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人の欲求とルートボックスってメンヘラの恋人みたいな関係ですね

毎年人気のルートボックス商品が出たら思う事。

ルートボックス(ガチャ)というのは辛いもので100円でパリ旅行へ行ける人もいれば、10万円でティッシュしか出ない人もいる。その為に人は「投資」をする。

その「投資」を最小限にしたいと言う考え方は至極当然の思考だと思う。

名古屋グランパスは非常にうまくルートボックスビジネスをしている。隣県の球団に試合を見に行く時に自分も他球団のルートボックス商品を購入するが、名古屋ほどの熱量の人達にはあまり出会わない。

原価率等の詳しいお金の話はわからないが、商品が更新されていくという事は利益はマイナスではないんだと思う。

ちょっと考える


ここで名古屋グランパスのルートボックス商品は果たして、「試行回数を増やし、金額を回収する為だけの商品」なのか?と言う事を考えてみる。

「安価な商品が定期的に変わる」と言う事は「商品を得る事実」と「商品を手にするプロセスと感情」を作り出したい事が見てとれる。

一喜一憂する事象がある事でスタジアムや球団という物に強い印象をつける事ができる。「なにかあった試合」は誰でも強い印象が残っていると思う。

そこで、おそらく人の世話が好きな人はこういう発想になるだろう。「自分はお金があるから先にルートボックスを開封してみんなに配ってあげよう。」と。

そう、「目的の商品を手にする」と言う行為という点では着地点は同じ。

しかし、一喜一憂の一憂を消す事が全人類悲願の夢!という訳ではないのかなって。

子どもの頃、大人になる第一歩として「大人と同じ事、自分でなにかをする事」に喜びを感じて生きていた。そんな時代が僕にはあった。

失敗しても成功しても、行動自体が印象に残る。そしてどこからともなく誰かわからない大人が手をさしのべてくれた。

一憂を消す優しさはそれと同時に、球団が想定してる「強化因子」をつけるというチャンスを沢山潰しているという事は事実として受け入れなければいけないよな。と

lemonみたいな日

僕には忘れられない光景がある。


それは名古屋グランパスがマスクケースガチャを販売した試合。あの日はSNSでも「マスクケース以外に使い道がある!」と話題になり、かなりの行列が早い段階で試合会場に形成され、開場時間のかなり前には売り切れていた。

自分は同行者と共に買いにいきましょうと言う約束をしていたので、合流後見にいくと売り切れ。

その目の前には売り切れに立ち尽くすお父さんと膝から崩れ落ちていた小学校低学年ぐらいの小さなサポーターの姿が。

マスクを常にするのも苦しいし大変な環境の中、学校で頑張ってマスクをすればマスクケースが使える。

彼はもしかするとそんな気持ちを抱きながらマスクをする事を頑張ろうと思っていたのかもしれない。

膝から崩れ落ちている彼をみて「コロナ禍で皆我慢して頑張ってる中で、しわ寄せが、将来球団の力になる原石にくるのはなんでなんだ。」とやるせない気持ちになった。

その周りでは札束を数えるかのようにマスクケースを広げている大人達の姿。

恐らくあの瞬間を切り取ればピューリッツァー賞が取れた

「早く来ればいいだけの話」

そんな声もあるだろう。しかし、家庭を持ってる人は家族の生活の都合があるだろう。いわゆる社会的弱者のくくりに入る人達だ。

僕は社会的弱者の人達に「悔しかったらここまで来てみろ!」なんてケツを見せながら唾を吐く事はできない。

どうすれば良いんでしょうね


良い解決策はないのか?ルートボックス自体をやめたら?と言う話にもなってくるだろう。

そもそも世界が核廃絶ができないように「みんな一斉にモラルや暗黙のルールをまもる」なんて事は不可能だ。

そうなれば「本当の優しさ」がある大人達がルールを守り、少し我慢し。本当の優しさを周りに伝えていくしかない。

正直者がバカを見る事になるが、だれかがバカを見ないと変えれるものも変わらない。

球団も難しい対応しなきゃいけないのがぴえん

売りたい気持ちはあるから制限ができない「ぴえん超えてぱおん」な球団側の懸念も少し考えてみる。

「商品の在庫が尽きる時間が早まる」と「不満に思う人の数が絶対的に増加する」その事により「商品の需要数の球団側のデータが増える」そして「商品の種類が変わってもデータ数は増加のまま生産する」→「需要数がそもそも一時的な上がり方なのでどこかで余剰がでる」→「シーズン終わりに商品更新が無いor廃棄、福袋」

最後に

試合終わりまでルートボックスが残ってる鯱の祭典だといいですね。

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