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【私の本棚紹介】その3 徳富蘆花『不如帰』

久しぶりの更新です。

 今日は日本近代文学でも有名な作品、徳富蘆花の『不如帰』を振り返ってみます。
 出版された当時も実話に基づいた小説という事で相当センセーショナルな扱いを受けていたこの作品ですが、夫・川島武雄と妻・浪子のいじらしいほどの純愛、しかしそれに反して悪化していく状況と渦巻く妬み嫉み…当時の世情と「家」という存在、女性という属性そのものがどういうものであるのかということを考えさせられる名作となっています。

あらすじ

幼くして母を亡くした浪子は冷たい継母、優しい父片岡陸軍中将のもとで18歳になったが、川島家の若い当主と結婚することになり、初めて人生の幸福をあじわうことができる。明るい川島武男少尉と伊香保で新婚をすごして、夢のようである。夫は遠洋航海に出て、気難しい姑川島未亡人につかえて、1人で耐える。

半年ぶりに夫に会い、ふたたび蜜月をすごす思いであるが、風邪から結核にかかり、逗子に転地することになる。しだいに回復するところに、浪子に恋していた千々岩が失恋のはらいせに、伯母川島未亡人に伝染病の恐ろしさ、家系の断絶を言い立て、武男の居ない間に浪子を離縁させる。武男が知ったのは、日清戦争開戦間際だったから、母と争う時間もないまま、やけで砲丸の的になれと涙ながらに戦場にむかう。

武男は黄海で戦い、負傷し、佐世保の病院におくられ、無名の小包を受け取る。送り主の浪子は武男からの手紙を逗子で受取り、相思相愛で寄り添うことのできないのを悲しみ、思い出の地不動の岩から身を投げようとし、キリスト教信者に女に抱き留められ、宗教に心慰められる。

傷も癒えてふたたび戦場に向かう武男は、旅順で敵に狙撃されようとする片岡中将を救う。凱旋した片岡中将は、病気の浪子を慰めようと関西旅行をして、山科駅で台湾へ出征する途中の武男を車窓に見る。

浪子の病気は帰京してますます重くなり、伯母で仲人の夫人に武男あての遺書を託して、月見草のように淑やかな生涯を終える。訃報に接した武男が帰京の日に、青山墓地に行くと、墓標の前で片岡中将と巡り会い、中将は武男の手を握り「武男さん、わたしも辛かった」「娘は死んでも、喃、わたしは矢張りあんたの爺ぢや」という。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%A6%82%E5%B8%B0_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)#%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%98から引用)

浪子、お慶夫人、お豊に課せられた「役割」

 浪子という人物は基本的には良妻賢母という、この明治時代における女性の理想像としてあるべき姿というものを体現しており、夫に尽くし、家に仕えよう(病気のために子供は産めなかったが)という姿勢が随所に見られる女性として描かれています。読者としてはそんなけなげな姿に心を打たれますが、川島という「家」に君臨するお慶夫人は癇癪もち、持病もちではあるものの、千々石のような人物の口車にのって結核という恐るべき病を持った弱々しい嫁を嫌い、しまいには離縁してしまいます。
 読者としてはお慶夫人のような姑に対して「なんて奴だ」「冷酷無比で俗悪な人物」などというような印象を抱くのではないでしょうか。少なくとも私はそう思いました。実際、モデルとされた大山捨松(陸軍元帥・大山巌の妻 津田梅子などと共に米国留学したことでも有名)は、この小説の影響からあらぬ誹謗中傷を各所で受けていたようです。
 しかし、お慶夫人というのもまた、川島家という爵位もちの家柄に対して「良妻賢母」であろうとした人物、ある意味では家制度の被害者でもあるのではないかと感じます。結核という不治の病によって川島家が断絶するという恐るべき事態を憂慮し、更には息子の今後の行く末を思っての行為が「浪子の離縁」という決断であったのではないかなと感じる所もあります。加えて、病気というものは精神を壊すこともあるでしょう。心身の気だるさや痛み、満足に体が動かせないというストレスなどはあらゆる人の意思や思考を鈍らせてしまう事もあります。
 家を守るという固定観念と壊れた精神とがお慶夫人の判断に結び付いてしまったのかもしれません。
 ここまで浪子、お慶夫人と話の中でも比重の高い人物を取り上げましたが、私はお豊という人物が意外にもかなり可哀想な人物に思えてならないのです。

とばっちりを食らうお豊

 お豊というのは作中に登場する成金軍人の山木兵造という人物の娘で、川島家の御曹司である川島武雄に恋心を抱きながらも叶わず、傷心中として描かれる女性です。本人は恋破れて意気消沈にも関わらず、千々石と山木による武雄・浪子夫妻の離縁工作と山木による川島家との姻戚工作によって運命を翻弄されることになります。
 結果として、浪子が離縁され、失意のうちに亡くなった後、浪子の後釜として川島家に花嫁見習いに入ります。

 しかし、ここからがお豊の一番可哀想なところ。お豊は自身として図らずも川島家への嫁入りが叶いそうになったものの、お慶夫人はお豊に対して亡くなった浪子と同様、癇癪持ちとして堂々たる罵倒、こき使いぶりを大いに発揮します。お慶夫人のいびり方は散弾や小口径の銃声、つるべ撃ちの攻城砲のようだと表現されています。こうしてお豊はこの惨憺たる「戦場」の有様に疲弊、お慶夫人から愛想も尽かされ、結局家に出戻り同然の形で逃げるように川島家を去っていくことになってしまいました。
 一回恋破れるだけでも本人としては辛いだろうに、親の都合によって二回も破れる形になるというのは、縁戚によって自己を栄達させるという古いしきたりや妻は何より夫と家を支える器量と才覚がなければならないという伝統的なしきたりによる被害を被った、この作品屈指の可哀想な人物であるとも感じます。

岩波文庫版以外にも青空文庫で読むことが出来ます。

【画像引用元】
不如帰 https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E5%A6%82%E5%B8%B0-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BE%B3%E5%86%A8-%E8%98%86%E8%8A%B1/dp/4003101510

不如帰(青空文庫版) https://www.aozora.gr.jp/cards/000280/card1706.html

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