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概念で人をコントロールしようとするな

春の色は何色?

先日、Twitterで流れてきたつぶやきに、思わず引用リツイートした。

思い切り関西弁。
私のリツイートでは、全く文脈が伝わらないので、元ツイートをご紹介。

担任の先生が「春は何色のイメージかな?」と質問。それに対して1人の児童が「青」と答え「違います!」と言ったエピソード。
noteに書こうと貼り付けていると、自分のツイートが、あまりに直情的だった、と思う。けれど、それだけ感情が動いたのは間違いない。

色と思い出

人が何かに持つイメージは、生きていく過程で「思い出」と繋がって作られていくと思っている。
思い出は五感と繋がっているほど、鮮やかに再生される。香りや、触り心地。それこそ、色も。

今回の見出し画像は「みんなのギャラリー」で「春色」と検索して出てきたものだ。桜の咲く季節だから、桜の画像が多かった。その多くは、ピンク色。
Twitterで出てきた担任は「ピンク色」と言って欲しかったのかもしれない、と推測する。あるいは、菜の花や、ミモザデーに合わせて「鮮やかな黄色」だろうか。
けれど、青色ではない、と誰が言えるだろう。太陽の位置が冬から変わってきて、空の色が変わって感じる。私はその空の色もまた、春のイメージだ。また、4月ごろから見かける鯉のぼり。鮮やかな青色のものもある。鯉のぼりを設置するお手伝いをしていたり、ご近所に大きな鯉のぼりがあれば、その色は網膜を通して見た人の心に、頭に、しっかりと足跡を残すだろう。誰かの思い出は、人の数だけあり、それに繋がった色のイメージなど、誰が縛れるのか。

概念の先にあるのは授業の進め方か

この担任のことを、想像するに、この質問を投げかけた後、何かの授業を進めかったのだろうと思う。
国語の授業なら、この後にある物語や詩のことだろうか?理科なら花の種類だろうか。図画工作や美術ならこんな概念をぶつけて否定するようなことはなかったのではないかと思う。
要するに、担任の先生が設定している何かのゴール、目的に向かって答えが決まっていて、それ以外のことを言われるとその授業に繋げられないから、完全否定したのではないか、と思う。
もちろん、担任の先生が自分の中の概念に沿って生きてきていて、本気で「春に青なんてありえない」と思っている可能性もある。
いずれの場合も、あくまで担任の先生の考えや都合であって、他者に押し付けるものではない。
同じ先生が、あるいは違う専科の先生が同じ生徒たちに対し「自分の考えを話して」「自由に絵を描いていいよ」と言ったとして、このクラスの子どもたちは、はたして“自由に”自分のことを伝えたり、表現できるだろうか?
子どもの頃は、世界がとても狭い。担任の先生に否定されれば、傷つくし、周りの子どもたちは、間違えないように、要領を得ていく。時には「こいつ、春の色、青って言ったんだぜ。ばかだろ」ぐらいのことを言って、自分の優位性を高めたいと考える同級生が現れるかもしれない。その子どもは、そう口にしながら、自分にも、さらにそれを聞いた周りの児童にも、概念を植え付け、何度も重ねていくのだ。

人をコントロールしようとする心理

そろった「概念」はとても便利で、安全性もある。
例えば、今は少し変わってきている地域もあるけれど、日本が世界的に見て、非常に治安が良いとされるのは、「人は殺してはいけない」「お金は貯めるもの」「ゴミはゴミ箱に入れて、公共の空間はきれいに保つもの」という概念を持つからだと考えている。
電車で寝ている人が多いのは、疲れている人が多いと言えるけれど、少なくとも日中、人がたくさん乗っているような時には、カバンを持っていかれることはない、と言う安心感もあると思う。
また、災害時、自動販売機や、コンビニエンスストアが壊されて物が強奪されず、並んで購入しようとするのも日本人が持つ倫理観の概念だ。
これらの概念を否定するつもりは全くない。むしろ私は、そんな日本に生まれてよかった!と思っている。
ルールを作り、ルールは守るものだとみんなで決めると言うのは良い概念だ。一方で悪い概念づくりもあると私は考える。
冒頭のエピソードのような時。
青色は、春の色ではない、はルールではない。にもかかわらずあたかも正誤があるような言い方をして、否定する。こうすることで、自分の進めたい方向に話をする、揃える。ただ人をコントロールしたいと言う考えになっている。
とても、危険なことだ。
厄介なのは、本人がコントロールしようとしていることに気づいていないかもしれない可能性。本人がガチガチの概念に囚われていて「いや、それが普通でしょ。常識でしょ」と思っていたら、会話のおかしさに気づけない。
自分の思ったように“少ない労力で”物事を進めたい、感覚に慣れきるな。

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