見出し画像

「何も期待していない」が相手のためにも自分のためにもなる

「何も期待していない」が相手のためにも自分のためにもなる

「何も期待していない」
そう誰かに言われたら、あなたは何を思うだろうか。
自分のできなさに絶望する。
相手が猛烈に憎らしくなる。
そんな反応があってもおかしくない。

けれど、この言葉で気持ちが軽くなる人がいる。
今朝聴いた音声配信の対談の澤なおさん、その人だ。
澤さんのチャンネル100回記念でパートナーである澤円さんと対談をしていた。
自他共に認めるポンコツ人間だという澤なおさん。澤円さん曰く、料理はしない、朝起きない、細かい手続関係が全くできない、なおさんは「どうして結婚を続けているのか」と澤円さんにたずねる。
世間一般で言われる奥さんとはこうあるべき、と言うようなことは「期待していないから」と言い切る澤さん。奥さんがいるのではなく「彼女が初めて泊まりに来てくれている」と毎日思って接している、と言う言葉を聴いて、ほっこり。
“初めて”泊まりに来てくれたのだから、もてなしたいし、楽しませたい。
確かに好きな人とのデートって「何をしてくれるのかしら」という期待なんかより「一緒にいる」ことが大事だった(独身時代を思い出しております)。

この「期待しない」と言う言葉を選ぶのは、澤なおさんが「期待には応えたい」と言う思考の持ち主で、さらに「完璧主義」なところがあるからこそ、だと思う。例えば、私のパートナーは家事をほぼしないが、「期待しない」などと言うと腹を立てるタイプの人間だから、期待はしていないがあえて口にしない。その上で、何かをしてくれた時には、期待していない分、心から喜べるし感謝の気持ちを伝えることができる。
けれど、澤なおさんの場合は「期待しない」と口にされることで心が軽くなるのだ。しっくりくる言葉選びに、お2人の関係性と愛を感じた。

「まだ彼女だから、将来に渡ってどうとかそんなこと考えなくていいし、今を楽しみたい」

これは続きで配信された澤円さんのチャンネルでの言葉。そしてこの期待しないというスタンスは他の事柄にも通ずるものだと言う。

確かに、期待したように物事が動かなければ、その分自分の中に嫌な気持ちが湧いてしまう。最初から期待しなければ、腹を立てたり、イライラしないですむから自分自身も楽でいられる。つまり、期待しないことは、自分のためでもあると言うことだ。

また自分の話に戻ってしまうが、2人目が2歳まで私はパートナーに対して察してちゃんだった。「除去食で食べられないんだから、一緒にタバコ我慢してよ」とか「1人でお風呂入りたいからお風呂入れてほしい」などお願いしてみてことはあるが、どちらも却下。タバコは我慢できないし、3人目の子どもまでパートナーがお風呂に入れてくれたのは本当に少ない(私の求めていた回数は週末の1〜2回入れてほしい、で実際に実行されたのは初夏から秋の間で年に数回でした。それでも全く入れてくれない人に比べたら、マシと自分に言い聞かせていました)。そもそも、私が疲れたと言う話をしても「俺もこんなに疲れている」と言う話があり、それはそうなんだろうと言葉を飲み込むようになってから、要望を話すことができなくなっていた。そのくせ、気づいて欲しい。「これやっとくね」と言ってくれたらどんなに嬉しいだろう、と思ったことは数えきれない。

けれど、結婚して6年ほど経って「あぁ、この人は言わないとわからないし、颯爽と言う気持ちもないんだ」と言うことにようやく気づいて、“察してちゃん”だった自分が気持ち悪くなったことで、察してちゃんから脱することができた。そして「言わなくても気づいてほしい」と言う期待から抜け出せたのだ。その後、育児で考えると最も大変だった3人目が乳幼児の時期を経て、長男と一緒に料理をするようになり、パートナーへ期待する気持ちが次第になくなった。
ちょうど、自分への「ちゃんと育てなきゃ、育てていくんだ」と言う期待がなくなっていった頃だったので、一気に気持ちが軽くなったのを覚えている。

この経験から、「期待しない」ことが相手のためにも自分のためにもなるという澤さんの話がすとんと入ってきた。
夫婦関係、人間関係、人それぞれだと思う。
「期待してるよ」と言われたい人もいるだろう。けれど、期待しないことが楽になる人間関係もあるのだと解ると、幅が広がるのではないだろうか。


気に入っていただけたら嬉しいです。 受け取ったサポートはサロン運営、ママの居場所を作るボランティア活動、さらに私が成長するための書籍代として使わせていただきます。