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映画「成れの果て」をU-NEXTで見ました。映像でここまで心理描写ができるんですね。

映画「成れの果て」を見ました。この映画が扱っているようなテーマの作品を「面白い」「楽しかった」と言っていいのかわからないのですが、見てよかったと思える作品でした。
映像がいいのか、演出がいいのか、脚本がいいのか、役者の演技がいいのか、まあすべてがよかったのかもしれませんが、それぞれの登場人物の心理が、小説のように説明されるわけではないのですが、映像をみていると伝わってきます。映像で見せるだけで心理描写が伝わってきて凄いなと思いました

東京に住んでいる小夜に姉あすみから「布施君」と結婚するという電話がかかってきます。それにショックを受ける小夜。電話はあすみの家に誰かが帰ってきた(布施野が来る)ときに、小夜から切ります。
あすみ視点から描かれて、最後に夜道にたたずむ小夜を映して、物語は始まります。
あすみにしても、小夜にしてもカメラを引いて、全身を映します。それはとても孤独を感じさせます。
あすみは自分の結婚相手を伝えるのに何か躊躇しています。なかなか電話した理由を話さないあすみに対して「だれか死んだ。死んだ時しか電話くれないから」と返す小夜。この会話であすみと小夜の性格、関係性が見えてきてよいですね。何でなかなかあすみは自分の結婚相手を伝えないのか、そして小夜はなんで強いショックを受けたのか。
「なんでだろう?」と思います。「謎」が物語を先を見たい気持ちにさせますね。あすみの結婚相手の布施は小夜となにかしら関係があったのではと思います。ひとつの可能性として暴行をしたのではとも。「結婚相手を伝えるの躊躇しているってことは、暴行なんてしていた知っているよな。そんな相手を結婚相手に選ぶか?」と思ったので、それはないだろうと思いました。
「女性である小夜がそこまでショックを受ける理由ってなんだろう」と思います。答えは私が思った通りだったのですが、物語の前半では明確な説明はなく話は進みます。
姉妹の電話の後に布施野が出てきますが、そんなに悪い人には見えないんですよね。

小夜があすみの家に男(小夜の友達野本)といっしょに帰ってきます。
ここはとても緊張感がある、小夜とあすみ、あすみの家の居候している弓枝と電気屋で小夜とあすみと学生生活をいっしょに送っていたまーくんと小夜が対峙します。この場面緊張感がありましたね。あすみが嫌味な感じに全員に話しかけているのです。なんでこんな険悪なのか核心はまだ語られていません。このような心理的な対立は、視聴者に登場人物たちの心理を考えさえる効果がありますね。この作品の登場人物たちは、みなけしていい人ではないので応援したいという気持ちにはなりません。個人個人にも多少興味をもちますが、私が一番興味を持ったのは、この対立を生む関係性です。そして小夜に昔あったこと。
小夜は昔の事件によって結婚は破談になり、仕事もうまくいかなかったようです(仕事のほうは事件によって、落ち着いて物事をすすめなかったとかかもしれませんね)。

物語が進むと、小夜が布施野が暴行をうけたことや、まーくんはそれをネタに人との関係性をつくっていたこと。暴行をうけていたということもショックでしたが、人との関係性を作るのにゴシップを使うというのがおぞましかったです。まーくんはいじめられることすらない、存在すら認められない人間と作中で語られていました。わたしは今はあまり友人と遊ぶなんてことはしませんし、それほど他者といっしょにいたいとは思ってません。幸いなことに学生時代はそれなりに友人がいました。だからわたしには正直まーくんの気持ちはわかりません。ただ類推はできます。まーくんは小夜のことを暴行事件がある前からゴシップのネタにしていたようです。小夜は誰とでもつきあうとか、そんな感じで。あすみの初めての恋人もとったと。彼はゴシップでしか、人の興味をひけなかったのでしょう。まーくんについてはそれ以上のことは考えませんが、昏い過去があると思います。まーくんが話すことによって、彼が住んでいる田舎のコミュニティのなかでは簡単に話が伝わってしまった。
それを知って、以前から多分なんとなく好意をもっていた布施野は先輩今井と協力して、布施野、小夜、今井、今井の当時の恋人とともに飲みに行く。布施野と今井は共謀していて、今井と今井の恋人は途中で抜ける。ふたりきりになったとき、布施野は小夜を襲った。今井がそそのかしたのかもしれませんし、お酒を飲んでいたからかもしれませんし、まーくんが吹聴していたことが頭にあったのかもしれません。ここらへんは作中で語られているわけではないので、私の想像です。
布施野は帰ってきた小夜に「なんであんなことしたのかわからない」というようなことを言います。「何言っているんだ」と思うかもしれませんが、布施野視点だとこれは正しいことを言っていると思います。
もちろん暴行をおこなったときは冷静に動いていたと思います。それなら「なんであんなことしたのかわからない」ということになるのか。「魔が差した」という言葉では表現したくないですし、そういうことでもないと思います。布施野にとっては冷静にそれが悪いことと知識ではもっているので、自分が行った行為を認めてしまうわけにはいかないという心理なのだと思います。これも彼の言動を類推して「心理状態」を勝手に私が想像しただけです。
布施野にしても、まーくんにしても、小夜にしても、そしてあすみにしても明確な心理状態を小説で心情が語られるように説明があるわけではありません。だからこの作品を追うには彼らの心理を読もうとしなければいけません。それが、この作品に出てくる人たちはけしていい人ではありませんが、感情移入というものをしてしまうのかもしれません。応援したくなるようないい人なんて虚構の物語のなかにしかいなくて、実際の人間はこの映画で語られるような、多少の悪意をもちながら自分の立場を維持しようとしているのかもしれません。わたしは人の悪意にふれるほど、何かの怒りをぶつけられるほど、深い人間関係をもっていないのでどうしても想像するしかないのですが。
ただ、あすみだけはわからない。妹を暴行した相手と結婚する心理がわからない。だからあすみの心理状態だけは想像しませんでした(なんでだろうと思いましたが)。「妹を暴行した相手と結婚する心理」これに対して明確な理由などが作中で語られることを期待して、思考を止めちゃっていたのかもしれません。語られていないことで勝手に想像するわけにもいきませんし。そう考えると、わたしの中で作中人物の心理を慮ることへの線引きがあるようですね。あすみは映像の中では、はいはいと何度も人の言う事を肯定し、争いを好まない性格に見えます。何か波乱をおこすような予感もさせず、この作品の中で一番魅力がないですね。
弓枝が自分のお金が足りないからってあすみの家の権利書を盗もうとする場面があります。彼女だけは小夜の過去に関わってないのですが、こういう行為を描いているので、人には出来心で動く悪意があることの象徴でしょうか。あすみの家に居候していることからも、あすみのお人よしを伝える存在でもありますね。

