見出し画像

なぜ人は勉強するのか

今回も前回に引き続き勉強に関する話題なのですが、今回は小中高生向けの本でした。なぜ大人たちは勉強は大事と口酸っぱくして言うのでしょう。
僕は昔は勉強は嫌いでした。
英語は海外ドラマを中学生の頃から見てたので得意でしたが、それ以外はマジで意味がわかりませんでした。高校生の頃は三角関数を理解できなさすぎてテキストを地面にたたきつけました。


そんな僕の学歴としては小学生の時に出身高校の附属中学を受験して見事に落ちまして、公立中学校に進学してここでバドミントンを始めます。
そして高校は先ほど言ったような中学受験で失敗した学校の附属高校に進学しました。理由としてはそこがバドミントン が強かったというのもありますが、家から一番近かったというのが一番大きい理由です。僕の地元の佐賀県では田舎すぎてこの市にはそもそもこの高校しかありませんでした。隣の市の高校に行くには1h位かかりました。そしてそこで一応進学校でしたがバドミントンでインターハイに行くために毎日一生懸命勉強しました。そしてインターハイには個人でも団体でも行けませんでしたが、九州大会には無事に行けました。
そして7月に引退しまして、そこから人生で一番勉強しました。確かリアルに12-13hはやっていたと思います。受験勉強前河合塾の全統模試では英語65/数学40/国語50/日本史60/政治経済65くらいだったと思います。数学が壊滅出来にできなかったのでとりあえず55まで引き上げて残りは得意な文系科目で勝負しました。ここで一生懸命耐えて今通ってる大学(広○大学)に合格しましたが、受けた私立は2つ撃沈(明治の政治経済と早稲田の国際教養)し、滑り止めの西南学院だけ合格したので決して賢くはなく受験は部活で培った体育会系のマインドをベースとした気合で済ましてきた人間のように思います

しかし大学に入ってからは勉強は全くしなくなりました。勉強と言えるものは試験前のレポートとテスト前にレジュメを読むほどです。一回生の頃は勉強したくなさすぎて雨が降ったら1限は自主休講にするほど嫌いでした。しかし、TOEICを初めて受験して600点でしたが、周りはもっと高くて英語は割と得意だったのに絶望しました。そしてその後紆余曲折あってプログラミングに出会って勉強してIT企業からSE職のスキル採用として内定をいただけるほどには勉強しました。カナダにいるときはクラスメイトに可愛い中国人がいたのでデートに誘うために中国語を一生懸命勉強しました(第二外語で中国語の講義は取ってたのである程度の基礎はありました)そのおかげで今は発音やリスニングは衰えましたが、読み書きは中国語のニュース記事読めたりチャットできるほどには向上しました。

そして社会人の勉強となれば色々あると思いますが、僕の中の仮説で地方に行けば行くほど大人は勉強しません。これは実家にいた時は気づかなかったのですが、勉強というものは大学生で終えるものだと考えていました。しかしいざ上京してみると勉強している社会人の後ろ姿に衝撃を覚えました。社会人で英語を勉強するのは国際的な事業に関与している人か日系では楽天とかその辺りだけだと思ってたのです。実家にいたとき身の回りの大人で勉強してた大人は父親(英語はさっぱりだが台湾語が話せAdobe勉強中)と親戚の中学の先生(数学)しか知りませんでした。

そしてここから今回読んだ本の要点になります
「僕たち、どうして勉強するの?」(古市幸雄著)

世の中の大人たちの仕事に対する不満は以下の3点に分けられる
1・学歴不足
2・給与への不満
3・これよりいい仕事が見つからない

大人は勉強しろと言ってくるが本人たちはテレビなどに夢中になってしまっている。これでは全くの示しがついておらず、おそらく勉強の大切さは理解しているはずなのに本当は勉強したくないんじゃないか

作者は神奈川県お田舎では頭がいい存在として見られていたが、県全体での模試では49などのいわゆる井の中の蛙状態だった。
これ個人的になんとなく理解できます。僕の実家の佐賀県では高校3年生になると県である程度の国公立(東大〜岡大や千葉と医学部志望)や難関私立(早慶や国際教養)を志望する生徒は集められて予備校の講義を無料で聴くことができる制度になっていましたが、僕らの高校と県のトップ校はかなり学力的に開きがありました。しかも佐賀県では学区制なのでその高校に行きたくてもその地域にいる子供より良い点をとらないと進学できない制度になっていました。

