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インドで10日間瞑想合宿して5%くらい悟った話 Vol.1

インドで1日あたり10時間、10日間ひたすら瞑想し続け、5%くらい悟りを開いた話。その10日間の記憶を辿り日記帳でまとめました。訳は後で説明しますがその間メモを取ることも禁止されていたのと英語でコース受けたこともあり、すべてが正しく書かれているとは限らないのであしからず。あくまで僕が僕なりに理解し、解釈したことの個人の経験談です。日本で広がり、私たちの文化の一部として生活に溶け込んでいる仏教というものがどういうものであるか、瞑想とは何なのか、そして瞑想合宿ガチきつくて二度とやらないけどやってよかったって内容です。続けてその考察と感想、僕の人生哲学的なモノも続けて書いたので、トイレでクソでもしながら暇つぶしにでも読んでもらえたらと思います。


僕と中学の同級生である石橋は1月末にインドの首都デリーに降り立ちそこから西へ、Rajasthan 州のJodhpurに訪れた。タール砂漠の玄関口となるこの街は青一色で統一された街並みや岩山の上に築かれた不落の砦メヘランガー宮殿などが有名。というのもここJodhpur、ワンピースのアラバスタ王国のモデルの町ともいわれており、この城砦や時計台など、いくつもアイコニックな建物が作中に登場する。この街で数日間人並みに観光し、Jodhpur Jct.駅 から東へ34時間の電車旅を経て、Bihar州Rajgirへたどり着いた。

ここBihar州は、仏教の祖ゴーダマが悟りを開き仏陀となったブッダガヤをはじめとするいくつもの仏教の聖地、遺跡が多く存在する。Rajgirに着くなり駅を出て本日の宿を目指す。駅から大通りに伸びる道にはいくつかレストランにふらっと立ち寄りメニューを頼む。店員は壁に描かれたオールヒンディーのメニューを指さした。他の都市では大抵英語のメニューを渡されるが、ここには観光地化の波は届いて無いようだ。街の規模もデリーやジョードプルと比べるとうんと小さい。車が絶え間なく行き交う大通りの両サイドにショップや屋台が立ち並ぶが、ジョードプルのような住宅街やデリーのような高層の建物は一切見当たらない。遠くには岩肌が剥き出しの二つの山と青々とした緑が広がっていた。声をかけてくるリキシャ乗りや馬車乗りを振り切り目当てのホテルに向かって歩いていく。

着いたホテルは、大通りと恐らくメインと思われるマーケットストリートにぶつかる交差点に見つかった。フロントでチェックインをすまし部屋に入る。ベッドや。思わずはしゃいでベッドに飛び込んだが、期待していた飛び跳ねるようなスプリングは一切ない硬めのマットレス。体に直に伝わる衝撃で我に返りここがインドである事を思い出す。『電車のシートに比べればいくらかマシか。』そんな事を石橋と言いながら、その日は洗濯をしたり屋上で本を読んだり、街ブラをしたりとゆっくり過ごした。

次の日の朝。目の前の大通りから響くクラクションの音に目を覚ます。屋上に出ると煙なのか、なにかのガスなのか分からないが視界が曇り遠くまで見渡せない。表に出ると屋台では大鍋に次々と生地が投げ込まれ油の中で踊る。その屋台の周りに人が群がり、牛がのそのそと道を闊歩し、カラスが高らかに歌い、野良犬たちは唸り声をあげ喧嘩している。街の規模は違うともここはどこも一緒、おなじみの朝の光景だ。グッドモーニングインディア。

宿に戻り、身支度を終わらせチェックアウトを済ますとホテルの足元にあるバスターミナルで「Nalanda に行きたい」と伝え、招かれるままにバスに乗り込む。Nalanda は14キロほど北に登った遺跡群で有名な観光地。5世紀には王朝の首都として栄えた。目玉は、太古の仏教学問施設跡。今でいう大学みたいなものだ。世界各地から智を求めた10000人もの学生が集ったそう。あの有名な三蔵法師も中国からここまではるばる来て仏教を学んだとか。

