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映画「エイリアン」をディズニープラスで見ました。もう古典作品なんですね。


映画「エイリアン」を見ました。あらすじは知っていたから視聴済みだと思っていたけれど、ちゃんと見たのは初めてかもしれない。今見ると地味ですね(特にエイリアンが出てくるまでの一時間)。

エイリアンが出てきて襲う物語と知っていて、私は見ていたのでそれを楽しみに前半見ていましたが、何も知らなかったら楽しんで見れただろうか?
不安を掻き立てる暗い映像や、仲間内のちょっとしたいざこざ(「ボーナスが出るか?」ちょっとしたものだけれど)。など、緊張感を出す演出はありますね。
救難信号(と思われる信号)があって、ある惑星に降ります。そして信号のもとへといきます。「何があるかわからない」「砂吹雪? が舞うほど前方が見えない」「探索に行ったクルーたちの映像が切れる」など不安を掻き立てる演出がありますね。地味だなと思うのはこの演出手法から感じるのだと考えます。現代の作品であれば、もっと派手に見ている人の不安掻き立てるような演出をすると思います。控えめな演出なので、現代の視聴者(筆者である私のことですが)への不安という想像力を煽りが足りない気がします(派手にすると格調は下がってしまうかもしれませんが)。あと吹雪や、画面が暗くて何を行っているか分かりづらい。「皮でできた卵のようなもの」が並んでいる台詞があるのですが、そのもの映像が暗くてよく分からない。見せることによって、緊張感を高めることもできるだろうに。

探索に行った一人のクルーが異星生物(エイリアン)に取りつかれ、宇宙船に戻ります。責任者(リプリー。船長が船外にいるので代理の責任者)が宇宙船に入れることに反対するのに、科学者が宇宙船に入れてしまいます。
この科学者実は、異星人を地球に連れて来いと命令されていた(クルーの命は無くなってもいい)わけですが、この時点では私は気づきませんでした。「ちゃんと責任者の話」聞けよと思いました(まあ、探索のリーダーが船長で宇宙船内に入ればリプリーより立場は上なわけですが)。
で、科学者がエイリアンにとりつかれたクルーを調べます。リプリーはこの化学者を疑っているのですが、船長は科学者にエイリアンの調査を任せてしまいます。このリプリーの疑念はもう少し強調したほうが、話が盛り上がったかな。しかし、ここはこの程度で良い気もする。

エイリアンは死に、エイリアンにとりつかれたクルーは元気になるも、会食中にクルーの腹の中からエイリアンがてでくる。ここら辺は興味深く見ていました。ここでエイリアンに攻撃しようとするクルーに対して、科学者が止めているんですよね(だから逃げられる)。「何で止めたの」と思ったけど、殺されたら困るからなんですね。
ここから物語はエイリアンとの戦いへ(クルーたちがエイリアンを退治しに行く)。面白いことは面白いんだけれど、エイリアンが出てくるのはクルーを殺す時だけで、あまり出てこないんだよね。殺す場面も映像としては出てこない。昔からなのか、わざと抑えているのだろうか?
ホラーの定番場面のような、追ってくるところを逃げる場面もない。前半よりは盛り上がるけれど、やはり地味だ。
たぶん、エイリアンを動かすのが同時は大変だっ他のだろう、とも思う。
船長がエイリアンを追う場面で、船長以外のクルーはエイリアンをの存在をモニタの光点で確認しているのだけれど、船長がエイリアンに近づいているのが視覚的にわかるので、ここはドキドキした。
エイリアンとの戦いの場面も、あまりクルーたちの位置がわからないので、エイリアンに近づいているのかわかりにくいので、いまいち緊張感が湧かない(私の心に)。

リプリーが宇宙船のマザーコンピュータにエイリアンについて確認、そこから科学者の裏切り(裏切りというか、他のクルーが騙されていたかたいかな)が発覚し、科学者と戦う(それほど派手なものではないけれど、エイリアンとの肉弾戦がないから、ここはここで盛り上がる)。

エイリアンにリプリー以外のクルーは殺される。リプリーは宇宙船を爆破し、シャトルで逃げることを決断するも、シャトルの近くにエイリアンがいる。なので、爆破指示を解除しようとするも、解除時間が過ぎて、またシャトルに戻る。ここら辺は分かりにくかったんだけれど、こういう解釈でいいのかな?
シャトルに戻るも、エイリアンはシャトルにいた。ここでも、リプリーとエイリアンの肉弾戦はないですね。シャトルのハッチを開けて、エイリアンが船外に出ていくだけ。

面白かったけれど、現代の視点で見ると地味に感じました。モニタとか緑の文字でテキストを表示していました。現代の目で見ると「未来の話でしょ? そんなわけあるか」と思わなくもないですが、そこら辺は古い時代の映画ですし、気になりませんでした。演出が地味とは思いますが、古いとは思いませんでした。

演出というのは大事ということを改めて感じました。昔の映画なので、SFの未来観をだしつつできる演出が当時はこれが限界だったのかもしれませんね。
最後に生き残るのはリプリーですが、特定の誰かを追うドラマではなかったです。なのでともすると物語としても、ただエイリアンが宇宙船に侵入、討伐するだけの話に見えます。「テーマは未知との遭遇」でしょうか。なんの知恵を与えるわけでもない、異星人との遭遇の物語は当時は新しかったのかもしれないですね。絶対に分かり合えない存在がいるということ、そしてそれを利用するためなら(戦争兵器として?)守るべき者としてのはずの人間を犠牲しても良いと考える人間がいること、なんてことも考えられるけれど。「人がエイリアンを利用する」というところはテーマというより、ただの設定のようにしか思えないけれど。別に興味本位でエイリアンを宇宙船に連れてきたわけではないから、「興味が身を滅ぼす」って話でもないし、テーマは絶対的に相対さない存在がいるということしかわたしには思いつかないな。ああ、でもエイリアンを連れ帰ることを任務として知っていたのは科学者であるロボットと、宇宙船のマザーコンピュータだし、リプリーたちが生きている世界では支配は人間でないのかもしれないですね。そう考えると、エイリアンに襲われるというのは物語を見てもらうための装置で、コンピュータに支配される未来をこそ描きたかった作品なのかも。そう考えると、テーマは「恐怖の未来」ということなのかもしれない。
現代的な視点で見ると、このような物語はほかにも見た記憶がありますし、演出も地味なので娯楽作品として「緊張感」をもってすごく楽しめたというわけでもなかったです。「異星人に襲われる作品」の古典、基本の類型としてみる作品となりますでしょうか。
なんか地味だとかいってますが、それでも十分楽しめました。

他の人の感想を見たら「妊娠の暗喩」という感想がありました。「おお、そうなのか」と思いつつ、その暗喩から何を思えばいいかわからないです。


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