今井と現在の恋人(小説家志望)がきて、布施野に小夜の事件のことを聞こうとします。今井は恋人に小夜の事件のことを話していたようです。ただの話題をはなすように、他者のセンシティブなことを語る神経がわたしにはわからない。今井の恋人が、布施野には暴行したときの気分を聞き、あすみにはそういう存在と結婚することについて聞きます(視聴者が聞きたいことを代弁していますね。ただこの小説家志望の取材は、急に出てきた人の行動だったので、物語の都合上の存在に見えました)。
布施野が怒って今井と恋人を追い出した後、あすみが「行かないで」というようなことを言ったとき、わたしにはなんとなくあすみの気持ちがわかりました。これも別に作中で語られるわけではありませんが、あすみは小夜に嫉妬していた。まーくんが小夜があすみの恋人を奪ったと言ったと前述しました(あすみの恋人から小夜に言い寄ったようですが)が、それ以外にもあすみは小夜にいろいろなことを奪われてきた人生だったのではないでしょうか。姉として責務を負わされるように育てられたのかもしれません。それに反して妹は自由奔放に生きた。そして小夜は誰からも愛された。
小夜は自分では意識してないかもしれませんが「ファム・ファタール」とよばれるような女性特有の魅力ある存在だったのだと思います。
あすみは常にそれに嫉妬していた、だから絶対妹に奪われないだろう「布施野」を結婚相手として選んだ。この時点であすみへの理解が進みました。
あすみも十分綺麗で魅力的だと思うのですが、自分自身でそれに気づいていないようです。小夜といっしょにきた野本(イクアップアーティスト)に化粧されたとき、すごく美しくなります。そこで野本は「もとがよくないとね」と言われます。そのときあすみは驚いています。この場面見たときは、何の意識もしない場面だったのですが、けっこう重要な場面でしたね。
けして布施野のことを愛していなかったわけではなかったようです。彼が自分から離れないように、何でも従順に話を聞いてました。