大学生になると勉強をしなくなり、アルバイトとテレビに勤しんでいた。しかしこれでは子供の頃に不思議に思っていた大人たちと同じであった。
つまり「勉強しないで困っている大人」それ自身だった

人は本気になって勉強するためには身銭を切る必要がある
僕も本を読むためにKIndle Unlimitedを契約して、毎朝の経済ニュースはテレビ東京のBODを通して見ているので身銭を切って勉強する意味はなんとなく理解できます。プログラミングも自分でMacAirを買ってUdemyの講座を身銭切って勉強しているので本気になれました。ただし大学の学費は親と折半してるのですが身が入らないのはこのせいでしょうか?卒論の内容(カウンターカルチャー)は好きなので本気になれますが、それ以外の講義には全く身が入りませんでした。

家庭の事情で勉強できなかったというのは社会からしたらそんな事情は理解されない。結局損をするのは自分自身なのだからある程度やるしかない。
これで思いつくのは結構前の話だが大阪の私立高校生が橋下知事に学費が高いですと泣きついていたことだった。僕は当時意味がわからなかった。公立や国立の高校が全てのレベル高いわけではない。低いとこだと偏差値40を切るとこもあるだろう。この子たちにも選択する自由はあったはずだ。なのに学費が高いだの泣きついてることは自分の人生への当事者意識が全く足りないと思うのだ。ちなみに当時の橋下さんは「君たちはもう義務教育を受ける人間じゃない。そんなことくらい理解してなさい。」と言っていた。
正直惚れた

大学入試は日常生活でこんなの使わないと批判されるがそういうものだと割り切るべき
まぁ日常使うっていうかアカデミックなものが応用されて今の僕たちの生活を形成しているのでなんとも言えないのですが、、、

この本で一番身に染みたのはここです。『僕に言わせれば、会社勤めしている人間が、労働時間中に一所懸命働くのは当たり前です。僕が不思議に思うのは、「どうしてこの4年間、この人はスキルアップのために勉強をしてこなかったのか?」ということです。』確かにそうです。世の中スキルアップするためには勉強するしかありません。以前手取り14万円問題でホリエモンさんが批判していましたが、これは至極真っ当です。がんばってないのに「社会が悪いんだ」などとほざくことは21歳の僕から見てもふざけています。これでいや私の方が低いだのなんだの言っている人たちは結局何がしたいのか。その時間でできることあるだろと言いたくなってしまいます。

勉強することによって仕事の選択肢が大きく与えられる
まぁこれは高卒と大卒の就職などを見てみるとわかりますね。転職市場はちょっとわかりませんが。この前地元の友人にあったときに「高卒が仕事してるから偉い」などという謎マウントを取れられましたが、そもそもこっちはそんなこと考えていません。勝手な思い込みすぎて突っ込みました

勉強をすると必ずその本人はレベルアップする。自己投資をするのも一緒。株や信託やFXみたいに元本割れの可能性はないのだから実質最強

大人になると、多くの人が「成功者=お金持ちになること」と考える。しかし必ずしもそうではない。やはり、一番大切なことは人生でやりたいことをすること。一度しかない人生なのですから……。
ちなみに僕は夢というものは人間の視座の高さでコロコロ変わるのであまり持っても意味ないと思います。現実問題学生と社会人との職業知識は大きく異なります。なので僕は夢は持たずに目標を持つようにしています。
今のところ目標は8年間(新卒で入った会社5年ともう一社3年)は社会人として働いて30歳になると独立したいと考えています。できればテレワークできる環境で独立をしたいと考えています。そのために勉強をしないといけないわけですね。

与えられた環境でベストを尽くせ

今回はこれで以上です。僕の親は勉強に対してあれこれ言うタイプではありませんでしたが、好きなことはベストを尽くしなさいとだけは厳しく教えられました。なのでその教育は勉強でなく結構良い影響受けたなって考えています。内定先では自分のやりたいと思っていたことができそうなのでそこでベストを尽くしてもう一社で経験を積んで30歳に無事独立できるようにがんばっていきたいと思います。


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?