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映画「トゥモロー・ワールド」をU-NEXTで見ました。長回しは迫力がありますね。

映画「トゥモロー・ワールド」を見ました。2度目です。原題は「CHILDREN OF MEN(人の子供たち)」です。邦題もこれで良かったと思ってしまいます。「子供」がテーマってわかりやすいですよね。「トゥモロー・ワールド」でも、未来を示唆していることはわかりますが、この映画のテーマとはあまり関係ないような気がします。

出産能力が失われた世界で。セオは反政府グループ「FISH」に拉致される。首謀者は元妻のジュリアン。ジュリアンから、不法滞在者の「通行証」を要求されるセオは、渋々ながらもその要求に応える。その不法滞在者は、妊娠している少女キーだった。「FISH」の裏切りによってジュリアの死んだと知った、セオはキーとミリアム(セオの面倒を見ていたFISHのメンバー)を連れて、セオと生まれるだろう子供を引き取る約束している「ヒューマン・プロジェクト」との待ち合わせ場所に向かう。

このあらすじでは、あまり面白く感じませんね。物語が面白いというより、長回しの場面の迫力に圧倒されて楽しむ映画でした。物語自体はセオが特に葛藤することなく、進む場所が示され(状況や周囲の人間の案内により)、そこに進むかたちで進みます。サクサク物語が進んでいきます。この点は少し、物足りなさを感じました。

なぜ子供が生まれなくなったか、なぜキーだけ妊娠ができたのかという説明は一切ないです。「もし子供が生まれなくなった世界で、妊娠している存在がいたら、人々はどう動くだろうか」ということのシミュレーションを見せているような形の作品ですね。SFですね。向かっている先のトゥモロー号(「ヒューマン・プロジェクト」人類救済事業団。不妊症の治療などの研究を行なっている)も、象徴的な存在です。最後にキーはトゥモロー号を発見します。未来がある終わり方ですね。しかしながら、そこでの生活が幸せになるかどうか「ヒューマン・プロジェクト」についての信用は、物語内では担保されません。なので、象徴的存在と書きました。ヒューマンプロジェクトについては、最初の方のジャスパー(セオの友人)の冗談で語られる程度です。きちんと見てないと見逃してしまいます(私は見逃しました。動画を再度確認して書いてます)。

この映画は面白く、楽しめたことを前提でですが、また「この映画はなんのための映画だったのだろう」と考えてしまいました。特に登場人物が成長しているわけではないですからね。キーは子供を産んでますし、成長はしていると思うのですが、キーは物語を通して守られる存在です(最初の「何見てんのよ」というセリフは、気の強さを表していましたが、その後は性格を見せることはなかったです)。自分で主体的に何かを行なって愚かさを見せるわけでもないし、愚かさを克服して何を解決するわけでもないです。映画の中の「象徴・偶像」という形の存在です。セオもキーをトゥモロー号に送り届けて、死んでしまいますし。成長要素がないと「なんのための映画」と思う、という点から私は物語に、わかりやすい「成長要素」を求めているのがよくわかりますね。エンターテイメントを期待して見てしまったのも、成長要素がないことに不満を感じているのでしょう(新幹線大爆破もテーマと直結して、倉持が国鉄を自分で辞めるという変化する要素がありました)。「エンターテイメントではない」とまでは言えませんが(楽しんでみられるアクションはありますし)、むしろ「文芸作品」として鑑賞する映画かもしれません(ジャンル分けに意味があるのかと言われると、意味がないのかもしれません。しかも、このわけ方は私の感じ次第ですし)。

キーのために、セオ、ジャスパー、ミリアムたちは犠牲になっていきます。この映画で分かりにくいところは「全く子供が生まれなくなった世界で、妊娠した人がいるとしたとき、その存在が今までなんの関係もなかった他者だとして、自分の命をかけてまで守る存在になりうるか」というところです。この映画では、命をかけて守る存在として描かれています。私にはわかりません。その時の、セオやジャスパー、ミリアムたちの感情は読み解けません。想像すらできません。大人にならないと、わからない作品というものがあります。子供より、仕事をとってしまう人間の話とか。私は多分「仕事より子供だろ」と思いはしますが、仕事を選ぶ人間の気持ちも察せられます。これは、まだ仕事についてない学生時代であれば理解するのは難しく、全面的に仕事を選ぶ人間を作品の中で支持したとしても、仕事を選ぶ理由は、想像するのは容易ではないでしょう。このような感じです。感情移入もできないかと思います。感情移入というものに、いささか疑念を持っている私ですが、こうやって人物の思考が読めない存在が出で来れば、今まで登場人物を理解したい気持ちなっていたのは、感情移入ができていたのかもしれない、と思いました。なので、何でセオが必死にキーを守っていることに対して、十分な納得がいかないまま見ているわけです(新幹線大爆破の沖田を見ているときと同じですね。何で、こんな大きな犯罪をするのかわからない、と思う気持ち)。ただ、もし自分がこの映画と同じ世界に行ったら、もしかしたらそういう気持ちになるかもしれない、という考えはします。種の保存という感覚。自分の子や大事な人を思う気持ちの拡大として考えられます。解釈が大きくなりすぎて、想像ができないだけかもしれません。難しい映画ですね。感情移入を拒否している。わかりやすいテーマがない。テーマなんて気にしなくても、楽しめるアクション。上述したように、テーマは「もし子供が生まれなくなった世界で、妊娠している存在がいたら、人々はどう動くだろうか」ということなんだと思います。人間の成長ではなく、人がどう動くのかを主に据えたテーマです。しかも、「人がどう動くのか」という点を「ライアンの娘」のように歴史として実際にありそうであり、経験しているだろう「人の差別意識」をテーマにしているのでなく、ありうるだろう未来において、未だ人が経験していないことを題材にしています。今は、私のような意見の人が多いかもしれませんが、未来においてはもっと楽しめる人が多くなるかもしれません。最後の襲撃の場面では、赤ん坊んを目の前にした時、軍の人たちは銃を引いてました。今まで、収容所を襲撃した「FISH」も、収容所の人間も特に見境なく撃っていた軍の人たちがです。赤ん坊の大切さは、ここの場面で伝えてますね。「FISH」は政治利用しようとしてました。神聖な要素を使おうとしていたのですね。

長回しについてです。二回目だから、冒頭で爆破場面があることは知ってたんですよね。初見の時はかなり驚いた記憶があります。なんの予測ないですし。初見なら、この爆破で引き込まれちゃっただろうな。セオのキーとの最初の出会いの車の移動は、セオとジュリアンのもと夫婦の仲良いやり取りから、突然の強襲で、展開の起伏がいきなりで見栄えがあるアクションでした。収容所の「FISH」による襲撃は臨場感があって目が離せませんでした。この場面だけでも見る価値があります。逆に言えば、エンターテイメントとして見たとしても見応えがえるので、見た後にこの映画について考えてくれる人がどれだけいるのだろうか、とも思ってしまいました。収容所の襲撃の場面は、トンネルから始まります。トンネルを抜けると、襲撃の悪夢のような場所へ。海に出るときもトンネルから海へ。希望へと移動していきます。狭いところから、広いところへの移動が象徴として描かれています。

なんの疑いもなく、「これは未来なんだ」と思いながら映像を見てました。

「ライアンの娘」のように、行動予測をさせる演技というのは見つからなかったです。「ライアンの娘」が特別だったのかもしれません。

この映画は面白い。ゆえに、テーマが伝わらないのではなかろうか? なんて思ってしまいました。そんなことはないかな。


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