クソ映画から…

正月三が日も今日で終わり。子供らは保育園の友達と遊ぶべく妻と一緒に出かけ1人になってAmazonプライムを検索してたら出て来て暇つぶしに見た。因みに箱根駅伝は青学が5分以上差をつけた段階でプライムを検索し始めた。
チカーノになった日本人…。
半グレからヤクザになり渡米し独房にぶち込まれ、日本に帰国して何をしてるかというノンフィクションなんだが、まぁクソ。
前半の半分以上が人を殺しただの、金使っただのの武勇伝らしく語られてるんだけど、ただの悪党そのもので暴力、殺人を屁でも思って無いような語り口には反吐が出る。
ただ、箱根駅伝を変えてでも見た映画。
こっちも意地になり最後まで見て、再認識されるものは2つだけあった。
1つは、主人公のケイがアメリカで捕まって刑務所に入れられるんだけど、想像には難くない悪の巣窟みたいな所で無法地帯なんだよね。そこで英語を何ひとつ喋れないただのタトゥー野郎が1人ぶち込まれるわけ。まぁこの辺は嗅覚が凄いんだろうけど、死と隣り合わせの中、コミュニケーションを取るために刑務所の中で流されてるテレビをひたすら訳も分からず流し聴き続けて、その中に出てくる共通の単語をカタカナで書いて、ギャング仲間に聞いて、それを毎日続けて英語をマスターしていくわけ。
クソなりにその場で環境を恨んだりして野垂れ死するわけではなく継続するのよ。
今の世の中、というか自分も含めてこの位のハングリーさは失われてはいないかな?
私が好きな本の中で、闇屋になりそこねた哲学者という、東北大学で弁を取られていた木田元先生の本があるんだけど(こちらはオススメ)、戦中それこそ餓死やら病気やらで死体が毎日隣に作られるような所で幼少期を過ごし、本人の体の強さもあったんだろうけど、拾って腹を満たせつつも最後はハイデガーの日本の研究者の第一人者とまでなって亡くなるのよ。
木田先生には大変失礼な例えだろうけど、私はその本を読んだ時のハッとした感じを再度思い出し、今自分が与えられてる環境の中で最大限にできる事をやろうと思い出させてくれた点では、新年のこのタイミングで感謝したい。
また2点目は、主人公が一応公正して学童みたいなものをやっているんだけど、そこをなぜやっているかは興味ないとして(映画ではひたすらここをクローズアップする)、そこをやっている思いを主人公が口にした言葉にハッとさせられた。
結局親はパチンコがやりたいだけで、ここに預けられる所があるから子供を放っておくのよ。
さすがにパチンコはないが、自分もそう言う所あるんじゃない?と思った。要は甘えたり、頼ったりできるところがあると知らずとそれが当たり前になって、自分が苦労する事を避けていないか。
世界観はまるで違うのかもしれないけど、子供がパパァと言って来たりするときに、やれ仕事だやれチャリだと言って妻に甘えていないか。少なくともこの映画のよりは安全な環境にあるにしろ、一歩間違えれば例えとして出てくるパチンコ野郎と同じような甘えをもってしまってるかも知れない。
一応、年明けと言うタイミングでハングリー精神と甘えの怖さを再認識できたのは良かったかな。
こう、書いていたら丁度息子が帰って来た。
早速話しかけて来たから、ここで筆を置こうと思う。


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