舞台「Arcana Shadow」備忘録ⅱ

◆イメージシーン

私を呼んでる 遥か遠い場所で
足跡並べた あの日の数え唄ーーーー

これは志方あきこさんの『まほろば』という曲の一節だ。舞台が暗転し、果てなく蒼い空を思い起こさせるような旋律と共にその世界観は始まる。
舞台の中央で寝そべって笑い合う道長と伊周。肩を組んで何処か遠くを指差して夢を語り合うーー、そんな二人が次の瞬間には互いに刃を向け合う。
初見では「この二人に幼い頃からの交流があった史実なんてあったかな…」などと考えていたが、二度目に見た瞬間、琴線を鷲掴みにされた。もう触れるどころの話ではない。あれは平安の世の二人ではなく、藤兄弟なのだ。

見慣れている方はご存知かと思うが、西田氏の舞台においてイメージシーンは盛大なネタバレである。素直にオープニングとして楽しむのも良いが、この時点で人物同士の立ち位置や表情、頷き合う仕草などをよく観察しておくと、ある程度は先の展開を予想することができる。

・道長と伊周には深い因縁があること
・致頼と伊周に繋がりがあること
・十六夜童子がかつて多くの部下を統べる立場の何者かだったであろうこと
・そこに深く望月が関わっていること
・恐らくは過去を生きたのであろう彼らと道満に繋がりがあること

実際に今作においても、すぐに思い出せるだけでこれだけのことが分かる仕掛けになっている。
だから物語の全容を知ってから冒頭シーンを観ると、まだオープニングであるにも関わらず涙腺が崩壊したりするのである。今回などまさにそのパターンで、千秋楽では序盤で多くの啜り泣きを聞いた。
しかし。しかしだ。今回の舞台で最も恨めしい気持ちになったのは、かの箇所で使われた曲のタイトルが〝まほろば〟であると知った瞬間である。

まほろばとは、元は古事記に出てくる言葉で、日本武尊(やまとたけるのみこと)がもう帰れぬ国を偲んだとされる歌の一節なのである。

「倭(やまと)は国の真秀(まほ)ろば 畳づく青垣 山籠れる倭うるわし」

さくっと意訳すると「大和は本当に良い国だ。美しい自然に恵まれ、重なり合う山々に囲まれている、この国こそが理想郷だと思う」という歌である。
どうだろう、頭を抱えたくならないだろうか。その時の私の心情をそのままお伝えするなら「やってくれたな西田さん!!!!」である。
何処か遠く懐かしい、もう戻らぬ思い出を想起させる歌詞と旋律に合わせて、最高のダイジェストを見せられる地獄。ありがとうございます!

◆物語の全体像

ということで、ここで一度、物語の全容を整理してみようと思う。
以前の感想でも物語の時間軸は二つあると書いたが、主軸となるのは平安の世、藤原道長の治世になる少し前の話である。しかし因縁の発端となる出来事は、文献が殆ど残っていないため歴史的に空白の354年間とされる大和王朝時代に起こっている。十六夜童子の前身である倭(漢字が分からないので敢えてこう書き分けることにする)を日本武尊と考えてしまうと少々解釈に悩むところもあるので

・当時の豪族を統率し、大和という一つの国に纏め上げようとした一族の長が倭
・その倭と協調関係にあり、共に国を作ろうとしていたのが藤の一族

くらいのニュアンスで私は捉えている。
そして藤の一族の長・藤の魂を持つのが平安の世における藤原道長という、何ともファンタジックな設定なのである。さらにバトルのメインは陰陽術。体幹を刀が追い掛ける殺陣は、さながら優美な舞のよう。外形はこれでもかというくらい少年漫画的でありながら、その中核にあるのは人々が確かに生きた軌跡であり、時空を超えて届く祈りが季節の終わりと始まりを告げるーー

この辺まで考えたところで、西田氏の脚本が好きな人たちの気持ちが何となく分かってきた気がする。
当然のことながら、作品の中には脚本家の美学が織り込まれる。私がきちんと観た西田氏のオリジナル脚本は『Sin of Sleeping Snow』『瞑るおおかみ黒き鴨』『PHANTOM WORDS』『MOTHER LAND』そして今回の『Arcana Shadow』のみであるが、どの作品に関しても共通して言えるのは〝明確な悪は何処にもいない〟ということである。全ての物語は平しく事象として描かれ、そこに善悪の高低差が無い。だから観客側としては、自らの推し(俳優的な意味でも、役名的な意味でも)の視点から好きに解釈すれば良い。何といっても観る側の自由度が高いのだ。
それから、きっと西田氏は美しいモチーフが好きなのだと思う。今作に出てくるキーワードだって、冬の音、世界の始まり、月の因果…私にはきらきらと輝く宝石のように思える。
この辺の好みまで被ってしまっていると、例えどんなに上演時間が延びて尻が犠牲になろうとも、足繁く現地に通ってしまうことになるのだろう。

閑話休題、話を戻そう。
空白の354年間、そこには国を作ろうとした男たちがいた。最も勢力を誇ったのが大和一族、第二勢力が藤の一族であった。(途中、蘇我・物部という姓も出てくるには出てくるが、会話の一部でしかないので敢えてのスルーで行こうと思う)
それぞれの長であった倭と藤は協調関係にあり、また心から信頼し合う友でもあった。しかし藤の一族の裏切りによって戦が起こり、美しかった大地は燃えてしまう。

このタイミングで居合わせるのが、蘆屋道満なのである。後の項で詳しく触れていこうと思うので今はここまでの記述に止めるが、道満はここで後の世に魂を置き換えた本人たちですら忘れてしまっている事実を目撃している。このことが物語の後半まで伏せられているため、観客側からは道満の目的が見えずに翻弄される訳だが、道満自身は已むを得ない形で眠らせるしかなかった因縁に時を超えて花を咲かせるためにただ一人闘っていたように思う。

大和王朝時代の最期において、倭とその部下たちは道満の力を借りて永き眠りにつくが、天下を統べる者の象徴とされる〝守天の刀〟は藤の一族の手に渡り、後の藤原氏に引き継がれることになる。この守天の刀についてはおそらく三種の神器の一つである天叢雲剣に相当するものではないかと考えられるが、それを藤原氏が所持していたとすれば道長が「そんなものを何故藤原が所持しているのか」という疑問を抱くのも至極当然なので納得がいく。

こうして誰もが知る平安時代の全盛期、そこに至るまでの過程が描かれるのだ。かつての藤一族と大和一族の戦いは、平安の世において人と妖の戦いに置き換えられる。
そして、それを見届けるために顕現したのが〝始まりの式神〟望月ということになる。彼女は藤と倭が二人で植えた花の化身であり、永遠の祈りの象徴である。

空白の354年間に眠る真実。
再び、花は咲くか。

Arcana Shadowの主軸はまさにここにあり、我々はまさにその圧倒的なまでに緻密かつ鮮やかな光景を目にしたのである。

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え、まだ推しの演技に触れられないとか嘘でしょ。
今日明日と課題に追われることになるので、続きが書けるのは来週…でしょうか。それではまた。

つづく

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