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映画「プロミシング・ヤング・ウーマン」を見てきた。高いテーマ性がありながら、エンターテインメントとしても秀逸の作品。

映画「プロミシング・ヤング・ウーマン」を見てきました。「現実世界での女性が置かれている状態を問う」というテーマの作品と見ました。テーマ性を前面に出しながらも、退屈させない展開かつ、テーマが後退してしまわないように娯楽性を抑えている(けして娯楽性がないわけではない)作品でした。

主人公である女性キャシーは復讐を行なっていくわけですが、その復讐劇をスーパーヒーローのようにありえない身体能力で果たしていくわけではないです。そのような展開は私の好みではありますが、そういうふうに描くとそのアクションの方が目立ってしまって、テーマ性が薄れてしまいます(映像で陰惨な場面も見せるとか、見せ方によってはテーマ性が薄れなくすることもできるでしょうが)。というか、テーマが変わってしまいますね(力を見せることが主題となり、女性ゆえに起こった事件がただの力を見せるきっかけ、代替できる一要素になってしまいます)。

キャシーはわざと居酒屋で酔っ払ったふりをして、酔った女を捕まえ家に誘ってくる男について行きます。そのあと明確には語られてませんが、制裁を加えているのでしょう(ノートに赤線や黒線を引いていました。黒線の方は、家には誘うが無理矢理な行為までは行わなかった男のようです。黒線の方は何もしないでキャシーが帰る場面が描かれています。赤線の方はどうなったんですかね。冒頭で赤線をつけられることになる男の家からの帰り道、一見血と見えるケッチャプをつけて歩いています。血の制裁の暗喩かもしれませんね。語らないで、感じさせるという描き方ですね。仮に暴力的行為をしていても、わざと描かなかったのでしょう。この映画で暴力が描かれるのは最後だけだから)。男に連れられて危険が感じられる展開。冒頭から緊張感があります。そして、男が行為に及ぼうとしたときのキャシーの変貌。キャシーへの興味が湧きます。冒頭では何でキャシーがこんなことを行なっているのかはわかりません。

キャシーには友達であるニーナが暴行された記憶があります。ニーナを世話するために(ニーナは後に亡くなったようです。死因は劇中で語られませんが、自殺だと思われます)、医大をその友達とともに辞めたようです。希望があった未来を捨てなければいけなくなりました。物語の中盤あたりで、ニーナの母が「ニーナのことから卒業しなさい」というようなことを言われ(多分台詞は違う)、「わたしがついていればあんなことには」と悔やむ、キャシーに「あなたのせいではない」とも言います。ニーナを救えなかった自分が許せず、贖罪の気持ちで、男性への制裁を行なっていたと推測されます(明確な理由の説明は劇中にない)。もっと深読みすれば、何もできなかった自分への癒し(男性への制裁の時間のみが、自分のせいで友を救えなかったという気持ちが癒される時間となっている)。

医学を諦めカフェで働いていたところに、医大時代の同級生ライアンが現れ恋愛として発展していきます。同時にライアンの口から過去にキャシーの死に関わった人物が成功していることも語られます。キャシーの具体的な復讐劇と、真面目な恋愛への忌避感から(男性が信じられない?)、ライアンとの仲がうまくいくまでを描きます。

公式サイトの文章に「女VS男という対立構造の中でどちらかを断罪して終わるのではなく、社会に蔓延るジェンダーバイアスを浮き彫りにしているから。彼女の落とし前の矛先は“ナイスガイ”だけに留まらず、“同調圧力オンナ&女だからとわきまえる女”へも向けられ、痛烈に批判する」とあります。ここら辺は私は読み取れませんでした。男とか女とか関係なく、復讐するのは当然だと思いながら見ていたので。ここで言われる「同調圧力オンナ」への復讐の理由がいまいちわからなかったです。「知っていたのに黙っていた」ということなのかなというのはなんとなく分かったのですが、何で特定のこの人なんだろうということがわからなかったです。もう一度見ればわかると思います。

