舞台「Arcana Shadow」備忘録ⅲ

◆賀茂忠行と安倍晴明

さて、ようやく本編の話に入る。
ある意味では時を超えた走馬灯のようでもあるオープニングが終わると、舞台上は途端に物々しくなる。
それまではそれがいつの時代であるのか、どこであるのかをおそらく敢えて不明瞭にされていたのが、明らかに朝廷であると分かる場所に賀茂忠行が引っ立てられてくるのである。

何人もの兵に取り囲まれる中で、差し入れだと林檎をひとつ渡され、それは有難いと齧り付く忠行。よく見れば髪はボサボサ、着物も薄汚れて憔悴している様子から、今し方捕えられたのではなく牢から出されてきたのであろうということが伺える。
ここで上手から安倍晴明が初登場する。

安倍晴明といえば、今回は上演期間中に驚きのキャスト変更があった。僅か一日半の稽古で松島勇之助氏から急遽、村田洋二郎氏に引き継がれたのである。
千秋楽の挨拶の際、ベテラン中のベテランである村田氏が一言、「やっと終わったので僕は寝ます!」と若干フラフラしながら述べられたことから、それがどれほどのプレッシャーを伴うことだったのかは推して知るべしといったところだ。
私は運良く両者の公演を観ることが出来のだが、どちらの晴明もとても良かった。安倍晴明といえば稀代の天才として描かれることが多く、映画や舞台作品においては総じて主人公であるイメージが強いが、Arcana Shadowでは主演・蘆屋道満のライバルとして描かれる。今作における道満は晴明と比肩する天才でありながら、その心根は優しく繊細な青年である。これに対して、晴明は何を考えているのか分からず、ただ静かにそこにあるといった佇まいを終始崩すことはない。道満が闇を作り出すのであれば晴明は光を、また、動と静という対局を担う難しい役所であったように思う。

ところで、東洋哲学において定義される陰陽の性質のひとつに〝陰陽互根〟というものがある。これは陰と陽の依存関係を示すもので、陽が存在しなければ陰は存在しようもなく、両者の存在は互い無くしては成り立たないという考え方である。今作におけるところの道満と晴明の関係がまさにこれにあたり、時にはどちらかの力が勝り、それが極まっては陰陽が逆転するという、両者の術の押し引きによって物語が進んでいく点も興味深いところである。

二人の晴明は、静雅でありながら圧倒的な存在感を放つという意味ではどちらの在り方も共通していた。
村田氏の晴明はまさにその境地にあり、どこか危うい道満を兄弟子のような立場から見守っていたが、松島氏の晴明は同僚でありライバル、自らが持ち得なかった才能への嫉妬を垣間見せながらも、芯が定まらない道満を心配し、さりとて寄り添うことも出来ず…という関係性の揺らぎが実に巧妙だったように思う。しかも、両者とも前面に押し出される演技ではなく、晴明が反射的に十六夜童子の攻撃から道満を庇うシーンや、最後の最後に晴明が「私はお前のそういうところが嫌いだった」と告げるシーンで初めてそれが示唆されるのだ。それまで己の本心を全く語ることのなかった晴明が〝嫌い〟というある意味では拙い表現を使うところがまた刺さる。
言語化されない情の繋がりの形を描かせたら西田氏に勝る脚本家はいないのではないかというくらい演出が好み過ぎて、私の涙腺は毎度ガタガタにされる。正直、とても悔しい。

◆源頼信と平致頼

晴明の気配に気がついた忠行は林檎の送り手が晴明であると悟りその礼を述べるが、「相変わらず優しい男よ」から「それ故、都に蔓延る魔物を退治できずに困り果てております」という二人の軽口のようなたった一往復のやりとりで、京の現状がさらりと解説される。

