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映画「フリー・ガイ」を見てきた。本当に2時間かと思うくらい、盛り沢山の映画。

映画「フリー・ガイ」を見てきました。すごく面白い映画でした。ダレることない展開で目が離せなかった。「オンライン・ゲームの中で起こることを題材にした作品」とだけ知っている状態で見に行った。「現実世界で目立たない人が、ゲームの中で暴れる映画かな」なんて思って見に行ったのだけれど、主人公本当にゲームのモブキャラなのね。現実にいない人なのね。

テーマとかあるのかな? 探そうとすればありそうだけれど。強いて言えば「決められた人生からの脱却」とか。でもこれは「オンライン・ゲームのモブキャラ」を主人公に選んだとともに、自然に表出するテーマだよね。テーマを決めてから、それにあった題材として「オンライン・ゲーム」を選んだのなら「決められた人生からの脱却」がテーマと言っていいけれど、多分これ考えた人は「オンライン・ゲームのモブキャラが主人公の話なんて面白いだろうな」という発想が先だと思う。まずそのアイディアがあって、それを面白くする人物設計(主人公ガイは真面目さゆえに、オンラインゲームで有名になる。ガイの行動は、ゲームの中とはいえ暴れるプレイヤーへの警鐘ともなっている。これもテーマになりうるな)、世界観の作成などを行ったのだろう。テーマを決めると、テーマが重力になって作品に一貫性を作ることがきるし、それは大切だけれど、なにもテーマだけが一貫性を作るわけではない。この作品は「オンライン・ゲーム」だ、いうなれば何でもありにできるが、ただ一つ外してはいけないのは、「オンライン・ゲーム」と関係ないことを映画内で行ってはいけないこと。「オンライン・ゲーム」「オンライン・ゲームのモブキャラ」というのが、テーマなのかもね。世界観自体がテーマ。メッセージ性がなくてもテーマは作れる。

話の展開はオーソドックスである。主人公が事件に巻き込まれて(きっかけはガイが女性に惚れたからだけれど)、その事件を乗り越えていく話。作品が古いとか、新しいとかあるではないですか。この作品は今現在だと「新しい」のだと思う。それゆえにどういうふうに展開するか予想がつきづらい(展開自体は主人公が勝つに決まっているからわかるけれど)。もっと詳しくいうと、その展開に出てくる、主人公たちの「障害となる出来事」とその出来事の解決策が予想つきづらいですね。例えばこの物語の構造自体を時代劇に持ってくることもできますよね。でも、多分私がその時代劇を見たら「まあまあ面白かったな」と思うくらいだと思うのですよ。それは、時代劇を今まで見た記憶から「障害となる出来事」が読めてしまうから(逆にいうと予想を裏切られたら、面白いと感じる可能性もある。裏切り方の展開次第だけれど)。「新しい」と思われる作品は、今まで知らなかった展開を見せてくれる。そして新しさとは、現実世界での最新テクノロジー(オンラインゲームが最新かわからないけれど)から生まれる(ことが多い。まあ、わかりやすいですから。新たに表出した環境問題とかからでも生まれるとは思います)。オンラインゲームなんて、20年前からあったわけですから、新しいのかと言われると疑問に思いますよね。ある程度、一般的になっているかつ、あまり題材として使われていない(ゆえに展開が読めない)作品が。まあ「新しい」のかな。20年までは、「サーバを落とす」と言われてもほとんどの人が、そこに危機感を感じなかったかも。今だったら、ゲームをやってないまでも、SNSを行っているなら「サーバを落とす」に危機感を感じるしね。今までなかったピンチの作り方。これも「新しい」かな。

ゲームの中だから、平気に人が死んでいくんですよ。人が死ぬってもっと重いものだと思うのです。そんな世界で何が起こるのか、私たちは知らない。なので、展開が読めない。もちろん人の命が軽い映画もありますが、それは作品のテーマとして作っていることが多いと思います(先日見た「ザ・スーサイド・スクワッド」も人の命が軽かったですが、「ザ・スーサイド・スクワッド」での人の命の軽さは、皮肉としても見える。少なくとも、その軽さに意味を感じてしまう)。でも、「フリー・ガイ」では人が死ぬことが当たり前に起こっている。これがテーマに見えないのは(もしかしたらテーマかもしれないが)、「ゲームってそういうものだろ」って考えがあるから。当たり前だと思っているせいか、人の命の軽さにあまり意味を感じなかった。

作品の中で、主張してことがありました。「モブキャラ」について。オンライン・ゲームを題材にした映画は数あれど(シュガー・ラッシュとか。オンライン・ゲームではないか……)、「モブキャラ」という切り口で見せている作品はないんじゃないかな。モブキャラがいないことを寂しがる人たちが映画の中にいました。「なくなって初めて気づく」ってやつですね。このモブキャラ(主人公でもある)がどう問題を解決するのか。先が読めませんね。なくなって初めて気づく」これはテーマかもしれないね。作中でも、言及しているし。でも「モブキャラ」を主人公にした時点で、これも自然に浮かび上がってしまうテーマだよね。自然に浮かび上がるとはいえ、浮かび上がったそれを作中の問題として切り取るのは映画を作った人のセンスです。この作品のようにモブキャラが知能を持ってコンピューター内からプレイヤーを操り悪いことをさせる(これも「新しいかも」。人工知能が悪というのはよくあるけれど。今現在リアルに感じられることとして)。切り口を変えれば、そこから出てくるテーマも違ってくる。作者がテーマとして「なくなって初めて気づく」を意識的に選んだかどうかはわからない。ただ、この映画の作者はわたしが考えたような展開にはしようとはしなかった(もしかしたら思いついたかもしれないが、自分が作りたいのはそういう暗い方にいく話じゃないと思ったのかもしれない)。選ぶのではなく、選ばないことで表出するテーマも変わる。

