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何もしないということ

朝起きる。日が昇る。午前が過ぎ、午後になる。夕方になり、日が暮れ、一日が終わってゆく。

生きるとはなんだろうか?

最近、自然農法という言葉に出会い、福岡正信(1913-2008)という人のことを知りました。

自然農法とは、土を一切耕さず、肥料も与えず、雑草も抜かずに、自然のままに作物を育てていく農法のことで、福岡正信さんは約60年にわたり自然農法を実践し、それに一生を捧げた人でした。

福岡さんは25歳の時に急性肺炎を患い、生死をさまよう中で、今まで自分が信頼していたものや、何気なく安心していた安心というものに強く疑問を抱き、そこから生や死について考え、深く悩むようになったといいます。

福岡さんは悩み苦しむ中で、ある朝自分の中に答えを見つけました。

それは、この世には何もないということでした。

「ない」ということがわかったといいます。

生があると思うから死(死の恐怖)があり、死をなくそうと思えば、生があるということをなくせば良い。生死は一つであり、世の中のあらゆる事は無価値で無意味であり、「無」こそ広大無辺の有なのだということを、福岡さんは考えました。(チョットムズカシイネ)

僕はこの考えを、般若心経の色即是空(物事の全てはうつろである)と同じような考えなのかなと解釈しました。

福岡さんは、無、つまり人間は何もしなくて良いという考えを、自然農法(人間が何もしなくても作物は育つ)という方法の農業を通して実証しようとした人です。

僕は、福岡さんの著書『わら一本の革命』という本を通して、これらの考えを知りました。技術や方法論を書いている農業書が多い中で、福岡さんの記したこの本は他の本とは全く違っていました。農業書という名の、福岡正信自身の人生の哲学書であるように感じました。自然農法を通して自分や人間の生きる道を実証しようとする本でした。

福岡さんは本の中で、何もしないことの重要性を何度も説いています。

例えば、自然が破壊されるから、僕たちは「何か」しようとします。でも一番必要なの何もしないことであると言います。自然の力を信じ、僕たちが何もしないでいられたら、自然は元の姿に戻っていくだろうという考え方です。

僕たちは、何かをしたがります。

何もしないことに耐えられません。

本当にそうでしょうか?

欲望や流れに身を任せて、常識を疑わず、考えず、生きてきただけではないでしょうか?

何もしないでいられる自分になること。福岡さんが一番伝えたかったメッセージです。

ありのままの自分に、ありのままの生活に、今あるものに、生きているということに感謝する。

何もしないということ。何もしないでいられる自分になること。

今の時代に必要なことだと思います。

おわり




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