ここで、源氏と平氏を代表する二人の家臣が登場する。この二人の関係性もまた陰陽に相当し、最初は道長に仕える頼信が光、実は伊周の部下であり、道長暗殺を目論んでいた致頼が闇という位置関係なのが、最終的には十二神将の力を手にした頼信は闇に、とんだ裏切りをしでかしたはずの致頼は道長を庇い光となって散るという逆転現象が起こる。
これもまた陰陽の性質の中で言うところの〝転化〟に当たり、Arcana Shadowの世界観は、本当に巧妙に織り込まれた陰陽の揺らぎで成り立っていることが分かる。そもそも〝Shadow〟は〝かげ〟と訳されるが、これを影と書くのか、陰と書くのかで意味が真逆になる。光に照らされて浮き上がるポジなのか、それとも闇に沈むネガなのか。タイトルそのものに託された暗喩が深すぎて、もはや思惑が計り知れない。

因みに、この備忘録は道長贔屓の筆者が書いているために先の二人に陰陽の転化があったという解釈をしているが、例えばもともと致頼贔屓の方からすれば、致頼の不器用な真っ直ぐさ自体が光であるという捉え方もでき、そうなると彼は最初から最後まで光だったという解釈にも繋がる。そういう意味では本当に観る側の自由度が高い作品である。

さて。道長四天王のうちの二人、源頼信(みなもとのよりのぶ)と平致頼(たいらのむねより)は、性格も行動も見事に正反対の若武者である。
まず、上手から出てくるなり忠行の林檎に砂をかけ、嫌がらせをする致頼。対して、下手から登場して静かに控える頼信。
致頼は同族と合戦を繰り広げ朝廷に出頭を命じられるも己の非を認めず、位階を剥奪されたことが史実に残っているなかなかにやんちゃな人物である。今作においても終始どこか人を食ったような態度を崩さず、道長に対しても反抗期の子供のような態度で接する。
反面、頼信は道長様至上主義の忠臣。道長の危機とあれば全てを放り出して「道長さまぁぁぁ!」と駆けつける、実直・不器用・脳筋タイプ。演じられた内田将綺氏は初めましての俳優さんだったのだが、私の感想にいいねを下さる中に彼のファンの方々が多数いらっしゃり、何度かプロフ欄で学芸大青春というユニット名をお見かけした。普段はダンスユニットの一員として活躍されているだけに動きのキレがとても良く、また、日を追うごとに道長様大好き度が増していく熱演振りも見ていてとても共感したし、振り切った潔い演技だったように思う。

そして漸く。漸くだ。
私の推し、藤原道長役の鈴木勝吾氏が登場する。
白状すると、私は日本史には全く詳しくない。古典の知識に関しては一時期仕事で必要だったので多少はあるのだが、今回の感想を書くに当たっては常にWikipedia必携状態である。
だから、元になるイメージが関白・摂政というワードしか無かったにも関わらず、

「道長様、何か思てたんと違う…」

これが初見一発目の感想である。
まず、御簾を自分で持ち上げて正面奥から登場する。忠行の林檎を奪おうとして失敗、むっとして舞台上に寝っ転がる。いや、やんごとなき身分のお方がそんな簡単に地べたに寝っ転がったら駄目では。とにかく、なかなかどうして破天荒極まりない道長様なのである。
そのくせ貌のパーツは一級品、地声より幾らか低めの発声は落ち着いて耳に心地よく、身のこなしも当然美しい。そして刀を握らせれば人外と対等に渡り合うほどにつよつよ。
さらに、話の流れ的に全く気の抜けないシーンで、突然口内の水分を全部持っていかれるタイプの菓子を持参、それを食しながら表情ひとつ変えずに長台詞を回し、最終的に部下を平手打ちするという日替わりシーンも担当するのでこちらの情緒はしっちゃかめっちゃかである。いや、振り幅を敢えて出していないところでここまで振り回されるとは、一体どういうことなのか。

ところで、推しの話になった途端に急に言葉が思い付かなくなった上、文章の構想も全て吹っ飛んだので、一旦ここで切ろうと思う。

週明け、きちんと語彙力が戻ってきたら、また元の調子で書いていきたい。

-----
全ての思考力を奪って行く推し。
あな恐ろしや。

つづく

この記事が参加している募集

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?