舞台「Arcana Shadow」備忘録ⅳ

前回やっと推しが出てくるところまで辿り着いたにも関わらず、唐突に考えが纏まらなくなったことについて原因を究明したところ、書きたいことが多過ぎて出力が渋滞するのだという結論に至った。よって、書き方そのものを変えようと思う。今後は範囲を決めてあらすじをおさらいし、それについての感慨をいくつか述べる形式にする。
本来やりたかったのは時系列に沿って注目すべき人物や関係性をピックアップして考察するやり方だったのだが、推しが出てくるところは覚えている限りのことを全部書きたいという欲求に敗北した結果である。
もはやいつ書き終わるのか、既に10,000文字を超えているというのに一体どのくらいの総量になるのか、終幕に辿り着くまで記憶を保持できるのかなど様々な問題はあるが、取り敢えず書き進めて行こうと思う。お時間がある時、思い出した時にでも読んで頂ければ幸いである。

◆道満拿捕の命〜致頼の裏切り

プロローグにて〝藤原道長と器量比べをしたい〟という伊周の依頼を聞き届けた道満は、「手始めに世界を暗闇にしてみようか」と、さも軽い調子で物凄い術を使う。昼だった空が急に夜に変わってしまうのだから、京では大騒ぎである。そこで前回述べた賀茂忠行のシーンに繋がるのである。
忠行は陰陽術師であり、晴明と道満の師でもある。世に二人の天才を生み出したとされる優れた術師であったことから、暗闇騒動の犯人ではないかと嫌疑をかけられ牢から引き立てられて来るのである。そもそも京には魔物が蔓延っており、その手引きをしているのではないかと疑われて道長に投獄されていた忠行。何やかんやあってどうやら違うようだと分かると、「じゃあ残る可能性は道満だから道満を連れてこい」と野に放たれる。ここで印象的なのが

「全ての陰陽道を集めよ。京の闇は藤原が祓う!」

という道長の台詞である。それまでの成り行きを追うと、権力を手にするためにはどんな手段も厭わない危険人物であるという印象が強く、ある意味それは真実ではあるのだけれども、道長の本質はまさにこの台詞に集約されている。

忠行を放免した後、今度は疑いの目を晴明に向ける道長。前段のやり取りの中で「道満は必ずや、道長様を殺して日の本を奪い返そうとするでしょう」と晴明が表現したことを問い詰めるのだ。
「それは、…誰の手から、…誰の手にだ?」
実は、ここで晴明が空白の時間の真実を知らなければ難しいであろう〝予言〟めいた発言をしていることも謎の一つではあるのだが、道長の迫力が凄すぎて全て吹き飛んでしまった。

「晴明、式神を降ろせ。道満が作り出した闇など消してしまえるほどの凄いやつをだ。儂は術を使えんのでな。…この闇がお前でないという証拠を俺にくれ」

いやいやいや、一人称の使い分け何なの!?などと思っていたら初回は置いていかれたので真面目に考察するが、稀代の天才と称された晴明が「私は貴方ほど頭の良い男を知りません」と畏怖するほどの器量の持ち主なのである。伊周頑張れ!と密かに思ったことを書き残しておこう。

晴明が捌けると、道長は二人の腹心に晴明についての見解を問う。「物の怪よりも恐ろしい方だ」と素直に述べた頼信に対し、致頼は「そんなことで怖気付いていては坂東武士の名が廃る」と小馬鹿にするものだから、両者は当たり前のように喧嘩になる。この時に二人を軽く往なした道長が「そこで争う前に倒すものがあるだろう。…藤原だ」と発言し、まだ平安の世が全盛期を迎えていないにも関わらず、やがて到来する数百年後の鎌倉時代を予見しているかのような発言からも、その才覚を推し量ることができる。

ここで伊周に差し向けられた兵が道長を取り囲み、場面は一転する。すぐに伊周の手の者であると察した道長は頼信に伊周討伐を命じる。「既に居場所はこの手に!」と頼信が応じていることから、道長は予め伊周の所在を調べさせていたことが分かる。疑わしきは全て潰す。本当に末恐ろしい人物だ。
しかし、その道長を出し抜こうと考えるのが致頼である。伊周が起こした騒動の最中、実力が拮抗する邪魔者である頼信は出払っており、さらに物の怪と戦うために道長から守天の刀を与えられる。「これは好機!」とばかりに道長を背中から斬りつけるのである。宮中は兵と物の怪が入り乱れて大混乱、加えて道長は致頼の裏切りによって窮地に立たされるーー

◆Arcana Shadowにおける藤原道長

気高く、哀しい人である。
その心根を例えるなら、夜の静寂を映す水面だと私は思った。月が満ち、欠けてゆく摂理。森羅万象をその心に映し、あらゆる可能性を先読みできる明晰さを持ちながら、敢えて泥臭い覇権争いに身を投じている。

