舞台「Arcana Shadow」備忘録ℹ︎

あゝ、花は散ってしまった。
私はこの舞台を三回ほど観劇したが、その間ずっと夢と現を流離うような心持ちだった。けれどもう、あの美しくも苛烈な世界観に戻ることは出来ないのかと思うと、とても寂しい。

千秋楽から一夜が明け、今日は眩しいほどの晴天だ。
劇中で何度か示唆されたテーマである「真実は何処にあるのか」という問い。
私たちは当たり前のように〝歴史〟を知った気になっているが、それは後の世の人々が遺された事象から考証したものであって本当のところは誰にも分かっていない。そうであるならば、彼らが生きたあの空が現在まで繋がっていると信ずるも自由なはずである。
私には時空を渡ることは出来ないけれど、この目で確かに垣間見た彼らの生をここに書き留めておこうと思う。あの優しく哀しい花弁の色が、褪せてしまわぬうちに。

◆プロローグ

劇場内とロビーにゆったりと流れていた和の旋律が形を顰めるのと入れ替わりに、徐々に照明が落とされていく。そして主題歌のひとつが流れ始める。元ちとせさんの「春のかたみ」というこの曲には、自らを置いていく季節を惜しみ、これから先を生きていく想い人への情感が閉じ込められている。
恐らくは道満の意志を奥底から支え続けた杠(ゆずりは)の心を模しているのだと思うが、過去から未来への祈りの中で揺蕩っていた望月(あらまほし)の意識が浮上するのと同時に、ふと音が途切れる演出には本当に唸らされる。

今作において主演は蘆屋道満であるが、歴史の空白における因果を平安の世に導いて物語を紐解くことから、彼は語り部という立ち位置であると私は考える。
その道満の許に姿を現す、始まりの式神。その姿は白い花弁を陽に透かしたかのように柔らかな光を纏った女性である。
「この世の終わりは知らないけれど、始まりを知っている人はきっといる」
「春には匂い、夏には光、秋には色があるけれど、冬には音がない」
鈴を振るような声で紡がれる言の葉は、ひとつひとつが零れ落ちる朝露のように美しく、同時に謎に満ちている。彼女は〝望月(あらまほし)〟という名と、望む姿に形を変えられるという宿を与えられる。ここで、この世界観の中では宿に命が宿ると宿命となり、また各式神には言の葉が与えられ、それを奪われるとこの世から姿が消えてしまうのだという理が明かされる。しかし、望月にはまだ自分の言の葉が視えない。「お前は知っているのか?」と道満に尋ねるが、優しくはぐらかされてしまう。
そうして、己が聴きたいと望んだ「冬の音」と自らの言の葉を探すことが望月の目的となる。

ここで少しだけ、私なりの言葉の解釈について述べておこうと思う。
一般的に陰陽師が喚び出す式神には真名と仮字があるとされる。仮字とは通称のようなもので、この作品における望月や杠といった呼び名である。反対に真名とはその式神の本質を表すもので、それを用いて契約を交わせば、陰陽師と式神との結び付きはより一層強いものになるとされる。しかしこれは諸刃の剣で、式神にとって真名を知られるということは自らの喉元を晒すのと同じ意味になる。
Arcana Shadowの世界観において、この真名に相当するのが言の葉であり、各々の式神の本質そのものということになるのだろう。

◆藤原伊周という男

ここで、藤原伊周(これちか)が初登場する。
単刀直入に表現するならば、とにかく暑苦しい。先刻までの予兆めいた雰囲気は何処へやら、終始軽口ばかり叩いて場を掻き乱す困った人物である。
扮する安西慎太郎氏、実はまだ二十代であると聞いて驚いたことがある役者さんだ。彼の凄さは周囲を巻き込んで自在に場の空気を変えてしまうところにある。今回は時の権力者である藤原道長に刺客を差し向ける張本人であり、さらにそれとは正反対の因果を持ち合わせるキーパーソンでもある。伊周としての在り方が物語の結末を左右すると言っても過言ではないほどの重役を背負っているのに、彼はとにかく自由。先の道満と望月のやり取りを混ぜっ返したり、式神など信じないと豪語して殺されかけたり、とてもではないが位の高い家柄の出自とは思えない破天荒振りなのだ。
しかし道満に何の用向きで来たのかと問われた途端、
「…今のこの世を、引っくり返したいんだよ」
板の上にどかりと腰を下ろし、道満を睨め付ける。その瞬間の彼には寒気を覚えるほどの凄みがあった。場を制する張力の糸を自在に操る手腕、それこそが安西氏の武器であると改めて思う。

こと西田作品において、言葉というものに重きが置かれていることはとても多い。Arcana Shadowも例に漏れず、式神の真名として扱われていたり、眠っている記憶の鍵になっていたりする。
物語の序盤で、望月が過去に聞いた会話を思い出す重要なシーンがあるが、その切っ掛けも伊周が作っている。ウザ絡みを繰り返す伊周に対して望月が厭そうな顔をしたのを、道満が宥めるのだ。
「根は優しいんだよ、…根はね」
その瞬間、道満の言葉に重なって望月の脳裏にかつて聞いた誰かの言葉が蘇る。記憶の片隅に残る、穏やかな声。ここで初めて望月は、己は確かに何かを失っているのだと気付くことになる。

「我が叔父藤原道長と、器量比べをしたい」

伊周の発起により、物語は大きく動き始める。
これを幇助する契約のため道満は伊周に言霊を求めるが、伊周の言葉は悉く弾かれていく。その中で唯一、道満の心に届いた「この世の始まりは、ここには無い!」という叫び。

〝この世の始まりを知っている人は、きっといる〟
〝この世の始まりは、ここには無い〟

果たして真実は何処にあるのか。
あの泡沫の夢のような絵巻物は、こうして紐解かれたのだ。

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こんなに書いたのに推しに辿り着けないの辛…

つづく


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