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大人になって泣くという事

 今日は、札幌で開催されているライラックまつりに行ってきました。
 3年ぶりの開催だそうです。
 こじんまりとした規模間のお祭りって気軽に参加出来て好きです。

 知らなかったのですが、大通公園ってライラックが400本も植えてあったんですね。色んなお花が植えてあってたくさんの人が憩いの場としてて好きです。大通公園。

みんなも来てね大通公園 

ライラックまつりは5月29日まで開催しています。

さてさて、

 今年の4月になってから、ふとしたきっかけで涙が止まらない時があります。それはもう情緒不安定か!って自分で突っ込むくらいに(笑)
朝ドラで主人公に感情移入したとき、頑張ってる人を見た時、不安を押しつぶされそうな時、今を生きている自分を振り返った時。
 
 大人になったら、泣きたい時に泣けない。と言われたことがあります。
 確かに、お葬式でも故人を偲んで本当は声を出して泣きたい気持ちがあっても、その場でのいろいろな仕事や参列している自分の立場、遺族の気持ちなどを考えたら自分が泣く場面じゃない、とか考えて堪えることはあった。

 泣きたい時に泣けない。

 でも、一人の時は、遠慮なく泣きたい。

 泣いた後って、心のしこりが落ちたかのようにすっきりするし、これだけ自分は頑張ってたんだって、よく頑張ってるね!って自分を褒めてあげられる。

 泣くという行為は、ワイングラスに水をぽたぽた落として、零れる瀬戸際、表面張力が限界の限界を耐えられず決壊したときに、起こることだと思っています。

 それだけ頑張ったんだから、泣いても良いじゃない。

 泣けるという事は、それだけ頑張って生きている証拠。

 うつわの大きさなんて関係ない。

 でも、それはいつも透きとおったキレイなグラスでないとね。

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