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映画「ルックバック」を見てきた。コミックとほぼ一緒なので、アニメとコミックの違いがわかる。

映画「ルックバック」を見てきました。良かった!絵が素晴らしかったせいでしょうか、現実の重みがありました。例えば豪雪の場面があるのですが、もちろん映画の中の場面なので寒くはありません。しかし、雪や風の抵抗感みたいなものを感じられたような気がします。雪がわかりやすかったので例にしましたが、風景とそこにいる人物のリアリティのようなものを実写以上に感じられました。うまく言葉にできない。

いつもは物語やテーマなどを伝えているのですが、テーマはともかく物語についてはコミックで何度も読んでいるので(原作は購入していました)、初見での驚きや夢中になった点を語るのが難しいので、今回はやめます。
主にアニメとコミックの違いについて考えたいと思います。
コミックは自分のペースで読みますし、コマとコマの間に行間があり、そこを読書の想像力で埋めます。
アニメは作りて手の時間のペース(時間の解釈)で物語が進みます。動きと動きの間もきちんと描かれます。カットとカットの間に想像の余地はあると思いますが、映像が止まるわけでもないので、想像する余地を与えてくれません。
演出の仕方も違います。コマの大きさを自由に変えて、大事なところとサラッと読んでいいところをわかりやすく表現できるコミックと、画面サイズが常に同じ映画では演出の仕方も違ってきます(すみませんアニメの演出についてはあまり詳しくありません)。
その上で考えると、全てではないですが「もう少しゆっくり見たかったな」という場面がコミックと比べて、この作品にはありました。次の場面への期待感を高めるための、直前の場面のタメが私が期待していた時間より短い場面がありました(具体的な場面が思い出せません。すみません)。ただ、これは好みの問題で人によってはその「タメ」について「テンポが悪い」「演出過多」と思う人もいると思います。この作品は、コミック「ルックバック」を読んだ作り手が見た、「ルックバック」という作品であり、一つの批評としても考えられる作品です(原型としての作品があり、その作品を別媒体で移植した場合、原型として作品を作った人が作らない限り、その作品には批評性が出てくる、考えました。原作者が作った場合、元の作品を作ったときから時を隔てれば批評せいもあると思いますが、基本的に絶対になってしまうので、批評性が低いと考えます)。その作品について(この場合コミック)の他の人の解釈を知った時、その解釈を知った人もまた自分の作品への解釈が明確になるのは批評を読んだ時の醍醐味ですね。対立軸あった方が考えが明確になる。
まあ映画は原作があるものも多いので、ほとんどの作品には批評性があるのでしょうが、私自身が原作を見ないで、映画を見ているので全然気づけません。
藤野が京本に褒められてウキウキする場面。私にとっては、この作品の原作に当たるコミックを読んだ時、この場面が一番印象に残っています。見開きで、一瞬を切り取った場面。他のコマとの緩急があるからこそか、すごく大きく見えたんですよね。この映画からはあまりその迫力は感じませんでした。明らかに映画の画面の方が大きいのに不思議ですね。映画では動きを細かく描いて、コミックにはない雨でできた水たまりを掬い上げるとか、アニメとしてはヌルヌル動いているのに、スキップが下手なのか藤野の動きがぎこちなかったりと、動きで喜びを表現していました。この映像は素晴らしかった。これは、この映画の作り手の解釈なんですよね。コミックを知らなかったら、すごくいい場面と思ったと思いますが(すごくいい場面なんですが)。コミックの大きなコマを見て、それを映像として表現する時、どうするかを考えてあの表現にした。
マンガの大ゴマは効果としては読むスピードを遅滞させる効果があります(人によって違うと思いますが、少なくとも小さなコマの連続よりは)。私はあの大きなコマから(藤野の表情や周りの風景から)、アニメを作る人のように前後の動きは想像しませんでした。ただ大ゴマをじっくり見て、それによって遅滞された時間が藤野の喜びに浸る時間も与えてくれました。
アニメだと動きに目がいってしまって、喜びに浸る時間が「与えてもらえなかった」と感じてしまったのかもしれません。動いている時間を停止させて、視聴者に思考を促すのはアニメでは難しいですもんね(行えないとは思いませんが、アニメだと不自然であり考えることを強制されているみたいであまり好ましくないですね)。
アニメとコミックの違いがよくわかりますね。

若い人が直向きに夢に向かって進む姿はそれだけで感動します。青春の一ページとして、私にはあまりそのような経験がなかったので、羨望も交えて見ていました(経験がある人は懐かしさを感じるだろうし、青春の中にいる人は憧れを感じるのかな?)。
唐突に人が亡くなる作品は、どうしても「他に表現方法」はなかったのかと思ってしまいます。と同時に失うことの痛み、斬鬼、そこからの再生を描く時、作中の死が強い効果を生むことも事実です。
「藤野ちゃんはなんで描いているの」のと言う京本の台詞から、藤野と京本の回想。
京本は藤野と直接出会わなくても、自分から外に出て美大に行ったでしょう。もしかしたら、その未来の方が良かったかもしれません。
しかし、そのとき京本は藤野との青春は生きられなかった。そして、二人にその青春を過ごさせ、京本に生きる力を与えたのは、藤野の作品の力であり、京本の死で落ち込んだ藤野を元気づけたのも、自分がつくった作品でした。
そして、藤野が作品を描き続けこられたのは、読者としての京本がいたからでもあります。
物語の力で人を救うことはできる。理想的ではありますが、そう信じられる力を与えてくれる、そうのような作品だと私は思いました。

この映画、上映館が少ないのでしょうか? 近くの映画館で上映していなかったので、都心の映画館に行きました。公開後初の土曜日最初の上映、ほぼ満席でした(この日はどの時間帯も予約で席が埋まってました)。上映終わった後、拍手が起こってました。隣の人から眠っているような息遣いが聞こえてきましたが、チラと見ても起きている。嗚咽の音だったのかな。
パンフレットが売り切れていた……。しばらく経てば、また売り出されるかな?
特典として、原作となるコミックのネームをもらえた(最初から最後まで描いてある)。こんなに細かく描いているんですね。

作品の一番初め、藤野が机に向かって作業していて、背中を見せている場面。机に置いてある鏡に藤野の顔が映っています。正面ではなく、顔も小さく映っているだけなのに、どうしても私の視線は鏡の中にいきます。人は顔に目が向かってしまうのですね。

雨は演出として涙を思わせることが多いですが、この作品では喜びの強調として使われていますね。その前の場面で視聴者に示した方向性によって、演出の効果が変わることがわかります。

冒頭のあまりうまくない作画での、藤野の四コマ作品のアニメーションは「絵がそれほど上手くなくても、アニメーションは作れるんだな」なんて思いました。

58分と短い上映時間の作品でしたが、その充実した時間を過ごせました。上映時間は短いけれど、作中では十年くらい経っています。時間についても考えさせられますね。
動きも素晴らしかったです。素晴らしい作品でした。

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