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「怖い」「痛い」を教えないこと。

娘はお風呂が大好きで、石鹸で顔を洗うことだけは嫌がりますが、お湯で顔を洗うのは平気。シャワーで髪を洗うのもわりと平気です。
意識的に「怖い」「痛い」を言わなかったことが、もしかしたら功を奏したのかなぁと思っています。

私自身はシャンプーが苦手すぎて困った親に幼稚園時代にスイミングスクールに通わされたほどなんですが、うっすら覚えている記憶では、シャンプーは「怖い」もので、水に潜るのは「楽しい」ことでした。

自分の記憶を辿っていくと、意外と「嫌い」「不快」の基準は、親から与えられたものであると思いました。泣いたときに「嫌だったねぇ」「痛かったねぇ」と共感されることでかえって「これが「嫌」なんだ」「これが「痛い」なんだ」と学んでしまうというか。

先日パーソナルカラー診断を受けた際に、自分は絶対オータムだと思っていたのに結果はサマーで。でも、自分がオータムだと思っていた理由は親からの「あなたはこの色が似あう」「この色全然似合わないねぇ」みたいな言葉で。別に私の親はいわゆる毒親ではないのですが、親から言われた価値観が絶対的な刷りこみになっている部分は絶対にあるなと感じたのでした。

だから、これまで娘を風呂に入れたときに、たとえばはしゃぎすぎた娘がうっかり沈んでしまったり、自分の顔に思いっきり水をかけてしまったりしたときに、「こわかったねぇ」とは声をかけないように、意識をしていました。
もし泣いてしまっても「びっくりしたね」「あぶなかったね」と声掛けして、極力「怖い」は教えないように心がけています。「怖い」「痛い」のは、本当に怪我につながるとき(もしくは、お化け)だけ。
それ以外は「びっくりした」で済ませてきました。

その結果か、娘はお風呂で顔に水がかかるのを「びっくりした」で済ませられる、また、うっかりぶつけたり深爪したときなど、本当に痛かったことだけを「痛い」と捉えられる子に育ってくれている感じがしていて、この声掛けは適切だったなと思っています。
お風呂は最近自分で入浴剤を選ぶ楽しみを知ったので、毎回楽しく入ってくれるし、なんなら出たがらすぎて困る。顔を洗うのを真似させて、うまくできなくて泣きかけた際も「まだ(娘)ちゃんには早かったか~」で済ませ、うっかり大人向けのカレーを食べてしまい娘が涙目になったときも「ちょっと大人の味だったね~」で済ませると、以降娘も「これ、(娘)ちゃんにはちょっとはやかったの」で済ませてくれる。

「怖い」「痛い」を教えないこと、意外と重要だなと思いました。

もし「お、コーヒー1杯くらい奢っちゃるか」と思われたらサポートお願いします。私のコーヒー代か、娘のアンパンマンチョコ代になります。