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インドで10日間瞑想合宿して5%くらい悟った話 vol.4

9日目
「明日の10時にNoble silenceは終了する。今日が本格的に瞑想に向き合う最後の日になる。」

その言葉に心の中で喜びのガッツポーズをかます。しかしその日の瞑想は昨日の言葉が気になり、なかなか自分の身体に意識に集中する事が難しかった。ここでもNoble silenceの重要さを気づかされる。幸せとはなんだろうか。仏陀の説いた苦しみからの解放、幸せは僕の目指しているものなのだろうか。そもそも人生の意味とは。そんな事を考えていると鐘の音がなる。

気づけば5時のティーブレイクが過ぎ、辺りは暗くなっていた。この日は満月。まん丸の月が東の空に怪しく浮かび上がっている。ぼんやりと月を見ながら今までの事を思い出してみた。決まったスケジュールで特に大きなイベントも起きないので1日目から今日まですごく長くも感じるが、あっという間にも感じる不思議な感覚。

人とコミュニケーションを取れないことの辛さ。同じ場、同じ瞬間を共有しながら思いを伝えられないもどかしさ。広場で何度も急に声に出して歌を歌いたい衝動にも駆られていた。そんな苦しみも明日の10時に終わる。

カーンカーンカーン。

本日最後の瞑想の時間を告げる鐘で我に帰り、瞑想ホールに向かって行った。

その日のビデオ説法


「全ての不幸せは自分に中に帰結する。起きた現状を受け入れ、心をニュートラルにただ観察しなさい。ある2人の子供が買い出しに牛乳を買った。しかし2人とも帰り道その瓶を溢してしまった。家に帰ったその子は半分減ってしまったと泣いている。他の子はお母さんにまだ半分残っていると誇らしげに話した。両者に起きた事は同じだがどう思うか一つである。他の例をあげよう。もしあなたが快く思わない人がいるとしよう。その人のここが気になる、ここが好きじゃない。いいでしょう。でも他の周りの人も同じようにその人に対して快くないと思っているか。もしそうじゃなければ、そのネガティビティはあなたの中から生まれたものだ。その人がこうだからでは無く、あなたがこう思うから嫌いなのである。全てを受け入れ、ただ観察するのだ。Vipassana 10Day コースも明日が最終日だ。明日は元の生活に戻るための緩衝材のような一日になる。」


10日目
遂にコース最終日。今日のスケジュールは今までと違う。
4時    起床の鐘
4時半   瞑想
6時半   朝食、休憩
8時    瞑想
9時    瞑想
10時     Noble silence終了、自由時間
11時    昼食及び休憩
14時半     瞑想
15時45分 自由時間
17時         ティーブレイク
18時         瞑想
19時       ビデオ説法
20時半       自由時間

4時の鐘の音で目を覚まし、瞑想ホールに集まる。2時間じっと瞑想に努め、朝食。8時から講師の瞑想指導含めた2時間座り、遂にこの瞬間がやってきた。10時、コミュニケーションの解放を告げる鐘の音が5回鳴り響いた。その瞬間石橋と目を合わす。これまでにない満面の笑みであった。

Nobel silence が終わると、初日に没収された物が返却され、共にコース受けていた人たちが携帯片手に次々に話しかけてきた。

みんなで広場の芝生の上に丸く円を描くように座り、初めて顔を合わせてから10日、自己紹介を行った。それぞれが名前、出身、このコースにきたきっかけ、このコース受けた感想を言い合った。英語を話せる奴がヒンディー語の自己紹介を英語に翻訳してくれ、また僕たちの英語の自己紹介をヒンディー語に翻訳してくれた。

石橋が自己紹介を始めるとみんな口々に“タマガワリバー”と唱えた。話をほとんど理解していない石橋が唯一講師と通じ合った奇妙な言葉に皆、興味津々だった。その後も自己紹介したのに関わらず、石橋はコーヘイよりもタマガワリバーの名で彼らから親しまれていた。