ほとんど作品紹介しないで書いていたけれど、この作品でモブキャラであるガイのAIはミリーに会って、知能を持ちます。モブキャラのパターンから外れます。

この映画のすごいなと思うところは、問題解決の鍵となるもの(マクガフィン)が「オンライン・ゲーム」だからこそのものであること(そもそもガイが物語が動くきっかけのミリーに恋するということも、この「オンライン・ゲーム」ゆえ。ゲーム開発が関係している)。ということは問題自体も「オンライン・ゲーム」ゆえ。私がいう、読めなくなる障害がある出来事とは、この問題のこと。「オンライン・ゲーム」ゆえの問題なんて全然わからないじゃないですか。この映画とは外れるけれど、解決する問題が「オンライン・ゲーム」ゆえの問題であれば、「へーそんなことが問題になるんだ」と知らなかったことを知れる楽しみがある。そのような知らない問題を提出する映画が「新しい」かもしれない。この映画であれば、現実の訴訟問題を証拠をゲームの世界で探すのです。意味がわからなくないですか。そして本当に証拠がゲームの世界にあった。このゲームのもとを盗んだ男(この映画はミリーが自分と、キーズが作ったゲームを騙し取られ、それを元に作ったオンライン・ゲームから証拠を探す、話でもある)は、ミリーたちの作品の痕跡は消したのですが、反射する風景までは決してなかった。ゲームゆえの証拠ですね。「そんな証拠があるのか」と驚いちゃいましたよ。

ところどころ笑えるところがあって面白かったです。ガイが終盤で戦う人からの攻撃を避ける方法が、ちょっと都合がいい感じだったけれど、それを笑いにしていて気にならなかった(マーベルやスターウォーズを出したのは、親会社が同じゆえなのか)。

中盤ミリーが戦うところで、戦い自体は真剣なのに、バックミュージックがやけに明るく、ミリーを見ているガイ(ミリーに惚れている)に音楽がシンクロしていて、視点人物を誘導していた。音楽ってこう使うのね、と初めて気づいた。

本当に面白かったですね。「新しい」感じ、そしてその新しさゆえに出てくる問題を、きちんと作品の乗り越えるべき障害として設定しているところが素晴らしい。どんなに世界観が新しくても、物語として必要な問題が、世界観と全く関係ない出来事であれば(もしくは、問題がその世界観ゆえでなくても、その問題解決方法)ここまで面白く感じなかっただろう(プレイヤーがゲーム内で与えられるミッションを、普通にそのゲームに乗っ取って解決するとか。映画フィクションなのだから、そのような問題は別にオンライン・ゲーム内でなくても作れるし)。

序盤は主人公にそこまで魅力を感じないから(それでもやけに明るかったから、キャラクター性はあった)退屈とまではいかないけれど、淡々と見ていた。ガイがミリーに出会った瞬間、見ている私は「これからとんでもないことが起こる」ぞ、と予測し、期待して、その期待は最後まで持続し、すごく楽しめた。

ガイがミリーに恋した理由から、現実世界で自分を大切に思ってくれる人に気づくというラストは素晴らしかった。最後のオチまで、素晴らしい。

私はこの映画のような「オンライン・ゲーム」をやったことないからあまりわからないが、サーバを再起動したり、サーバを壊したりすると、ゲーム内でこの映画のようになるのかな。ならなそうだけれど……。まあ、そこら辺は気にせずに。あと、オンラインゲームの2が出るから1をできなくてしてしまうものなのだろうか(ファイナルファンタジーは、11と14動いているよね。他の作品はわからないけれど)。まあ、ゲームができなくならないとこの映画のラストのクライマックスの展開はできないけれど。

サングラスをかけてないとモブキャラ、かけているのがプレイヤーというのは見ていてわかりやすい。ガイ(無理矢理かけさせないのは、優しいね)はバディにサングラスをかけることを勧めるが、バディはかけない。後にかけることにより、変化の象徴かと思ったが、そういう展開にはならなかった。

最後、ガイについてバディがついてくるけれど、特に何もしないで消えた。ついていくのも当然だし、ガイが大切な友を失ったという展開が涙を誘うけれど、なんかいなくなるための存在のように見えた。まあ、ガイの戦いの手助けしたし、そんなことないか。もう少し存在感を見せてくれもと思った。

本当すごく面白い映画でした。世界観ゆえにとか、主人公の性格ゆえに出てくるテーマもあるんですね。私はテーマがそれほど大切とは思ってないです。この映画を作った人も上述したように「オンライン・ゲームのモブキャラが主人公の話なんて面白いだろうな」という発想から生まれた作品だと思います。そのあとはテーマなんて考えず、どう面白くするか考えた結果かもしれません。訴えたいことがあるなら別ですが、テーマとは物語を作っている時に悩むことを減らす、一種の方向性なのではないでしょうか。最近テーマ、テーマとばかり言っているな……。


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