頬色を空に溶かして

 彼女が私を見つけた瞬間、その身に纏ったワンピースのように彼女の頬が色づいた。

***

 真っ青な空が駅舎の向こう側に広がっている。風に舞った今年最後の桜の花びらが、鼻先を掠めた。
 鈴は窓ガラスに反射した自身の姿を見てそわそわとした感覚でいた。ピンク色、どちらかというと桃色に橙を垂らしたようなそんな色の生地に、袖口と胸元に小さなボタンが規則正しく並んでいる。下ろしたてのワンピースは鈴の体をすっぽりと覆い、スカートの裾に施されたバラ模様のレースがくるぶしを撫でた。
 待ち合わせの時間はとうに過ぎている。通り過ぎていく人が皆こちらを見ている気がして、ウエストを結んだ紐を何度もリボン結びをしてみては気を紛らわせようとしていた。

***

 鞠はカメラの前ですました表情をしながら、カメラマンの後ろにかかった時計をにらみつけた。時計の針が約束の時間を通り過ぎていく。ポーズを変えるように指示をするスタッフを横目に、腕を組み替えては左腕の、きゃしゃな時計を確認し、ため息がこぼれそうになった。
「はい、おっけー、おつかれさま」
 カメラマンが満足そうに声を出した。スタッフたちがカメラマンと共にパソコンに集まり始める。画面を見ながら写真の出来を確認し、楽しそうに談笑を始めた。
「鞠、おつかれ、今日は上がって」
「はい、おつかれさまでした」
 声をかけてきたスタッフに礼をしながら、自分に向いた照明の外へぬけ出た。再び時計を見れば、約束からは1時間を過ぎようとしていた。衣装の上からグレーの丈の長いコートを着て、黒縁の大きな眼鏡をかける。リュックに私服を無理やり詰め込むと、スニーカーに履き替えて駆け出した。
 待ち合わせ場所はここからそう遠くはない。それでも、待たせてしまった負い目もあってか、走り抜けていく秒針が鞠の足よりもあまりにも早いような気がした。坂道を上り、交差点の信号を渡った先の駅が待ち合わせ場所だった。いつになく人であふれかえった街は、人を避けながら歩くのがやっとで、横断歩道の向こう側も同様そうだった。赤から青へ変わった信号が進めと言わんばかりに電子音を鳴らしだす。
 もやがかかったような人ごみの中で、瞳に鮮やかに飛び込んできた彼女の姿に、鞠の頬が色づいていった。

***

 何度となく信号が変わった音に顔を上げる。何度となく繰り返していたが、今回ばかりはワンピースの裾をつかむ鈴の手に力がこもっていた。
 黒縁の奥のよく知った瞳を見つけ、鈴の顔が綻んだ。

***

 鈴を見つけた鞠が、こちらに手を振った。
 声は発していなくても鈴は鞠を解っているようだった。
「おまたせ」
「遅いよ、鞠」
「ごめん、仕事がおしちゃって。そんなことより、その服やっぱり似合ってる」
「そうかな? 鞠が着てきてっていうからこのワンピースにしたのに。それに鞠の方が似うよ」
「見てないのにわからないでしょ」
「わかるよ、コートの下、同じワンピースでしょ?」
 鞠が裾に目を落とすと、コートの裾から鈴のそれとは色違いの桜色のピンクのレースがちらりと揺れていた。
「よくわかったね」
「鞠のことならわかるよ、急いで出てきたから着替えてないでしょ」
「さすが、鈴、ばれてたか。ね、写真後で撮ろう」
「いいよ、その前にごはん、おなかすいちゃった」
 はいはい、と言いながら鞠が歩き出す。その歩に合わせるように、鈴のスカートが揺れる。
 二人の色を溶かしたように空が赤く染まり始めていた。

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