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映画「戦場にかける橋」をU-NEXTで見ました。面白くて、考えさせる映画ですね。

映画「戦場にかける橋」を見ました。「ライアンの娘」があまりに素晴らしかったので、同じ監督の作品を視聴しました。すごく面白かった。物語構成が完璧ではないでしょうか(後半のきちんと橋を作る場面があまりないな、とは思いましたが)? 

第二次世界大戦当時、タイとビルマの国境付近にある捕虜収容所近くにあるクワイ川に橋をかけるまでの話。前半は、ジュネーブ条約を無視してイギリス人捕虜の将校まで働かせようとする日本人の斎藤大佐と、過度な監禁などを行なわれても条約を履行しない者には従わないとする(捕虜なのに)ニコルソン大佐両者の葛藤で物語を見せていく。斎藤大佐が日露戦争の戦勝の日に恩赦として、結果としてジュネーブ条約を守ることになる(それまでの行為は守ってなかっただろうが)。その両者のやり取りの合間に、脱走兵(アリリカ軍のシアーズ中佐)を描き。物語中盤は、この脱走兵がイギリス人捕虜たちが作る橋を爆破する作戦に参加するまでを描く。ニコルソン大佐の指揮で橋でまじめに働くイギリス人を見せ。爆破計画遂行のための道中を描き。最後は橋の爆破で終わる。爆破計画の道中は、後にくる爆破を予測させ、「本当に壊すのか(捕虜であり、敵軍に利するとはいえイギリス人が作った橋)」という気持ちが常に緊張感をもたらせ、見入ってしまった。

イギリス人捕虜をうまく指揮できない日本人指揮官は仕方ないとして、橋の建設に地盤が緩いところを選ぶのはいくらなんでも無能ではないかと思ってしまう。原作があって、戦争経験から描かれたらしいが史実なのだろうか? 日本人が西洋の人に命令する時代もあったのだな、と思ってしまった。日本人が条約を守らなかったのは、多分本当なのだろう。

経験から戦争を描こうとした。原作者にはその想いがあり、映画の制作者は原作からどのエピソードを採用し、何を描きたかったのかにテーマがある(原作はの物語はもっと詳細なはずだ)。それが正解だとは言わないが、仲間を人質に取られても(将校に働かせないなら、怪我人も働かせる脅される)、条約を守らない者には従わないというニコルソン大佐の姿勢はひとつの信念として考えさせるものがある。戦場という異常な場所に置いて、捕虜という不利な立場でありながら信念を崩さないニコルソン大佐は尊敬に値する。将校として立場守り抜いた後、敵に利することもあるのに、日本人の橋の建設に積極的に手伝う。それも全て、自分の部下を守るための行為であることもあり、それはそれで尊敬に値する。そのような大佐を描きながら、最後の最後で仲間が橋を爆破するのを阻止しようとしてしまう。しかし、爆破のスイッチを見た時「何のために」と考えてしまう。これは言葉では説明できないですよね。この言葉にできない想いが映画制作者が描きたかったことなのかもしれない。正直、私もどう考えていいのかわからない。言葉てはうまく説明できない「何か」を描くのに、物語は最適ですよね。そのためには前半の積み重ねを経て、ニコルソンという男を描く必要があったのですね。ニコルソン大佐の信念を描くために、斎藤大佐はジュネーブ条約を破らないといけないし、ニコルソン大佐の人間性を描くために橋の建設(捕虜たちに目的を持たせるために)は必要だったのです。そして、最後の「何のために」と思わせるためには、爆破作戦が必要だった。原作者の経験からの話ではありますが、ニコルソン大佐を描くためにエピソードは選ばれているのかもしれません。ニコルソンが全く出てこない、シアーズ中佐の脱走から、橋爆破までもニコルソン大佐のためにエピソードともいえます。ニコルソン大佐を中心に読み解くとなるとですが。シアーズ中佐側にもドラマはあります。シアーズ中佐は実は、一般兵で捕虜での待遇を考えて中佐を詐称していました。戦争の中(死に関わる選択の中で)で人がどういう行動を取るかがわかります。シアーズ中佐は橋への爆破に向かう際に、怪我した仲間を置いてゆこうとはしません。置いていくという選択肢もあります。そのような選択が出てくるところから、究極状態で何を選ぶかも考えさせます。その助けられた人は最後に仕方なく、シアーズ中佐を見殺しにします。「仕方なかった」と言います。考えさせられますね。斎藤大佐側(後半はあまり活躍しませんが)から見ると、ニコルソンたちに恩赦を与えた時の悔しさでなく描写や、期日に橋ができそうもなく急いでいるところなど、考えさせられる所があります(私が日本人なので、余計に)。完成した橋を見ていた時は、何を考えていたのでしょうか?

私としてはこの映画はニコルソンが最後に「何のために」と言わせるためが、テーマだと感じました。橋を爆破するスイッチはニコルソンが撃たれて倒れた時に偶然押してしまいます。そして、橋が壊れます。「そこは自分で押すか、押さないか決めて終われよ」と思いましたが、それだと一つの答えを提示してしまうんですよね。「何のために」といことを考えさせたかった、とすれば偶然スイッチを入れてしまうのは良かったのかもしれません。映画のラストとして壊さないといけなかったのだと思います(戦争が終わってない時点では、敵に利していますしねこの橋は)。でも、ニコルソン大佐の意志で壊してしまったら、一つの正解を示してしまう。そうでなく、ニコルソン大佐の言葉にできない感情を考えて欲しかった。そう考えると、偶然でよかったのでしょう。

橋破壊前の捕虜たちの祭りのような描写も、爆破を準備しているシアーズ中佐たちと交互に映していて、緊張感が高まります。橋を作ったことを捕虜たちも誇りに思っているなら、「壊してほしくない気持ち」が強まりますしね。

橋が完成して、橋の上でニコルソン大佐と斎藤大佐が話す場面。ニコルソン大佐は「人生の終わり近づいていることに気づく」「私の人生は何だったのか」独白する場面は、今の自分と重ね合わせて(私は大したことは行ってませんが)、響くものがありました。

映画は鷲?が空飛ぶ場面から始まって、鷲?が空飛ぶ場面で終わります。シアーズ中佐が監視兵を殺した時、大量のコウモリ飛ぶ場面が映されます。コウモリは裏切りとか示していそうですが、何か意味があったのでしょうか?

日本人は戦場にも和室を作るのか?

終始緊張を生むように作られた物語構成。そして考えさせられるテーマ。エンタテインメントでありながら、文芸作品とも言える(こういう分け方にあまり意味がないような気もしますが)、素晴らしい作品でした。

昔の映画は顔のアップがぼぼないね。表情を見せるのでも、胸まては画面にある。頭が切れるのは一箇所くらいじゃないかな。監禁されているニコルソン大佐を、軍医が見るときくらい、多分。


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