しかし僕たちがここにきた目的は遺跡観光ではない。

「何々遺跡にいくか?」                      「何々メモリアルにいくか?」

と声をかけてくるリキシャ乗りを軽くあしらいながら道ゆく人に

「Vipassana meditation center はどっち?」

と尋ねながら目的地を探して歩を進めていく。Vipassana meditation center は文字通りMeditation (瞑想)をするための専用の施設。そうです、言うたらバリバリ宗教施設です。今では日本を含む東アジアの多くの国々これらは点在するが、インドに行く計画が上がった時、折角なので仏教開教の国で本場の瞑想を学ぼうとなり、日程と場所的に一番適していたメディテーションセンターがここNalandaに見つかり、すぐさまここで学ぶ事に決めたのである。

2人とも仏教徒であるわけでもなく、どちらかと言うと無神論者のスタンスをとっていたが、以前から瞑想には興味があった。昨今では瞑想に対する科学的な研究も進み、集中力向上やストレスの緩和など幾つもの効果が証明されていて、Googleなどの世界のトップ企業でもオフィスに瞑想スペースを設け社員の生産性向上の為に推奨してるとの話を聞いたことがある。現に石橋は日頃から集中力向上の為瞑想を取り入れていて、ほぼ毎日やってるそうだ。

僕、個人的にもこれまで他の国であった沢山のバックパッカー達が何人も瞑想をホステルでやっていて、気にはなっていた。このVipassana瞑想を知るきっかけになったのも彼らからの薦めだった。

やっとこさ見つけたお目当ての施設は、観光客狙いの出店や屋台が立ち並ぶメインストリートの喧騒から外れた脇道を1キロほど進んだ先、大きな湖の前にひっそりと佇んでいた。入り口の守衛に示唆されるまま帳簿に名前、日付、到着時間等書き込み、最後にサインをした。ここに入ったら、基本的にはコース終了日まで敷地内の門を跨ぐことは許されない。10日経たずにここを出る例外は非常時とコースリタイアのみである。一度息を深く吸い込み、施設に足を踏み入れた。


「く」の字をした敷地は宿舎、瞑想ホール、広場があり、ちょうど「く」の字の真ん中、角の辺りに瞑想ホールが位置する。すでに何人かの男たちが芝生の上で暇そうに寝転がっていた。オフィスにて名を名乗り、コースの申し込み手続きを進める。

世の中には幾つもの瞑想テクニックが存在するが、ここでの受ける10days Vipassana meditation courseは、vipassanaと呼ばれるゴーダマ(仏陀が悟る前の一般ピーポーだった時の名前)が悟りを開いた際に行っていた瞑想を(色々な宗派や瞑想のテクニックがそれこそ主流であると主張しているので正直なとこはわからないが。)10日間と言う短い期間でその基礎を徹底的に叩き込む。

そのため規律やスケジュールは修行僧さながらでとても厳しいものであった。

4時     起床の鐘
4時半    瞑想
6時半    朝食、休憩
8時     瞑想
9時     瞑想
11時   昼食、休憩
12時   講師との面談及び休憩
13時   瞑想
14時半  瞑想
15時半  瞑想
17時      ティーブレイク
18時         瞑想
19時      ビデオ説法
20時半     瞑想
21時      講師との面談もしくは自室で就寝準備
21時半     消灯



スケジュール間は鐘の音で区切られ、それぞれ5分から10分の休憩時間が与えられる。10日間このスケジュールを軸に約10時間じっと座り、自分と見つめ合のだ。これに加え、さらに瞑想に集中し効果を高めるための厳しい規律で締め上げられる。そのうちの一つである “Nobel silence” (高貴な沈黙)は特に徹底しなければならなかった。 精神を静寂に保ち、瞑想に集中する為に他人とのコミュニケーションは一切禁止となる。ここで示すコミュニケーションとは、話す、書く、読む、ジェスチャー、そしてアイコンタクトを含む他人との関わる行為であり、完全な孤独に徹する事が求められる。唯一許されたコミュニケーションは、面談の時間の講師に対する質問と何か瞑想以外の面で物質的に困った場合のマネジメントへの相談だ。確かに他人との関わりは瞑想の際に邪魔になると身をもって感じる出来事があったがそれについては後で語るとしよう。


運動を含む周りの人の集中を乱すようにみだりに音を立てる行為、音楽等も禁じられ、唯一施設内を歩くことのみが許された。この唯一許された運動である散歩は、宿舎前にある広場で行われた。直径30メートルほどの半円の芝生スペースを皆グルグルと回り続ける、これが10日間の唯一の娯楽になる。