クライマックスの小夜と布施野の対峙は圧巻です。
たぶん小夜が暴行されたである倉庫のような場所で、ゲイである野本に布施野を襲わされます。同意のない行為がどれだけ女性を傷つけるか、男であるわたしは知識の中で理解しているつもりはあります。襲われる男で布施野を見ているとそれがまるで自分ごとのように思えて、そう思うこともまた知識上でしかないかもしれませんが、それでも恐怖は強くそれは想像以上に感じます。すべての男性はこの映画を見たほうがいいのではないでしょうか。そう思いました(とはいえゲイのひとへの偏見を増やさないかとも少し思いました)。
自分が襲わせたのに、襲われる布施野を見て苦悶する小夜。自分が過去にされたことがオーバーラップしているのでしょう。その思いを想像すると、小夜に行われたことが、布施野に重なり、それは視聴者であるわたしにその行為のひどさを想像させます。
この映画、たぶんまったく過去を映像として描かないんですよね。なので、小夜が襲われる場面も描かれない。大体の作品で説得力を増させるために描いてしまうので、それを描かないこの作品は新鮮でした。
調べると原作は「舞台」なんですね。それが影響しているのかもしれませんね。舞台となっているのもほぼあすみの家なのも「舞台」だからなのかもしれませんね。
描かないことが想像させることによって、視聴者の思考を促しているのかもしれません。
小夜が襲われる場面は描かれませんが布施野を通して、わたしはそれを見てました。それがために強くわたしに印象を残します。
小夜と布施野はともに生きることになります。言葉にはできないですが、なんとなく理解はできます。彼らはけして幸せになれず「不幸を見るため」と言った小夜が一番傷つくことも想像できるのに、そう生きるしかない(彼女にとって暴行された事実を隠しては生きられないようです)小夜には哀しみを覚えます(実際に自分を襲った人間とともに生きる人がいるとはあまり思いませんが)。
布施野から野本をはなすために、金属パイプで小夜は野本を殴ります。見ていられないという気持ちはわかりますが、自分が襲わせたのに、野本かわいそう。
復讐とはいえ自分の手でやらないで(まあ、自分では自分が行わられたことをわからせられないのですが)、野本にやらせているところから、小夜のなかにも悪意がありますね(人を巻き込むのはあまりよくない気がするので)。

ラストは出張の用意をする布施野とあすみ場面から始まります。
布施野がいなくなったあと、現れたまーくんから布施野が戻らないことを語られるあすみ。
この最後の場面でより強くあすみの心情が想像できました。
別れた瞬間に自分に告白してくるまーくんを罵倒するあすみ。そこには布施野の前にいた従順なあすみはいません。
この作品は、小夜の物語でもありますが、それ以上にあすみの物語だったんですね。まじめな姉と奔放な妹の姉妹の物語(そういう描写はないけれど)。

テーマはなんでしょう。「姉妹」「復讐」「暴行がいかに傷つけるか」「人の悪意」「嫉妬」「都会でないところ特有の空気(行き詰った空気を作品から感じました)」「人の心」「過去の傷」。
小夜とあすみの物語が二重奏となり響き、そこにそれ以外の要素、人物やテーマが響き渡り何重にも声が響いています。
小夜の過去という「謎」と、人間関係の対立で物語への興味を持続させ作品を見せ、多重の声を響かせている。とてもすさまじい作品のような気がします。

小夜は実家に戻ってくるわけだけれど、その時点ではまだ昔の事件のことが詳細にはわからない(予想はできるけれども)。なので、小夜の目的はわからない。目的はわからないけれど、小夜には興味を持ったよ。実家に戻ってきてのやりとりが激烈だったから、この人がこれからどんなことを行うのか、興味を持ったのだろう。
必ずしも人物に「目的」が必要なのではない、ただ目的があると、その目的を果たすための障害とかが見えやすくなって、緊張感が出て作品として面白くなりやすいというだけで。
そして目的が自己から発したものなら、それを乗り越えればその人物が変化することも考えられる。変化によってカタルシスが生まれる。自己から発したものでなく、人を助けるとかだとあまりその人物の変化はないことが多い。助けられた人方が変化することもあるよね。
目的を語らなくても、小夜のように対立が見えるような性格なら、それで緊張感が生まれるから、すぐに目的を提示しなくてもいいかもしれない(目的はあったほうがいいから後から伝える)。

演技はよくわかりませんが、主演の小夜役の人の演技は「うまいなあ」と思いました。目の動きとかでなんとなく心が読める。
ラストのあすみの激高を見ると、それまでの特徴がない抑えた演技もまた「良い演技だったのだな」と思いました。

最後、あすみは野本からもらった化粧品で、メイクしている場面で終わります。あすみが自分から変わろうとしている場面から、前向きな終わり方かもしれませんが、良い方向に変化するかわかりません。妹のようになろうとするかもしれません。妹に負けてしまったことで(あくまであすみ視点でですが)堕ちてしまうような絶望を、感じただろうし。

「成れの果て」というタイトルの意味はどういう意味なんだろう? 意味的には「かつて栄華を誇っていたものが、すられるさま」だろうし、この作品の中に「かつて栄華を誇っていたもの」なんてあったかな? 妹が傷つくことも考えず、妹を襲った男と結婚しよう(妹への嫉妬・恐怖から絶対盗られない存在を選んだ)としたが、結局奪われてしまったあすみのことを言っているのだろうか?

カメラをぐるっと回すように撮っている場面があるのですが、そこは印象的でした(たしか弓枝があすみの家の権利書を盗もうとした場面)。

あまり説明がないところがいいですね。説明なしで映像だけで、こんなふうに心理描写を語られているところに一番凄みを感じました。
説明がないから、演技や語られる台詞の断片から心を想像する必要がありますが、それが感情移入を促しているんだと思います。けして応援したいと思うような人間はいなかったのに、たぶんそれほど個人個人の人物には興味をもってないのに、心の中に入ってしまった。
見ている人に考えさせるって良いですね。
「素晴らしい作品だったな」と思いました。

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