもちろん砂漠ではない。露出していたって肌が日焼けでまずいことになりそうだし、覆っていても熱がこもったらそれはまずい。社会の制約とか自分の身体との兼ね合いとか、考えるべきことが多すぎる。何を着ればいいんだ。


話が逸れるが、数年前、ちょっと標高の高いところでキャンプをして戻ってくる途中、サービスエリアでアイスコーヒーを買った。キャンプ中は基本的に冷たい食べ物など食べないので、まだ全然自宅には辿り着いていないのに結構「戻ってきた」感じがした。

「人が外に立っていていい気温じゃないですよコレ」なんて言って飲んだコーヒーは美味かった。

(※蛇足。お茶とか他のものも飲んで、水分は補給して無事に今も生きているのでご安心ください)


本を読む

マルセルに興味を持ったので、中公バックスの『ヤスパース・マルセル』を買った。安い中古である。

なんの前提知識もなく、いきなり『存在と所有』を開く。この文章が日記とは、違う世界の人間としか思えない。正直に言う、こういう哲学書の邦訳をちゃんと飲み込もうとするのが多分ここ数年なかった。わからないところがあまりに多くて、存在とか身体とか、ざるみたいな頭に流し込んで、大部分落っこちている気持ちになっている。

「他者について考えるとき、僕らはその人と共にある状態になる。空間的な隔たりが否定される。死者についてもそれは同じ」という内容と読み取ったところがある。一旦目を通しただけの僕なりの言葉では上のように表現できるかもしれないとは思うが、大幅に間違っていたらごめんなさい。

時間も空間も、多分社会的立場も頭の出来とかも、何もかもにとんでもない距離のあるマルセルの書いた言葉で、もちろん思い浮かべる「他者」も違うはずで、だけど、突然そんなことが書かれていたら心が暖かくなる。僕が文章を読みたい理由は、こういうのに遭遇したいからだと言って良い。


じゃあなんで数年まともに読書していないんですかとは自分でも思うけれど、大学を出てすぐくらい、唯々疲弊していて、どんなに文字を読んでも全然頭に残らないような感覚に襲われたことがある。それが偶然なのかどうか、仕事で一気に大量の文章を読解して飲み込むことが必要になった頃のことである。
小さな皿に大鍋のスープを注ぎ続けているような気持ちになって辛い、というようなことを、大体なんでも打ち明けられるという感覚を持っていた人(持っていた、と書いたが、今でも彼のことは本当に信頼している。最近では相手が忙しいかどうかに配慮するゆとりがこちらに生まれて、唐突にわけのわからない薄暗くじめじめした長文を送るのは避けようかなとか考えているくらい)にメールで送った。どんな返答があったかすら覚えていないから、我ながら薄情だけれど。

その頃に比べれば、間違いなく僕は元気だ。

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