10日間過ごす宿舎の各部屋には二人ずつ振り分けられ、ベッドが二つ、小さな机、洗面台、ユニットバスのみの必要最低限のものがある粗末なもの。基本的に電気は止まっており、したがってシャワーも冷水であった。今回はストイックに行こうと決めこみ、マネジメントには「僕たち二人は別部屋で」と頼み込んだ。結果、僕のルーミーはフランス人、石橋のルーミーはいい奴そうなインド人と10日間共にすることに。まぁ、どのみちコミュニケーション禁止なのでいてもいなくても変わらない空気みたいなものなんですが。

敷地内、「く」の字の角の部分の瞑想ホールから左右に男女の居住エリアが隔てられている。もちろん分けられたテレトリーを侵すことは厳しく禁じられ、異性間の交流はご法度。理由はまぁ、言わなくても分かるでしょう。

最後にもう一つ、仏教の重要な教義である「五戒」を遵守することも強調された。五戒とは
1 殺さない
2 嘘をつかない
3 盗まない
4 あらゆる性的な行為を行わない
5 あらゆる精神効果を有するものを服用しない



手続きを終えると、コース終了時に返却するということで規律に反する電子機器、本、また貴重品を集め袋に入れ没収された。コースのスタートは明日だったが、この時点で敷地内から出ることは禁じられ、 

「今夜の8時からNoble silence は始められる。それまでゆっくりしてれ」 

とマネジメントスタッフは微笑んだ。


12時頃に施設についた俺たちは手持ち無沙汰に与えられた8時間をどうしていいか戸惑い、ただぼうっと芝生に座り過ごしていた。暇さえあれば、インドで見た事象に対する推察や、何気ない事に対する疑問を止めどなく語り合っていた僕らであったが10日間の沈黙に準備する様に次第に口数も減っていった。

午後5時、次第に日が傾き始め、芝生に座る僕らの顔を瞑想ホールの背後から差す強い西日が照らした。

「石橋、今日の夕日綺麗かも」 

石橋を誘い2人で広場から西日の差し込む瞑想ホールの方に向かうと、その二階建ての建物にバルコニーとも言える屋上部分がある事に気付いた。登ってみると目の前に広がっていたのは湖であった。

大部分を水草に覆われていたが、所々から顔を覗かす水面に太陽の光が跳ね返りキラキラと輝いた。白、黒、沢山の水鳥が集まり高らかに鳴き声を響かせ、群をなしてまた飛び去っていく。向こう岸にはポツポツと生える木、その背後には何も高い建物は見当たらなかった。

「美しいな」                            

相変わらず口数が少なめな僕たちはボソッ呟き、それっきり暫くの間黙って湖を見つめていた。刻々と太陽は背をかがめていき、次第に白く強く光っていた輝きは煌々としたオレンジ色へと色づいてゆく。白くぼやけていたその輪郭であったが色が変わるにつれてその形もまん丸に変わった。丸く、オレンジに燃える太陽は次第に周りの空にも彩りを与え、薄らと暖色を帯びる。

「この空って何色だと思う」 

そんなことをどちらかが言い出すとまたいつものようにあーでもないこーでもないと会話が弾み始めた。

「この時間帯ってティーブレイクの時間帯だよな、てことは俺らここで毎日夕陽見れるじゃん。」

「確かに。この時間は毎日ここ来るな、確実に。」

「おけ、約束しようぜ。2人とも絶対に最後までやり抜くって。それと終わるまで絶対にお互い喋りかけないって。」

「もちろん。目も合わせない。」

石橋はそう返して差し出した僕の右手を強く握った。向こう岸の木の影に太陽が姿を消してからしばらく経った空がより一層オレンジに色付いて来た。

トワイライト。さらに10分ほどで辺りは真っ暗になった。


1日目                               カーンカーンカーンカーンカーン。5回の鐘が響き起床の刻を告げる。眠い目を擦りながら、瞑想ホールに集まり、申し込み時に振り分けられた番号、20番の座布団の上にあぐらをかく。起きているのか寝ているのかよくわからない状態のままひたすら目を瞑りじっと2時間、時が過ぎるのを耐えた。

6時半、瞑想ホールの一階が男性陣の食事をする食堂となっている。朝に支給されるものはチャイ、何かはわからない穀物、豆類、バナナ。いずれもインドらしくスパイスで味付けされていて、それぞれがセルフで器に取り、黙々食事をする。

