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心に“非常階段”を。

長女の留年が決まった。

不登校の長女

レアキャラになった長女

2学期が始まって数日、昼夜逆転してしまってしんどい中、数日登校し、夏休みの課題を出した。その週末の土曜日、新型コロナウイルスのワクチンを打った後、副反応で月曜火曜と休んだ後から、部屋から出なくなった。
ドアは開けられない、天照大御神(アマテラスオオミカミ)
中が分からないことに、不安を覚えて、ドアを開けるようとしてみるものの、夜起きて朝熟睡の長女に声は届かない。
中で突発的に命を絶たないか、と1日2日焦る。朝起きると家にある食べ物が減っていることで、私の心も落ち着いた。
それから10日ほどして、もう登校を勧められない、と安心したのか、たまに顔を出すようになった。毎日会えるわけでもなく、元気な顔を見るとホッとする。
顔に悲壮感はない。通常通りに見える。
完全にレアキャラ。全く出会えなかった天照大御神の時期がSSSRだとしたら、SRぐらいまで遭遇率が高まった。
まだ、学校のことは聞かない方がいいか、と判断して当たり障りのない話を数分した。
そのうち、晩御飯の時間に出てくるようになる。

学校の話もする長女

ほぼ毎日顔を合わせるようになると、饒舌に話すようになる。学校の話も出たりして、学校への未練もあるのでは?と感じるものの、もう彼女に行く意思はなかった。
当時の会話は、堂々巡りだった。
辞めようかな、と言いつつ、実際に辞めるのは躊躇していた。
高校行かなくなったら、バイトして、推しグッズが買えるようにする、というものの、バイトを探したり、エントリーしたりすることもなかった。

推しが活動休止したから、もう高卒で就職考える必要なくなった。
いつ再開するか分からないから、準備は必要じゃない?
元々勉強したくないから、高校行くのはしんどい。
それで学科が少なくて、好きな絵が描ける学校行ったよね?
部活がとにかくしんどかった
それは文化祭に向けてだったから、もう終わりじゃない?
学校やめようかな
→嫌ならやめればいいけど、その後、バイトとかするの、高校生の肩書きがないと採用されにくいから、とりあえず、バイト始めたら?

人に会いたくない

不登校になって3週間ほどして、翌月にある修学旅行をキャンセルしてほしいという長女。2学期の最初にあった部屋決めの日、休んでいたせいで一緒になりたかった子達と一緒にならなかったから、という。
実際に一緒になっていたら行っていたかどうかは分からない。それでも本人がようやく一つ出した決定事項なので、学校に連絡。

修学旅行の前にある文化祭は行けるといいなと私は漠然と考えていた。なぜなら、彼女が、監督をした5分間のアニメーションのお披露目があったから。
私は、家族が原作の「焼きそば戦隊 テッパンシャー」というくだらなさが売りのアニメーションを、観るのを心から楽しみにしていた。
私は「私が見に行きたい」ということをかなりアピールした。事前に申し込みチケットを学校で長女が受け取らないと行けないから、チケットだけでも取りに行って欲しい、と。
けれどここの頃、初めて
「もう疲れるから、人に会いたくない」
と長女は言ったのだ。

人前ではいい子でいたい長女

長女は元々、内弁慶な性格だ。
納得しなければ動けないから、幼稚園の年少さんでは、私が連れて行った時には教室に入るのに、その後、園庭に出るとなかなか自分の教室に入らず、先生方を困らせた。
運動会や発表会などの踊る、歌う練習の時だけ楽しんで自ら動く。
年長さんの先生と相性が良かったのか、楽しんで幼稚園に通い、他の生徒とも話をするようになった。
小学校では3年生あたりでようやくシステムが理解できたのか、係や掃除などを積極的に行い、高学年は「実行委員」なるものを引き受けていた。
外ではちゃんと振る舞うと褒められることや、できる自分が楽しい。ただその分疲れる、と家の中では悪態をついた。
「いいよ。外と内の使い分けができてるのはいいこと。やるべきことやってれば後は好きにしていたらいいよ」
と多少の悪態は許容していた。3歳年上の長男は、長女がわがまますぎる!と怒ったけれど、気質の違いはどうしようもない、と諭した。

中学の後半、彼女はどんなにいい子のふりをしても、勉強がついていけないことはバレてしまう、と自覚した。すると、途端に学校に行くのが嫌になる。頑張ってもどうせ完全な意味では認められないのだ、という。
それでも、なだめすかして、ネットばかり観てスマホ廃人になる長女からスマホを取り上げて、どんなに悪態をつかれても、現実世界に戻さねば、と必死になった。

彼女は高校に受かり、学科も実習も楽しんでいた。今でも本人も1年の時は楽しかった、という。それが崩れたのは、年度変わりに学科の先生の多くが他校に行き、別の先生に変わってからだと本人は言う。
前の先生の言うことはよくわかったのに、新しい先生の教え方が違って分からなくなった、と。全てが嫌になる、と。
嫌だと感じると、途端に遠くに電車通学していることも、夏休みに友達から誘いがなかったことも、考えすぎて、全部イヤになった、と。

非常口を出た長女

長女は今、非常階段にいるのだ。非常口を見つけて、そこから出た。
特に何かがあったわけではない。それでも、大人は「なんで学校行かないの?」と理由を作りたがる。
だから、人と話をするのもしんどい、と言う。
彼女は、留年が決まっているけれど、学校に戻るのか、辞めるのか、編入するのか、まだ決めていない。
非常階段を上下して、いいな、と思う階にポッと入るかもしれない。
それがなんのフロアなのか、決めるのは長女だ。
彼女の心の中に、非常階段があって良かった、と今、思う。
もしも、彼女が非常口を見つけられず、ただ耐えるしかできない状態だったら、長女は心が壊れていたかもしれない。
非常階段がなくて、逃げ出した先が何もない場所なら、もう彼女はここにいないかもしれない。

彼女は.不登校中に誕生日を迎えて17歳になった。ちょうど同じ頃、留年が決まった。
外ではいい子でいたかった長女が、そこから飛び出すのは勇気がいっただろう。同じフロアに戻るのは、もっと勇気がいる。だから、私は彼女の入りたいフロアに入ればいいと思っている。
非常階段が必要なのは、子どもだけじゃない。今いる場所しかない、と思っていると、誰だって苦しくなる。大人も含めて、心に非常階段を。

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