ニーナは暴行されました。しかし、男性目線からすると「酒に酔っていた」「相手が誘っていた」ということになっています。「酒に酔っていたなら」しばらく介抱して家に返すべきですし、「相手が誘っていた」なんてものは、男性の都合の良い印象でしかないのに。そして、女性の仕草は男性の都合の良いように取られ、しかもそれは、生徒を守るべき大学の先生(女性)においてはよくあることであり(有望の生徒の未来を潰すのか、とも言っている)、男を守ろうとする弁護士にとっては「酒に酔っていた」「相手が誘っていた」とい男性視点の言葉を、男にとっての有利な証言して利用できてしまうのです。先生の言葉は男性のの方が、女性よりも重要なのだと暗に言っています(女性なのに。しかもニーナは暴行した男よりよほど学力が高かったと劇中では語られているのに。この理由もニーナが暴行された理由かもしれません。劇中では語られてないので、私の推測ですが。「女に負けているのが屈辱」という理由。女性が男性より劣るという偏見から生まれる意識ですね)。弁護士が有利な証言としてとれると上述したところにも、女性への偏見がまだ残っていることがわかります(この弁護士は復讐に来たキャシーに悔いていることを伝え、許しを乞います。キャシーは許します。悔いがある人には、キャシーはそれほど非常になりません。けしてキャシーがただの復讐者でないことがわかります。現実ではほとんどが心からの後悔などしないのかもしれません)。キャシーは実家暮らしで、両親からはまだ実家暮らしていることや、友達や恋人するいないことになけかれます。これも、テーマとは離れていますが偏見が伺えますね(実家暮らしについては、日本辺は少し違うかも。妙齢の女性が恋人もいないという点に関しては偏見があるかもしれない。キャシーは劇中で30歳になりました。顔がやつれている印象で、年齢もう少し上かと思ってました)。これら一連行動から、女性の生きづらさを、特に男性(すべての男性とは言わないが)の暴力性が女性の生きづらさに繋がっていることがわかります。その暴力性を示すことが、男性のコミュニケーション一つであることは冒頭のバー?場面でも示されています。

物語はキャシーの復讐劇、恋愛、恋愛によってニーナのためでなく自分のために生きようとする(復讐をやめて)葛藤が描かれています。キャシーのキャラクター性の高さ、魅力、キャシーの行動の謎、キャシーの葛藤にはらむ緊張感(恋愛や親子関係など)、恋愛がうまくいっているとき楽しさ(いっときの幸せの表現を、薬局でパリス・ヒルトンの歌に合わせて踊っている場面を見るのは楽しかった。多分パリス・ヒルトンも何かの暗喩だと思いますが、私にはわからない)、復讐劇の爽快感、最後の復讐の緊張感。見ている人を飽きさせない要素満載です。それでいて、核となるテーマを視聴者に忘れさせない。すごい作品です。

このような色々な要素がありながらも、「現実世界での女性が置かれている状態を問う」というテーマが、キャシーの行動理由のひとつという状態に留まらず「テーマ」として立ち上がっているのはなぜでしょうか(制作者がテーマとして掲げたことが、見ている人にとってテーマと見るかはわからないですが。この場合の私の解釈が違うことという可能性も大いにあります)? キャシーの復讐理由というのもありますが、それだけだと一要素という印象を持ってしまったかもしれません。キャシーが行っている行為(わざと酔っ払って、男に制裁を加える)は、ニーナがされてしまったことと同じです。この共通性は見ている人に強い印象を残すはずです。冒頭で映像として流れますから、より印象は強くなりますし、何より冒頭で物語の方向性を示しています。それによって、「酒に酔った女性を誘い、やましい行為をしようとする男性」がこの劇の重要なことなのだろうと視聴者は思います。キャシーにとっても危険なはずで、それでもそれを行うということはキャシーーにとって余程重要ともわかります。劇を観ていくと、普通の人の生活を捨ててまで行っているようとも見えます。そして、復讐の結果です。「復讐の爽快感」と書きましたが、キャシーの復讐(過去のニーナに関わった人への)はそれほどひどいわけではないです。復讐行為を陰惨なものとして映像として見せていれば、そこに強い爽快感を作れたかもしれませんが、製作者はそのような場面を映しません。復讐を作品の娯楽要素として利用しようとしてません。これは意識して行ってないのかもしれませんし、もしかしたら監督が男性だったらそのような場面を描いていたかもしれません(決めつけてごめんなさい)。私がテーマと思っていることの印象が低くなるようなことは、劇中で行ってないです。キャシーは一時は、復讐をやめてライアンとともに生きようとしますが、復讐へと戻っていきます。もし戻らなければ、作品のテーマは変わるでしょう(復讐に戻らないという展開なら、キャシーが「わざと酔っ払い男を誘う」行為を、過去と紐付けてもっと印象深く描いていたでしょう。その方が、過去と決別するということのカタルシスが上がるので)。

