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アメリカでゴミ箱を漁っていた話

大学卒業と同時に、当時の交際相手Pのいるアメリカに飛んだ。オハイオ州のコロンバスという都市に住んだ。最初の家は、Pが友達何人かとシェアしていた2階建ての一軒家。ハウスメイトはEというめっちゃ背の高い、ビン底メガネをかけたロボットみたいな天才と、Bというヘンテコな音楽を奏でる奇才(ただひたすらカメラを凝視して何時間も座っているYouTubeでバズった人)、名前は忘れたけどBの神経質な彼女、プロのポーカープレイヤーとして家でひたすらオンラインポーカーをしていたPという構成だった。

それぞれに個室があり、キッチンやバストイレを共用するスタイル。私は居候的存在だったから基本、Pの部屋にいた。

Pはポーカーで荒稼ぎしていたから、一度にパソコンを横に3台並べてそれぞれのスクリーンで4つのゲーム、つまり多い時で12ゲーム同時に戦っていた。しかも何時間もぶっ通しで。私が話しかけても大抵「無視」だった。仕事中に話しかけるな!というPの言葉を私はちゃんと理解してなかった。遊んでるようにしか見えなかったし。でも今思えば、大金が動く瞬間を逃したくないとPが思って熱中するのは当然のことだった。

当時の私は暇で暇で、退屈していた。毎日ヨガしたり、料理したり、プールに泳ぎに行ったりしたけど、やっぱり暇だった。でも夜が更けると、日常的にPがハウスメイトをダンプスターダイビング(↓)に誘ってくれた。それは結構楽しいことだった。

閉店後のスーパーに行ってゴミ箱の中のまだ食べられるものを回収してくること。うわっと思うかもしれないが、自然食スーパーに特化して行っていたのでオーガニックの食品が多かったし、状態の良いものがほとんどだった。

↓の記事より

Pの運転するTOYOTAのCAMERYにみんなで乗って、閉店後のTRADER JOE'S(健康食志向の大型スーパー)の裏に車を停める。まずPがゴミ集積所のところに行って中を確認。いい収穫がありそうだと判断すると、車で待機しているみんなを呼ぶ。もちろんゴミ捨て場だから変な匂いはする。でも、ヘッドライトで照らすと、まだまだ食べられるものが山ほど。そんなことの方が多かった。バナナやパンはほぼ毎回大量にあったし、野菜や果物、ドライフルーツ・ナッツの他、世界各国のチーズとか、ワインがケースごと捨てられてることすらあった。12本入りのケースのうち1本が割れてラベルにシミがあるだけで。それらを静かに車のトランクに詰め込み、撤収。家に帰ると、キッチンで仕分けとか保存作業をした。バナナを冷凍したり、汚れたものを洗ったり。ほぼ毎回食べきれないほどの収穫があったので、箱に食べ物を詰めて友人宅に配達してあげたりもした(Pの寛大なところ)。

毎回何が見つかるか楽しみでワクワクした。でも時には警察がパトロールしていて、引き止められることもあった。そんな時はPが対処した。何を話したのか、無事釈放された。当時まだ20代前半だが人生経験と処世術が豊富なPだった。

私たちの食費はダンプスターダイビングのおかげでほぼゼロだった。キッチンにはしまいきれないほどの食糧があった。楽しい思い出だ。

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