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深夜0時のファミレス

という記事を過去に書いたことを思い出した。

文章を書く習慣というのはいいもので、時々ふっと自分の記憶の中から、昔書いた言葉や風景たちが思いもよらずに飛び出してくる。まさしく今みたいに。

今、最寄駅の反対側へ歩いて10分ほどの場所にあるファミレスで、ひとりパソコンに向かって永遠と言葉を紡ぎ続けている。深夜のファミレスはいい。

よく、眠れない夜にひとりでファミレスにいき、ドリンクバーを頼みつつ永遠とパソコンの画面に向き合う時間を過ごす。

深夜のファミレスというのは、都会感の現実と、非日常の境目にあるような場所で、どこか幻想的な気持ちになる。

ひとりで家にいて眠れずに過ごす夜を考えると、こうしてファミレスの「誰もが孤独な他人」を生きる場所で、世界を感じながら過ごしていた方がよっぽど楽な気持ちになる。孤独な他人だけれど、人がいるのだ。

思い返すとよく深夜のファミレスに入り浸っているのだなあと。
思いがけずに以前書いたブログを漁ってみたりする。

深夜にひとりでファミレスに入り浸る時間というのは、あるいは自分の中の「何か」に向き合って、それがどこかに結びついている感覚をひとつひとつ確かめるように手繰り寄せることができる場所というのは、人々のもうひとつの側面を確かに支えているような気もする。

深夜の店員さんたちはどこか気怠さを纏いながらも、それらを出さないように忙しなく働いていて、少し疲れたおばさんがフロア中を動き回っている。僕の注文をとってくれたのは(「ドリンクバーをおひとつ」)、おそらく僕より年下のお姉さんだった。大学生くらいか。

この世界もまた一つのリアルで、僕らを支えているのだと思うと、なんだか嬉しい気持ちになる。社会につながっている実感を与えてくれる場所なんだと思う。少々エモいか。

こんなことをしていると、日曜日の深夜が月曜日に日付が変わって、明日は仕事だ、なんてことを考える。明日の朝は京都だ。そろそろ帰って暖かいお風呂に浸かって眠ろうか。

都会の11月は寒い。本格的な冬はまだなのに。

外に出ると冷たい風が心地よい。

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