円を構成する僕らの中には仕事や学業に向けて集中力高めたい人、スポーツに活かしていきたい等、様々な理由できている人がいたが薬物やその他の依存症の治療に来ている人もちらほらいた。一通り自己紹介が終わると写真撮影タイムが始まる。写真大好きインド人、何枚撮るんだというほどグループ写真を撮り倒す。

十日目まで皆一度も話はしなかったが、同じ生活の乗り越え同じ釜の飯を食った仲間、僕たちの間には確実に絆ができていた。

鐘の音が鳴り、石橋や他のみんなと同じテーブルを囲み食事を共にする。この十日間食べたどの飯よりもはるかに美味しく感じる。さらに食べた感想を他の人に共有する喜びに浸る。ああ、喋れるって素晴らしい!!

17時ティーブレイクの鐘が鳴り、石橋と俺は食堂でチャイをもらうと急いであの屋上に上がった。2日目以降上がる事を禁じられたが、今日が約束の10日目、この日の夕日を楽しみにここまで黙って座り続けたと言っても過言ではない。

屋上に上がると強烈な西日が僕らの顔を照り付けた。沈みゆく太陽は次第に赤みを増してオレンジ色に染まっていく。水草に覆われた湖に所々から顔を覗かす水面に太陽からオレンジ色の一筋の線が伸びる。鳥の鳴き声、遠くから聞こえるヒンディー音楽、そしてトラクターのエンジン音。真上を見上げると淡い青をした空だが、西の空に向かってだんだんと淡さを増し白くなっていく、そして地平線の赤い空との衝突点で真白に変わる。美しい。沈みゆく太陽を見ながら石橋にこう言った。


「コース始まる前にここでした約束覚えてるか?2人とも目を合わせないし、最後まで絶対残るって。一時はどうなるかと思ったし、何度か話すこともあったけどこうして今ここで石橋と同じ夕日を見れて俺は素直に嬉しい。」


そう言いながら右手を差し出すと石橋はあの日よりも力強く俺の手を握り返した。

どこからか飛んできた渡り鳥の一群がまた湖に留まる。遠くから何千何万kとの距離を遥々飛んでここまでやってきたのだろう。彼らもまた僕たちと同じなのかもしれない。果てしない距離を黙々と風に乗り続け、やっと着いたこの水場で羽を休め、喉を潤し、共にここまで辿り着いた仲間を称え合う。

太陽が向こう岸の木の裏に隠れた後も熱いチャイをすすりながら湖を眺めていた。時間が経つにつれて沈んだ太陽が空に溶けていき、さらにはっきりとオレンジ色に空を染める。頭上の青い空、地平線の赤い空、それぞれから放たれた色の波動が混ざり合い空全体を薄紫のような雰囲気を醸し出す。


あ、飛んだ。                            また鳥の一群の影が色付いた空をバックに横切っていった。


19時、この日のビデオ説法は1日目からの瞑想理論の復習と善き人間であれとの内容であった。ビデオ説法のあと、同じく英語でコースを受けていたみんなにも話しかけた。メンバーは、インド人3人、バングラディシュ人1人、ロシア人1人、フランス人1人、そして僕たち日本人2人である。


「こんにちは、アリエタです、お名前はなんですか」


ロシア人と名乗った中年の女性は、流暢な日本語を話しかけてきた。色白金髪と僕たちが想像するスラヴ系ロシア人というよりも、顔つきは我々と同じくアジア系っぽい彼女。モンゴルに近いロシア国内の小国出身で、日本語を話す理由を聞いてみると1年間日本で勉強したそうだ。加えて中国語、英語、ロシア語、母国語、チベット古語、手話の6つの言語を操る。国を出てから10年以上幾つかの国に数年間移り住むノマド生活を続けていて、現在もインドの大学院でチベット仏教について勉強している。更に南インド出身の女性(南インドのタミル語を主言語としてる地域出身の為ヒンディー語はさっぱりだそう)アヌパマ、バングラデッシュ出身スリランカ育ちのお坊さんであるジトも交え、それぞれの名前の由来や国について話した。そのうちに人生や宗教の話へと段々とディープになっていく。そこで彼女に


