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映画「フューリー」をNetflixで見ました。ある戦車の生涯。

第二次大戦後期、フューリーという名の戦車が壊れるまでを、車長ドンと新入りクルーのノーマンを中心に、乗員とともに語られる。

物語としては、フューリーという戦車が壊れるまでの時間の中で、新入りクルーのノーマンの戦場経験を経ての変化を軸に、戦車での戦闘が描かれている。最初はノーマンを認めないクルーたちとの対立があるが、ノーマンは次第に認められて行く。車長のダンが主人公ではあるが彼自身に劇中での変化はない。ダンはノーマンを導く存在としてある。なので、ノーマンを、主人公のほうがこの映画には相応しいのかもしれないが、それでもダンは主人公としての強い存在感がある。それは、まずノーマンは劇に途中から参加すること(それ以前から出ていたダンを主人公として見ている人が認識している)。ノーマンに変化はあるが、戦争という状況と、ダンの導きがあってのことで、自ら主体的に困難に立ち向かったわけではないこと(立ち向かったかもしれないが、彼が葛藤して物事を選んだような見せ方を映像はしていない。好きになった女性との逢瀬と時も、性格的に葛藤はあっただろうが映像では省略されている)。ノーマンが、ダンより人物として立たないように繊細に脚本を組んだのだと思う(役者の力も大きいと思うけど)。それでいて物語としての緊張感を生む存在はノーマンなのだ(ほかの乗員はもう大人だからね)。

ノーマンという戦争に合わない存在(元々は戦場には来ず、タイピストとして後方支援する存在だったようだ)を通して、戦争というものを見せる。ノーマンは最初綺麗事を言うが、そんなものが通じないことをダンやその乗員に教えられていく。戦場での敵国の国民の扱いなども見せていく。制圧した街から出てきた兵が、子供や女性ばかりだったのは衝撃的だった。

映像としての最初の戦いで、ダンの作戦(指揮する戦車は移動中にやらてしまう)。で敵を圧倒。ダンの優秀さを見せるノーマンが敵兵を見逃した(少年兵だったから)からが理由の一つでもあるようだ。指揮する戦車の人だって見つけられなかったのでノーマンだけのせいではないが)。次の戦闘では、たった一つ戦車に味方三機の戦車がやられ、ダンたちが乗るフューリーもギリギリで勝利する。そんなにこの戦車(ドイツ側の戦車)強いのかと思った。アメリカ軍の戦車の砲撃を受けても、びくともしないんだもの。調べたら、ティーガーⅠと言う装甲が強い戦車らしい。第三戦は壊れて動かない戦車内での籠城戦。後から考えると「二百人近くの兵に、籠城戦とはいえ一定時間持ち、多数の敵を殺すことは可能だろうか?」と思ったが、見ているときはダンたちを応援し、緊張感ある画面に夢中になってみた。映像としても素晴らしい。戦車が壊れたと言う状況を鑑みれば、逃げることも可能だが残る選択をするダン。そして、ダン一人は置いて置けないと、残る乗員たち。感動的である。残る選択をするという点で、ダンは主人公であった。

最後、ノーマンだけは生き残る。味方に助けられ、救護車に乗ったノーマンがフューリーを見ていく場面は感動を覚えた。フューリーは仲間達の象徴であり、それから離れるということは仲間達の別れである。映像的に語っている点が感動を呼んだ。物語として、どう終わるのだろうかと思った。このままノーマンが無事逃げられました、で終わるわけはないだろうと思っていた。しかし、言葉だけで説明するなら「ノーマンが無事逃げられました」で終わったのだ(助けた人が、お前は英雄だ、とは言うけど)。何か教訓めいたことをノーマンが語るのでなく、ダンが最後に言うわけでもなかった。しかし、最後ノーマンが離れていくフューリーを見ている場面見て「この物語はフューリーの物語だったんだ」と思った。だから、フューリーとノーマンとの別れ事態が、何も語らずとも物語のオチになっている。クライマックスの盛り上がりが来る。物語の最後に必要なのは、教訓めいた言葉ではなく、最後にくる感情の強い動きを誘発するものなのだと思った。もちろん言葉でもいい。しかし、映画なのだから映像の方がなおいい(言葉でオチを考えてしまうのは、小説家を目指していたからだろう)。「ゼロ・ダーク・サーティ」も感情の動きを強く誘発する映像がラストだったね。俯瞰で戦争を映し、周りのドイツ兵の遺体の多さを見せ、フューリーの最後の働きを見せる映像も、色々と思わせるものがあって良い。

ある状況に無理やり入れられ(無理やり入れられているから、何でそこに参加しているのか説明が必要ない)、その状況の中で対処し、変わっていく。職業(戦争の兵士なので職業とか差は違うけど)ものは、人物を動かす理由が、その人物の外にある。外との対峙ということになる。ノーマンはまったく戦争には向いてなく、望んでもいない、自分の意思で戦場にいるわけではない。それでも、その状況の中で生きていくために変化が必要であり、その変化は物語を見せる要素でもある。ノーマンが自分の意思で戦場を選び、人を殺すことにまったく躊躇しなかったら、まったく違うドラマになっただろう。そうなると、ドラマを生む要素が周りの状況でなく、自分の能力の問題などになってしまって戦場を見せるいうことが難しくなりそうだ。これは自分の内との対峙だ。

戦争の中の英雄譚でした。戦争の悲惨さも描いているとはいえ、戦争を英雄譚として描いてもいいのか、と言うことは思わなくもないけど、私は良い映画だとして見れたし、戦争の悲惨さも伝わったと思う。何より、戦車視点というのが、今まで見たことなかったので良い。


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