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映画「赤ひげ」をU-NEXTで見ました。連作短編作品のような物語だね。

映画「赤ひげ」を見ました。江戸時代後期享保の頃、小石川養生所に長崎への留学を終えた保本登がやってくるところから始まる。幕府からの辞令とはいえ、幕府の御番医になることを願っていた登にとっては納得いってなく真面目に働こうとしない。しかし、次第に小石川養生所長の赤ひげと呼ばれる新出去定の医療に対する実直さに触れ、次第に小石川養生所で真面目に働くようになる。登は最後は別のところで働くことを勧められるものの、最初は働くことを嫌がっていた小石川養生所で働くことを選択し、物語は終わる。

赤ひげというタイトルですが、赤ひげは主人公ではないですね。登が主人公です。長崎で学んだ蘭学の書物(登が写した)を渡すことを赤ひげから要求されるも、なかなか行わない登。自分が学んだことを盗まれるのを嫌がったのですね。気持ちはわかります(学んだということは当時の最先端の常識でありますが、登が発見したことではないでしょうが)。が、医療はなんのためにあるかといえば人を救うためです。それを達成するには知識を共有したほうが良いのです。結局、赤ひげに書物を渡しますが、なかなか返さないと文句を言っています。そのような独善的なところがある登が赤ひげと共に行動するようになり、だんだん変わっていくのが物語の軸なっています。明確に登の成長を描こうとしていますので、これはテーマとなってますね。登の成長を軸に、一本ドラマがあるのでなく、小石川養生所とい医療施設にくる様々な人々との交流を(この交流が一つの短いドラマになっている)見せて物語を作っています。連作短編のような形式ですね。詳しくは書きませんが、登は赤ひげを見、患者の死を見、患者の話を聞き、患者の世話をし次第に変化していきます。赤ひげとの対話の中でも過去の自分の独善さを悔いています。そして、この医療施設に来るのは貧困や無知な人々です。赤ひげも「貧困や無知が病を生む」と言っています。貧困さの方が映画内では強調されていますが、無知についても語られます。例えば「偉い人が全然食事の摂生をしなかったり、なんて場面もあります」。人の優しさを知らないなんてのも無知に入るのかもしれません。映画公開当時(60年代)も、こういう問題があったのかもしれません。格差が広がっている現代においても、通ずるテーマですね。日本において、この問題がほぼ見えなくなっていた(全くないとは言わない)のはバブルと言われる時代と、その前後数年くらいしかなかったのではないでしょうか。お金のない人の方が、健康的な食べ物は得られていないといいますからね。まあ確かに健康的に生活しようとすればお金はかかります。そして、知識がないと健康的な食べ物や運動などの大切さということにアクセスすらできないのも事実です。今見ても考えさせられる作品でもあります。貧困ゆえに性を商売としないといけなくなる、という場面もあります。ひとつの選択肢としてあるのは良いですが、他の可能性を十分に考えられるように、政治が考えなければいけない問題ですよね。映画の中でも赤ひげは政治が世の中をよくしないと、と言っていたと思います(多分言っていたよね)。

赤ひげは乱暴なところもありますが、乱暴さは滅多には出しません。言葉は、足りないところも少しありますが、理知的でもあります。作品を見る前は、同じ監督の作品「酔いどれ天使」の医師のような人をイメージしてましたが、そんなことはなくて良かったです。物事はきちんと説明しないとね。作品舞台が古い赤ひげの方が現代的な医師(それも優秀な)に見えますね。

登が診療所の白衣を着る場面は、診療所で働くことを受け入れたこととリンクしていて、象徴的で素晴らしかったですね。陰影の使い方は物凄くうまい、目立つ人にうまいこと光を当てるんですよね。休憩明けの登とおとよの場面。おとよのちようど目の当たりにだけ光を当てています。自然にそこに目が惹きつけられますよね。そのように注目させるところに光を当てています。黒澤明映画ではよく言われることですが、動きが沢山あります。雨、雪、風など。画面も工夫凝らして作っています。干された布団や、風鈴が鳴る場面など。冒頭、登を診療所に案内する先輩医師が診療所の説明をするところはすごくうまい。動いているから、飽きを感じないんですよね。

最初に登が、赤ひげをきちんと見ようとするのは、診療所の離れに隔離されているはずの女性(色情狂と映画内では呼ばれている)に襲われた時です。心を病んでいる女性を、二人の交流きっかけに使うのはどうかなと思いました。後半でその女性が自殺未遂をしたことにより、世話している女性が、心を病んでいる女性の父親に責められる場面があり。それを見た、赤ひげが情勢と向き合わない父親を責める場面があったので、交流だけに使われていなかったので、良かったです。まあ、でも他の要素で二人をの交流を描いてもいいかな、と現代的な視点では見ちゃいますね。子供がおかしくなったのは自分のせいかもしれないのに、子供の向きあわない親というのは現代でもニュースでも取り上げられますね。

佐八の恋人おなかがが佐八に抱きしめられながら死んでいくところがあります。おなかが言うことは今の時代で考えると、理解するのが難しい感情でした。それでも、演技の中から見えるおなかの感情を考えようとしました。結局わかりませんでしたが、小説のように心の声が語れればある程度は説明できるのでしょうが、映画ではそれは難しいです(できない訳ではないけど)。演技の中から、その機微を感じさせるのうまいな、と思いました。

60年代の映画でもありますが、現代の視点で見ても通ずるものがあります。そして、黒澤明最後のモノクロ映画であるだけに、モノクロで表現される陰影の美しさが際立っています。三時間は長いですが、良い映画でした。


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