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青木志貴さんエッセイ「わがままに生きろ。」感想 ”わがまま”とは何か

わがまま【我が儘】 とは
[名・形動]
他人のことは考えないで自分の思うままに振る舞うこと。(明鏡国語辞典より)

 わがままという言葉のイメージは誉められたものではない。天上天下唯我独尊、自分勝手という意味合いが強い。誰でも一度は理不尽な目にあって「あーあ、自分勝手に生きられたらなあ」なんて思ったことはないだろうか。
 「わがままに生きろ。」そんな無責任なことを言うのか?自分勝手になんてそう簡単にいかない。字面だけ見ればそう思う人が大半だろうと思う。

 声優の青木志貴(敬称略)初の自伝、「わがままに生きろ。」が3月10日に出版された。「アイドルマスターシンデレラガールズ」の二宮飛鳥役などで知られる人気声優だ。少し前にYoutubeで自らの性自認についてカミングアウトするという動画をアップしたことでも知られ、何かと話題に事欠かない人物でもある。

Youtube以外にtwitch(https://www.twitch.tv/shiki_official)でのゲーム配信や過去にはニコニコ生放送で実況をやっていた過去も持っている。

 一見、見た目もよく、声の仕事も順風満帆に見える「彼」の人生はその実、波瀾万丈であった。
 幼少期から感じていた自分の性への疑問、それが心への負担となっていく過程、そしてそれを肯定することができるようになっていくその到達点が読みやすく、自らの周囲の状況とともに語られている。
 今回は「性自認」と表題の「わがままに生きろ。」という中の「わがまま」という意味について考えてみたいと思う。


1.LGBTと「わがまま」

 ここ近年で大きく認知度が高まった「セクシャルマイノリティー」「LGBT」という言葉。この概念は従来、性同一障害であったり、同性愛など呼ばれ、国際的に広く「犯罪」であったり、「病気」であると判定され、その概念すら存在しない様相だった。
 しかし、多様化、多様性という概念とともに、人間の性が必ずしも男性と女性という二元論の枠内にはまらないものであると考えられるようになってきた。最近ではマスメディアにも多く取り上げられるようになったドラァグ・クイーンの存在や渋谷区で成立した「男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」(同性パートナー条例)の施行により、この国においても所謂「LGBT」(LGBTQと呼称される場合もある。性自認の種類は多様化しているため、不適切とされる場合もあるが、今回はこの呼称を採用する。)の存在感は日に日に増していると思う。
 社会的な地位が形成されていくことで、社会からの疎外感や周囲からの視線というものは改善されていくものと思われる人も多いかもしれないが、こうした視線というものは1年、2年という短い期間で簡単にがらりと変わるものではない。
 そして、LGBTの当事者の心境というものはこの本にも記述されているが、他人の視線や気持ちなどそうしたものによって本人が後天的に気付くこともある。

「この頃、自分の中の性別に対する部分がどんどん抑えられないものになってきて、性に対する考え方が混乱し始めてきた。それは、男性に告白されたことがきっかけだった。高校で仲のいい友だちがいた。ここでは仮にA君と呼ぶ。中略。だけど、あるとき彼に告白されてしまった。僕はその思いを知った瞬間、「・・・気持ち悪い」と感じた。もちろん、彼にではない。僕が「女」だと思われていることに、強く嫌悪感を抱いた。とても強く。」(青木(2021)P72~73

 この「男友達」の感情はよくわかるものだ。かくいう私も高校生の頃や中学の頃は隣の席に座っている女の子に惹かれたり、よく話す女の子にそうした感情を抱いたりすることもあった。基本的には自分本位で考えるために、「もし、こうした事例があったらどうしよう」などということは考えないものだ。

 そんな自分語りはさておいて、LGBTの当事者は自らの性が不安定な段階にあるとき、こうしたギャップに心的ストレスを抱えることが多いという。社会の規範なんて無視すればいいなどと言うことは他人から見ればいいやすいことかもしれないが、一般社会で生活している中でたった一つ性自認が他人の常識から外れるだけで奇特な目で見られるというのは、自分のプライバシーに関わるところでもあり、耐え難いところがあるだろうと思う。
 そうした状況下で、自らの性的志向や立ち位置をしっかり自分個人のアイデンティティ、パーソナリティであることを自覚するということは自らのこだわり、わがままを貫くと言うことでもある。そのことに折り合いをつけることができた生き様はあらゆる人が一読すべき価値があるのではないかと思う。

2.声優という「わがまま」、自己実現という「わがまま」

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 J. Finkelstein - I created this work using Inkscape., CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1315147による

 有名なA・マズローの5段階欲求というのを知っているだろうか。生理的欲求・安全欲求・社会的欲求・承認欲求・自己実現の欲求というよくピラミッド上に表現される人間の欲求のことだ。
 人間は誰しも自分がどうありたいかという「自己実現」に向けて歩んでいく。それが「世界征服」や「ヒモになりたい」という欲求であっても、それに向かって歩んでいくものだ。そんな中で彼は「声優」という職業を自らの「自己実現」の先として位置づけ、それをどう叶えるかということを基準にあらゆる行動を考えた。
 しかし、声優という職業はこの日本に存在する”職業”と呼ばれるものの中でも屈指の困難がつきまとう職業だ。この本の帯に寄稿している声優の大塚明夫は『声優魂』という自伝本で「声優の世界を表す言葉として、もっともふさわしいと私が思うのは「ハイリスク・ローリターン」です。」(大塚(2015)P35)と、声優というものを評している。

 需要と供給が顕著に現れる職業は、生活するにも困るといった場面に出くわすことが多いでしょう。声優はまさしくその代表格と言っても過言ではない。昨今はアニメやオタクの社会的地位も向上し、以前より多くの人がアニメ制作や声優という職業にあこがれを抱いている状況が続いている。しかし、制作されるアニメ(需要)より遙かに声優の数(供給)が多いために仕事にあぶれる声優が多い・・・そんな世界の中に彼は若いながらも志を抱いて飛び込んだ。
 声優という人気、そして技術を兼ね備えることが求められる世界でどのようにそれを磨いていくのか、どのようなアプローチが仕事を得るために必要なのか。そういうことを自ら考え、実行しているのかということもこの本には書かれている。
 全てが万人に共通するものではないが、事務所や他の誰かに頼ることなく、まず自分をプロデュースするのは自分自身である必要があると考えさせられる。こうしたところにも彼の中の「わがまま」というものがどういうものであるかを感じ取ることができるのではないだろうか。

3.つまり「わがまま」とは

 この文の最初に「他人のことは考えないで自分の思うままに振る舞うこと。」という風に”わがまま”の意味を掲載した。
 しかし、わがままに生きるということは自分勝手=自分の意志を頑固に通すということでもある。聞こえは悪いが、これは間違いなく自分の夢を叶えるために必要な心構えでもあるだろう。
 わがままという字は「我が儘」と表す。儘という漢字には思い通りという意味もあるが、「ことごとく、つくす、きわめる」という意味もある。自分がこれと決めた道においてそれを叶えるためにことごとく成すことを極める。
 そうした生き様と覚悟が彼本人の言葉によって綴られている。そうした生き方とその生き方を貫くに至ったこれまでの経験、それが自分に合う合わないは別としても本を通して触れてみる。その価値はあるのではないかと思う。

〈書籍情報〉
青木志貴(2021)『わがままに生きろ。』KADOKAWA 208頁
https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000769/

【引用した文献】
大塚明夫(2015)『声優魂』星海社 220頁

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