物語は伊周陣営から始まるため、素直にストーリーを追っていくなら道長は〝どんな手段を用いても全ての権力を手中に収めようとしている強大な悪〟という立ち位置になる。実際に、賀茂忠行を尋問するシーンでは「道満を朝廷に連れてこなければ、愛弟子である晴明の命もろとも忠行、道満の命を奪う」と脅迫していることから、その印象はさらに強くなる。その上で晴明が二心を抱いていないか確かめようとするなど、道長の用心深さは初っ端から尋常なレベルではない。
しかし、何故そこまでして徹底的に周囲の不安要素を取り払おうとするのかと考えると、そこには彼の前身である〝フジ〟という人物の生涯が大きく関係してくる。

(この感想を書き始めた後に出演されていた方々のツイートを拝見した際、過去に因縁のある二人の名前が〝フジ〟〝ヤマト〟と記載されていたため、おそらく台本では片仮名表記なのだろうということで、今後はそのように書くようにする)

空白の354年間とされた時代を生きたフジは藤の一族の長であり、十六夜童子の前身であるヤマトと共に日の本という国作りをしていた。ところがその最中、一族の者の裏切りによってヤマトと敵対せざるを得なくなる。このことも登場人物が揃い次第詳しく述べていこうと思うが、結果として美しかった大地はすべて炎に呑まれてしまった。最後までヤマトとの戦を望まなかったフジは、一族の中に流れる不穏な空気を察知できなかったことをずっと悔いていたように思う。
道長の「疑わしきは全て潰す」姿勢は、恐らくこのフジの後悔に起因しているのではないだろうか。

そしてまた、フジは良き兄でもあった。
劇中に名前は出てこないが、このフジの弟に当たるのが平安の世における伊周なのである。ヤマトと相対さなければならなくなった時、フジは一族と弟を守りたいが、ヤマトとも戦えない、選べないと弟の前で泣き崩れる。それまで、ぴんと張り詰めていた糸がふつりと切れてしまうこの瞬間については書きたいことが山ほどあるので後に述べるが、情に厚い人物だったであろうことは容易に想像できる。

この〝フジ〟の人格がベースにある道長が、天下泰平を成し遂げねばならない業を背負っているのは、あまりにも惨いと私は思う。けれど、そうであるからこそ全ての因果が彼を取り巻いて、時を超えた物語の主軸を成すのである。

と、時系列にしたらしたで今度はその時点では語れない内容が出てくるという制約が出来てしまい、何かとご不便をお掛けするがご容赦願いたい。
また、平致頼について本来はこの項で述べようと思っていたのだが、もっと彼を掘り下げるのに相応しい場面があるので、そこで改めようと思う。

◆藤原道長像と鈴木勝吾氏

さて、折角なので推しのことを書こうと思う。
関白政治の藤原道長、というと、何となくちょび髭のもっちりした人物を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。自分の娘を天皇家に嫁に出して権力握った人でしょう?いやいや小狡い感じのオジサンなのでは、と私も思っていた。実は。
なので、推しである鈴木勝吾氏が藤原道長役であると知った時、果たしてどのような役どころになるのか全く予想がつかなかった。しかもトメだし。

しかし実際に道長の人物像について調べてみると、存外豪胆な人物だったことが分かる。大鏡に出てくる肝試しのくだりなどがまさにそれで、帝が気味の悪い夜の退屈しのぎにそれぞれ場所を指定して道長と二人の兄に肝試しをさせたところ、道長だけが堂々とその証拠を持ち帰ってきたという逸話である。この他にも書を愛する風流人であったとされ、源氏物語や枕草子など、当時の文学作品が今に伝わるのは時の権力者であった道長の功績であるとも言われている。

ここまで整理してみると、何となく我らが推し、鈴木勝吾氏と印象が被ってくるのである。何がどう被るのかと言われるとなかなか上手く説明できないのだが、読書が好きなところであったり、独自の哲学を持っていたり、歌を愛していたり、存外怖いもの知らずなところであったり。
さらに西田氏の描き出す藤原道長像、これがいけない。あくまでイメージの話になるが、人形浄瑠璃を思い浮かべてもらうと良いだろうか。史実に沿わせてリアリティを出しながらも、オリジナルの設定が加わることで人間味の増した藤原道長という〝役〟に鈴木氏という核が入った途端、そこに実体として圧倒的な存在感が生まれるのだ。

どこかぞんざいな風にも見えるのに、高貴な身分に違和感を感じさせない立ち居振る舞い。優美かつ苛烈な殺陣。
相も変わらず板の上に立つ推しは美しかったし、控えめに言って最高だった。折角なので今回の殺陣がめちゃくちゃ映えた理由のひとつに、襷掛けの袖口から覗くあの鍛え上げられた上腕が一役買っていたことも申し上げておきたい。

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書き残しておきたいことがありすぎる。
今は鮮明に覚えていても、いつかは忘れてしまうものだからね。

つづく

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