ライアンとの幸せも束の間、最初に復習されたマディソンから「思い出したと言って」過去の映像記録を渡されます(ここで映されるキャシーの部屋はすごい豪華だった。金持ちの娘なんだなと思った。)。そこにはライアンがいました(名前が覚えられず、「これってキャシーの恋人か」と悩んでしまいました)。ライアンに裏切られた形のキャシーは復讐に戻り、ニーナを暴行した本人の元に向かいます(ちょっと前まで国外いたらしい。なので、今までは復讐できなかった。ライアンに彼らの名前を聞くまでは、具体的な行動には出ようと考えてなかったのかもしれないが)。

ラストはどんでん返しがある、娯楽がある展開でしたね。キャシーは最後死ぬわけですが、生き残った展開を考えてみましょう。普通に復讐劇(相手を殺す展開と考える)を完遂させてしまえば、爽快感が出てしまいますね。そうなると「復讐の娯楽作品か」で見ている人にとっては終わってしまうかもしれません(ここは爽快感が出ても、テーマを忘れるってことはないとは思いますが。殺し自体が、テーマゆえですから。最後の展開でもスカッとしましたし)。それに、復讐とはいえ殺人をおかせば、主人公といえども劇中で制裁を加える必要があると思います(作品によって違うときもありますが)。となるとどう制裁を加えるか。殺した男の仲間に捕まって警察に突き出されるのも違うし(その中にはニーナのことを見ながら、何もしなかった人もいるし)、自分から自首するのもなんか違う。殺される展開しかなかったのかもしれません。「えー、殺されちゃうの」と驚きました。

「キャシー死んじゃったけど、どうやって終わるのか」と、やきもきして見ていました。最後の展開は鮮やかでしたね。この展開で、娯楽作品としてもすごいと思ってしまいます。キャシーが死なない展開にはできなかったのかとも考えてしまいますが。

テーマを明確に押し出した作品でした。テーマを押し出すには、テーマを多重に語る(この作品ならキャシーの危険な行為。学生時代の過去。復讐の理由、など)。そして、テーマが展開の一要素にならないように、最新注意を払ってテーマからそれた印象を受けさせないように工夫すること。特に、そのテーマが理由になっている行動(この作品なら復讐の動機がテーマと重なっている)をに、テーマと違った印象与えないようにする。キャシーの恋愛劇は薬局の、踊りとか印象深かったけどその印象が深いほど、その楽しい時間を捨ててまで復讐に行くということが、テーマの強さを語る展開になっているね。

映像としては、冒頭の踊りの場面や、薬局での踊りの場面、化粧しているところ、最後の復讐のために小屋に行くときのストリッパー姿など、色彩豊かな場面が所々にあるね。見ていて飽きさせないようにも作っていると思う。派手な場面は物語の起伏の高いところと同期しているような気がする。当たり前で、わたしが偉そうに書くと烏滸がましいが「工夫しているな」と思った。

最後まで、テーマから逸れることなく描き切った脚本はすごいね。

他の人の感想を聞いていたら、「ポルノ的な場面がない」と言っていた。確かにそうだ。回想場面もなかった。

「TOHOシネマズ シャンテ」で見ました。頭のところまでよっかかるところなかったです。近くの「TOHOシネマズ」はよっかかるところがあるので、「椅子が大きいと楽なんだな」と思いました。

下記の動画を見たら「被害者と加害者の乖離」と話していた。テーマは「現実世界での女性が置かれている状態を問う」と私は話しましたが、「被害者と加害者の乖離」という考えは、私がテーマとしたことのさらに心奥まで深ぼっている。ここまでくると男女関係ない問題なので制作者がここまで考えてたかはわからない。しかし、そこまで考えられる作品ということだろう。キャシーの行動についても「コントロールできるという確認行動」と話していて(私は贖罪と書いた)、心理の専門的なことは、この動画の投稿者の話だけを鵜呑みにせず、他の資料も当たるべきではあるが、納得してしまった。


暴力もポルノもない、そのような刺激なことを描かないことによって(あってもおかしくないのに)、刺激的な運動、映画の快があったのかもしれない。


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