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寄り添わないが時として

ハマ・オカモトさんを見ていると相手に合わせて魅力を引き出すのがめちゃくちゃ上手な人なんだなぁと思います。これは現代フットボールの世界で言えば、like カルロ・アンチェロッティで、自分で言うのもなんですが絶妙な例えだと思います。フットボールばかりで物事考えてる僕の中のオタクが我慢できませんでした。

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GLIM SPANKYを知ったのは5年前に聴いた「褒めろよ」がきっかけで、当時17歳の僕は歌っている詩の奥深さも知らずに、ただサウンドとして彼らの音楽を楽しんでいたと思う。しかし何よりレミ譲の歌声に惹かれたことをただ憶えているし、ここまで人の声を羨ましく思ったことはない。どのくらい羨ましく思ったのかをまた例えたくなったけど、ここは我慢。フットボール馬鹿の自分を褒めてあげたい。

あの頃と今で曲の聴き方や感じ方に違いが生まれるのはよくある話で、5年経って彼らの音楽をちゃんと聴きにきた。

グリムのインタビューを読み漁り、ロックと音楽に対する彼らの姿勢を知った今、どうやら彼らが本物であることに間違いはないらしい。音楽やロックについてあれこれ言うことは出来ない。がこれはクールで僕は絶対に踊らされてないし、あの時インスタライブにいた1000人の本物のロックファンと僕は切実に繋がりたい。

いつになっても、彼らの音楽はどこまでも寄り添ってくれないが、その態度がクールでイカしていることは、彼らが彼らのスタイルに絶対的な自信を持ち、ロックで一番重要な形容詞だという「カッコいい」を謳っているからだろう。

彼らはオーディエンスには媚びない。「フットボール批評」でバンドとしての音楽性の追求とファンとの関係性について亀さんが述べていたように、「ファンに寄り添う」が重要でない時がある。手が届かないからかっこいい。と今はTLに流れてきたDEF.DIVAを見てそう思う。圧倒的ゴマキ。

これは紛れもないフットボールの文脈。

この難しい時期、僕が今考えているように彼らもまた「どうしたらぶっ飛べるのか」を考えていると思う。日常と普段使いに溢れるようになった最近を見て、僕のように違和感を覚えている人は少なからずいる。「ファンに寄り添う」が何よりも大事な僕たちの国のクラブは正直どこも似ている。が、もはや今更僕がそれを言ったところで何も生まれないことは承知で、もうこれっきりにしようと思っている。

音楽であれば聴き手にも感性や理解が必要というのは、インスタライブでのレミ譲の「リリースしても反応が薄い。どうして何で?」が物語っていた。

フットボールで一番重要なのが「勝利」だとしたら、ピッチ内外のあれこれを見る受け手の僕らファン・サポーターにもそれは必要だという。Jリーグの文脈ではなくフットボールの文脈でまずは受け取る必要があるから。

だから僕が感性を磨いて視野を広げるためにもカメラを手に取ったのは正解だった。今は格段とフットボールが上手くなった気がするし、ケビン・デブライネ並みのスルーパスが出せると思う。大事なボケだから2回言うけど、ケビン・デブライネ並みのスルーパスが出せると思う。

まいったな2020年のこの時期

23歳になった僕に今一番刺さる曲。






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