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よく食べよく寝て、できるだけ穏やかに過ごせていますようにと。

表示された懐かしいアイコンに、思わず声が零れた。

生活に馴染み、今や多くの人が活用しているSNS。X(旧Twitter)やInstagram、Facebookなど種類も多く、最近では、ThreadsやBlueskyなども登場している。SNSが仕事場のひとつである自分が言うのもあれだが、正直ついていけていないというのが本音だ。一応、仕事用としてXやnoteを利用しているが、言い張るわりには大部分を「し、仕事用ですよね?」と尋ねたくなる投稿が占めていることも自覚している(それでも仕事があるのは、noteや記事を読み興味を持ってくださる方々のおかげです。ありがとうございます)。

ビジネス用アカウントに多い、いわゆる「有益な投稿」は自分には向いていないと思い早々と諦めた。そんな、仕事用(と言ってよいのかも危うい)SNSとは別に、私には読んだ本を記録するためのInstagramがある。

Xに投稿した読書記録に書ききれなかった感想を付け加えたり、惹かれた作中の文章を引用したりと、少し加筆して投稿している。そのInstagramのストーリーズの閲覧者欄に、SNSを離れたあの人が載っていることに気づいたのが昨日のこと。

懐かしさを感じ、その人が生きて日常を送っていることに安堵した。勿論、SNSの世界がすべてではないことは理解している。それでも、SNSという広い海で接点をもち関わりが増えるほど、まったくの他人とは思えなくなっていく。そんな人が、ある日を境にぱたりと姿を見せなくなると驚くし心配にもなるだろう。実際に、Xで知り合った同業者の方々とも話し心配していたので、今回は嬉しい出来事だった。

フリーランスのライターとして働き始めると同時に開設したXのアカウントは、来月で5年目を迎える。見かけなくなった人も、少なからずいる。しかし、SNSを去った理由が必ずしもマイナスなものだとは限らない。働き方であれ仕事のとり方であれ、世の中にはたくさんの選択肢がある。自分にとって、心地の良い方法を見つけたのかもしれない(そうであってほしい)。正直、生きて元気に日常を送ってくれているのであれば、何だっていいとも思う。

関りが薄れることへの寂しさはあるが、私に彼(彼女)らを引きとめる権利はない。だから、どこかでまたご縁があることを信じて、勝手に願っていようと思う。よく食べよく寝て、できるだけ穏やかに過ごせていますようにと。

そういう自分も、フリーランスという荒波に揉まれて沈まないように、もがき続けなければいけないのだけれど(もう必死よ)。

最後まで読んでいただきありがとうございました。