「大学院で仏教について勉強してるんだよね?このVipassana は原始の仏教であり、正統な教えを忠実に守ってると語ってたけど、実際はどうなの?」


と尋ねると、一昨日から僕の心で引っかかっていた黒雲を吹き飛ばす答えが返ってきた。


「宗教に何も正しい、間違ってるってものはないと思います。どの宗教も説いている事は突き詰めると一緒です。どう生きていくか。大事なことは自分の生き方を見つけることですよ。宗教も医者と一緒と言ってましたよね。何か救いを求めて人々は宗教を信じる。患者も治療を求めて医者を訪ねる。もし病気や症状が良くなれば、患者はそれ以上薬や治療は必要ありません。宗教も一緒です。何か救いや自分の生き方を見つけたらそれ以上宗教は必要ないのです。治療が終わっても薬を取り続けると依存症になるよう、宗教に依存してはいけないと思います。宗教は生き方を見つける方法であって、生きる目的自体ではないと私は思います。

8日目に講師に尋ねてからモヤモヤとしていたモノが急に腑に落ちた気がした。話し込んでいると気づけば10時を回っていた。明日も4時起きであったので、ここらでお開きにしてそれぞれ部屋に戻った。

解放の朝
次の日の朝、朝四時の鐘で変わらずたたき起こされ、いつもビデオを見る部屋に集められた。そしていつもの雑な編集の説法でなく、きちんと編集された“Vipassana Global Pagota”というムンバイに建設される世界最大級の仏教パゴタの紹介VTRを見せられ、VTRの最後はお決まりの「みんなの寄付によってこのプロジェクトやってるから寄付ヨロシク」との内容だった。

その後、朝食を頂き部屋の掃除を済ませ施設を出る準備をした。このコースも特に定額の参加料は存在しないが、最終日に寄付があればオフィスの持ってくるようにとのスタンスだった。石橋と準備OK、寄付だけ入れて行くかとなったその時トラブル発生。石橋が預けていた貴重品にあるはずだった8000インドルピー(日本円で約12,000)がないという。しかし石橋は一切怒るそぶりを見せず、悲しんだ様子もなく淡々としていた。とりあえずオフィスなどいろんなところを探したがやはり見つからなかった。石橋はそれでも尚、荒ぶることなく単調に

「瞑想で言われた通り今起きた現象を受け止めて、オンリーオブザーブしてる、今。まぁ8000ルピーは確かに痛いけど、俺ら日本人がそれで破産するわけじゃない。必要としてる人が持ってると思えばいいさ。寄付する金はなくなったけど。」

苦しみながらもコースをやりぬいた石橋に瞑想の効果は確かに出ていた。あれだけコース中に繰り返された“Only observe”(反応せず、ただ観察する)も自然と僕たちの口癖となっていた。僕もインドルピーがたくさんある訳でもないので、とりあえずまだ換金せずに持ってた30 USドルを寄付した。

その後写真大好きインド人達との撮影会に巻き込まれ、いくつか写真を撮った後でみんなと握手を交わし施設の門に向かっていった。この門を跨いだ日がずっと昔なような気もするがつい昨日な気もする奇妙な感覚。

出ると守衛さんに入り日と同じように帳簿に記入を求められた。入り日に埋めた自分の欄に今日の日付と時刻、次の目的地、そしてサインを記入し、静かにペンを置いた。


『インドで10日間瞑想合宿して5%くらい悟った話』

ー完ー


続けて10日間終えて自分が人生について見つめ直したことを文字に起こしました是非読んでみてください。


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