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映画「ボーダーライン」をNetflixで見ました。理想と現実を考えさせられる物語。

「ボーダーライン」を見ました。FBI捜査官のケイトが、CIAの麻薬カルテル殲滅作戦に召集されます。その中でケイトは法に基づく捜査を求めますが、現実にはそうはいかない。麻薬のやりとりを見て本来はそこで、やりとりしている者たちを捕まえなくてはいけないのに、ClAの協力者アレハンドロは彼らを利用して、麻薬カルテルの元締めへと迫っていきます。ケイトの役割は、CIA単独では立法上作戦が遂行できないので、形だけの協力者として請われただけでした。作戦終了後アレハンドロはケイトに、今回の作戦ための書類にサインを求めます。サインを渋るケイトでしたが、アレハンドロに脅され、結局サインをします。サインを得て去っていくアレハンドロ。ケイトは彼に銃口向けます。ここで撃てば、法規を逸脱した捜査に対する許諾を消すことができ、ケイトがそんな捜査を認めていないことになります。しかし、彼女は撃てません。理想だけでは犯罪を消せないことを認めたような形で物語は終わります。

この物語は、ケイトの信じていた世界(本に則った世界)が瓦解し、現実の前では無力であることを認めてしまうまでの物語です。映画の中で言葉ではそう説明はしないし、彼女はこれからも理想を信じて生きていくとは思いますし、もしかしたら自分が変わったことは認めないかもしれません(映画の終わった後のことはわかりません)が、銃口をおろした瞬間に本能的に認めてしまったのです。

物語はけっこう淡々と進みます。銃撃戦とかあって派手なところもありますが、その銃撃戦は魅せるものではなく、実際に現実にあることを淡々と撮っているだけという印象です。その戦闘に対して、布石的なものを打って盛り上げるようなこともしません。

最初は人質救出作戦から始まります。その犯人たちが、床下や壁の中に死体を埋めていて、それを映像として見せられます。それを見せられるだけで不穏な空気が流れますね。物語の続きを期待させる映像とも言えます(こんなことしたやつは誰? 何でこんなことするの? とか先が気になってくる)。

CIAの作戦に参加することになったケイトですが、CIAのマットやその協力者アレハンドロはとの間に流れる不穏な空気が緊張感を高めます。

麻薬関連の犯罪者をメキシコからアメリカに輸送するのですが、メキシコのある土地では当たり前のように人が吊るされており、銃で武装された車が道を走り、渋滞していところで銃撃戦が始まります。街自体が不穏空気を出し、視聴者を飽きさせません(ここで見てられなくなる人もいそうですが)。

アメリカからメキシコへの麻薬を運ぶためのルートを探り、マネーロンダリングの現場を抑えたりと作戦は遂行していきます。ケイトは、麻薬カルテルと協力している警察官に誑かされたりまします。ここは、「どうやってここから逃げるんだ」と思って見てました。彼女を尾行していたアレハンドロが助けました。「ああ、そういえば尾行していたな」と思いました。その警察官との出会いのバーのところは見ている人にとってはちょっとした息抜きになる場面ですね。

そして、麻薬を運ぶルートでの作戦の場面に入ります。ここで、ケイトは自分たちが、ただCIA単独の作戦にならないようにするためだけに呼ばれたと知ります。それでも、作戦には参加します。麻薬を運ぶルートは洞窟なのですが、そこに入るまでを暗視カメラの映像にして極端に暗い画面になります。緊張感は高まりますが、見ている方としてはどうにも窮屈な感じがします。ケイトが洞窟に入り、暗視カメラを取ると映像は暗視カメラで無くなるのですが、急に明るくなって開かれた感じがしますね。そこで銃撃戦が始まり、ググッと画面に引き込まれます。ケイトはアレハンドロが麻薬の受け渡しの人間を制圧しているところに出くわします。ケイトはそれを止めようとします(これって、アレハンドロの行動が違法捜査にあたるから止めようとしたんだよね。ここら辺の対立がよくわからなかった)。アレハンドロはケイトを撃ち(防弾チョッキの上に)、受け渡しの人と出ていきます。アレハンドロは麻薬カルテルの上層の人間を殺していきます。ケイトはマットたちに合流します。この違法の捜査を「全てぶちまける」のようなことをマットに言います。マットは認めろと迫ります。最終的には冒頭のあらすじに書いたように、ケイトはこの捜査に対するサインをしてしまうのです。