8時。瞑想を始める前に講師が5分ほどインストラクションを行う。いろいろ言っていたが要は「鼻で息をして、呼吸に意識を集中しろ」とのことだった。それから鐘がなるまで座布団に自分を縛り付けたように座り続けた。足はすぐに痺れ、姿勢を保とうとする背中、腰、首は悲鳴を上げていた。時間が過ぎるのが異常に遅く感じる。痛みに耐え、頻繁に姿勢を変えながら懸命に息に意識を集中しようと思うが、どうやればいいのがわからない。

まさしく枝だから枝へと飛び移る猿のように、頭の中で連想ゲームさながら次から次へと考えがめぐる。目を瞑ることいつもよりも激しく脳が回転してるのを感じ、いくら息を感じようとしてもだめだった。心の中で「吸って、吐いて」ととなえつづけ言葉に意識を置くことで少しずつ集中できるようになっていった。

昼食は、米、北インドの主食であるパンであるロティ、主菜、副菜1、副菜2、サラダと朝食に比べいくらか品数が多く、朝と比べると豪勢なものであった。昼休みは芝生で昼寝をし、広場をひたすらグルグルと歩いて過ごした。その後も続く瞑想に4時間耐え続け夕方の17時。鐘の音でティーブレイクの食堂へ降りると用意されてるのはチャイ、バナナ、小さな揚げカスとピーナツ。以上。夕食が無いことは予定を見て覚悟はしていたが、ちゃんとなかった。バナナ二本を口に放り込み、あっついチャイを啜り、流し込む。

そして楽しみにしていた夕日の時間だ。そのままバルコニーに上がるなり、西の湖の方を眺めると昨日と同じようオレンジに燃える太陽。見ていると石橋も登って来た。2人とも互いの存在は認識している。ただ目を合わせずに黙って、移り変わる空、映り込む湖、水鳥たちを眺めていた。同じ瞬間、同じ景色を共有し、同じものを感じているけれどそれを口に出して共感出来ないことに凄くもどかしさを感じた。そして鐘の音が響き、僕らは瞑想ホールへと戻っていった。

19時。僕らを含めた全部で7人は英語でコースを受けているため、瞑想ホールと同じ建物の一階にあるオフィスのさらに奥にある部屋でビデオ説法を見る。その他のインド人達はヒンディー語での説法ビデオを瞑想ホールのスクリーンで見る。アシスタントに引率され案内されたカビ臭い部屋。

テレビに映し出されたのは、小太りの男が映るハンディカムで撮られたホームビデオ感満載の説法動画。編集のクオリティの低さが、どこかの新興宗教のような胡散臭い雰囲気を醸し出していた。ゴエンカと名乗る男は訛った英語で雄弁に語り出した。


Vipassana瞑想は、宗教の昔から続くしきたりに基く儀式などではなく、人の苦痛を緩和するテクニックである。すなわちこれは信仰する宗教に関わらない普遍的なものであり、いかなる宗教の者も学ぶことができる。これまでも多くの賢者達は苦しみや惨めさは、ものごとを渇望することを根源であると気付いていた。しかしその中でも仏陀だけが唯一その渇望を抑える方法にたどり着き、悟りを開いた。その渇望とは自分たちの内側、マインドから生まれる。過去の記憶の中の後悔やイメージした未来の不安は自らの頭の中で作られたものである。それらのものは、何かを求めたり、何かを逃れたいという思いに変化し心の底の苦しみの種を呼び起こす。だからこそ現実、今この瞬間に集中するのだ。マインドで作られたものでない現実とは何か。呼吸である。息を吸い吐き出すという動作は、今この瞬間に起きていることであり頭によって作られてない。そして呼吸に集中するとは上唇をボトムとした鼻を結んだこの三角形の地帯で実際に通る息を感じることである。決して深呼吸など意識をした呼吸をせず、あるがままの呼吸を感じるのだ。「吸って、吐いて」と頭の中で繰り返す、目を瞑り神や聖人をイメージする、また教義をとなえたりするなど、いくつもの瞑想があるがこれも結局、頭の中で創り上げたものでリアルでない。さらにしばしばそれらの瞑想では、ある特定の宗教を信じる集団のみが解放されるということがあるが、そんなことは間違っている。苦しみや惨めさは普遍的なものである。したがって、苦しみの解放と普遍的なものでなければならない。」

説法終了後、本日最後のセッションを終えた。9時になり部屋に戻りベッドに倒れ込んだ。後9日間、逃げ出さずこれに耐え切れるだろうか。

ー続くー


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