映像として、ケイトが変わっていることが示されていきます。タバコを吸っていく(後に禁煙していたとわかります)。変化の兆候ですね。ケイトが鏡に映る場面(象徴的な感じの映像)が3回くらい出てきます。これは、彼女の中の価値観が揺れていること、分かれていっていることを示しているのでしょう。

ひとつひとつの出来事に対して、言葉などで予感を感じさせるようなことはあまりなかったと思います。なので、次どうなるんだという感じがないとは言いませんが、それを強く感じて見ていたとは思えません。そういうわかりやすい演出をしていないので、ある意味退屈な感じもする人もいると思います。しかし、そういう個別事項に対する予感や期待を見ている人に起こさせるのでなく、もう一つ上のレイヤーとして、冒頭の死体が並んだ場面、メキシコのある街の恐ろしい現実、ケイトとマットやアレハンドロとの不穏な関係性。言葉としては語られてはいませんが、映像が見せ、そこから生じる緊張感で映画を見せているという感じです。大人の映画ですね。

ケイトの存在感を小さくして、不安を煽るような演出をしてアクション映画としても作れたと思うのですが、この作品の監督はそうすることをして現実感が喪失するのを拒んだのでしょう。麻薬によってもたらされる現実を、エンターテイメントとして昇華するやり方で描写したくなかった。なので、サスペンス的な煽るような演出を拒んだのだと思います。視点となる人間としてケイトを配置し、麻薬問題も扱いつつも、理想と現実というテーマも添え、彼女への変化を描くことで視聴者が飽きないように物語的なものを作る。

煽るような演出をしなくても、人間への興味が出れば視聴者は見るものなのですね。暗視カメラのの場面とか、映像で緊張感を作って、目が離せない状態にはしています。そういう演出の仕方で、見せているのですね。きちんと計ったわけではないのですが。遠くから撮っているような画面が多かったような気がします。なので、人物に寄るというよりは客観的な描写だなという感じを覚えました。

自分としては面白い(エンターテイメント的に)とは感じませんでした。本当、盛り上がるような演出をしていないんですもの。でも楽しめなかったわけではありません。良い映画を見れたなと思いました。

アメリカでのFBIとCIAの関係性とか、メキシコ歴史とか知っていればもっと楽しめたのでしょう。知らないので「そういうもなのだな」受け入れて見ていた。

映画のテーマとしては、ケイトの葛藤だけをテーマにしてもいいと思うのですが、メキシコでの麻薬がらみの犯罪というテーマのほうが強いテーマなんだな、と思いました。ケイトやアレハンドロの視点(事件に直接関わっている人の視点)で物語は進むのですが、ときおりメキシコのある家族(夫婦と子供)が描写されます。この家族の父親が、麻薬の運び屋(アレハンドロに脅されて、車を運転)とわかるのですが、それほど重要な役ではありません。なのに家族まで写されます。この一連の事件で、父親は死にます。麻薬の事件絡みで、ひとつの家庭が壊れたことを示します。そして物語の最後、息子がサッカーしている場面で、普通に銃撃の音が聞こえます。音が消えると、普通にサッカーが始まります。そんなメキシコでの日常を映すためにこの画族の描写が必要だったのでしょう。

正しいタイトルは「シカリオ(暗殺者)」というタイトルで、「ボーダーライン」は日本での上映に合わせてつけられたタイトルなんですね。エンドロール前くらいで、「シカリオ」って言葉が出てくるんだけど、日本のタイトルだと意味がわからないですよね。


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