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映画「パルプ・フィクション」をU-NEXTで見ました。時間軸がずれている話をどう思う。

映画「パルプ・フィクション」を見ました。また、エンターテイメントに成長要素など必要ないと証明されてしまった。まあ、この作品は会話劇を楽しむ作品だよね。会話劇をするために出来事があるという感じで。コメディとかの構造に近いのかな? でもこれなんで時系列バラバラなんだろう? 最後にひとつひとつのエピソードが集約されるわけでもないし。成長要素がないというのは、最初のエピソードに出てくるヴィンセントとジュールスのコンビ、その続きである最後(4番目)のエピソード(最後のエピソードと言っても、時系列的には真ん中だが)でジュールスは「神の奇跡にあった」(自分に放たれた銃弾が一発も当たらなかった。ジュールスは人を殺す前に、旧約聖書の一節を暗誦する)と言い、ギャングから足を洗おうと決意します。で、物語の2、3番目のエピソードでジュールスは出てこない。足を洗うことに、成功したのだろうと予測されますね。あっ、足を洗ったということは成長要素がありましたね。一番最後のファミレスの強盗の場面は、プロローグと繋がっているのだけれど、ジュールスはこの騒動でより足を洗う自分に確信したのだろう。で、ジュールスは足を洗うことに成功した。普通の物語であったら、面白おかしく描きながらも時系列ごとに描きつつ、最後にエンターテイメントとして成長要素を描いて、終わる(この映画ならジュールスの物語)。めでたし、めでたしってわけだね。この映画、時系列をバラバラにしているのは、こういうエンターテイメントを嘲笑うためだと思った。第三エピソードで、ヴィンセントは殺され、ヴィンセントとジュールスのボス、マーセルスはおかされる(男性に)。ヴィンセントがいれば、上記のことはおからなかっただろうに。物語というものが人の快楽原則に則って、展開し、そのように終わった時、神である制作者に選ばれなかったものはどうなるかを描いてるわけだ。しかも、それ以外は不幸になると。第2、第3エピソードは、普通の映画なら描かない、作品が終わった後の世界のわけだね。見終わった後「これはどう考えればいい映画なんだ」と思ったけど、こうやって感想書いていたら見えてきた。こう考えると、面白いですね。制作者は会話劇を描きたいのだろうけれど、それだけじゃ深みがないしね。

プロローグは二人の男女が、今いるレストランの強襲を計画している場面。このエピソードは、エピローグに続いている。第一エピソードはヴィンセントとジュールスがボスであるマーセルスを裏切った若者達を締め上げる話。車のトランクから、銃を取る場面があるのだが、トランクの中を映さないで、トランクの中側から、煽りでヴィンセント達が銃を取るところを撮影している。珍しい、映像表現。第2エピソードは、ヴィンセントとマーセルスの妻ミアの話。夫がいない時を、ヴィンセントが見ることのになる。食事が終わってミアの家に帰った後、ヴィンセントはトイレの鏡の前で何度も「酒を一杯飲み終えて、さよならと言って帰る」と言っています。これは絶対なんかあるやつだ、と思いますよね。で、何かあるわけです。しかし、思っていた「夜の出来事」ではないです。ミアが薬で失神しちゃんですね。で、ヴィンセントは焦って、知り合いの売人に会いに行きます(何で普通に病院行かないの? と思いましたが、たぶん違法な薬物なんでしょうね。それでも、病院行った方がいいと思いますが)。映像で気になった場面は、ヴィンセントとミアがお店での会話の時、正面の会話だけでなく、二人を横から取った形の会話の場面があります。正面を見せるより、横顔の撮影だとより二人が対面していることが強調されますね。対立感がありました。第3エピソードは、マーセルスがイカサマでボクシングの試合で負けるように依頼されていたブッチが、イカサマの約束を破り、そして逃走するエピソードです。ブッチは自分にとって大事な時計を恋人が隠れているホテル持ってきていないことに気づき、捨ててきた集合住宅に戻ります。そこには、ヴィンセントが待っていましたが、ブッチはヴィンセントがトイレから出てきたところを銃で撃ってあっさり殺します(ちなみにこの映画では、ヴィンセントがトイレに入っている間に悪いことが起こります)。上述したように、ヴィンセントがあっさり死ぬところが皮肉と書きましたが、何の脈絡もなくあっさり死ぬのはもうひとつ理由があると思います。前エピソードでは、主役として活躍したヴィンセントですが、このエピソードではブッチが主人公です。ヴィンセントはこのエピソードでは、あっさり死ぬ役割を与えられているというわけです。ある物語で主人公でも、他の物語では与えられる役割によってはあっさり死ぬのです。物語のというものやはり皮肉ってますね。物語は、この後ブッチとマーセルスが争いながら入った店がやばいところで、そこの店主に捕まります。主人公なので、ブッチはもちろん脱出します。主人公だからでしょうか、争っていたマーセルスを救ってしまいます。ブッチは逃走し、このエピソードは終わります。ハッピーエンドですね。第四エピソードは、第一エピソード直後の話で、第二エピソードの直前の話でもあります。ジュールスが神の奇跡を感じるのはこのエピソードです。ヴィンセントが、裏切り者を車中でうっかり殺してしまいます。汚れてしまった車を洗うエピソードです。ジミーという、ジュールスの知り合いの家に一旦行くのですが、家に着いた描写が、ジュールス家を映すとかでなく、いきなりもうその家にいて、洗っている手のアップから始まります。ジミーのの妻が帰ってくるまでに、洗車、死体の処理をしなくてはならない。時間制限があって良いですね。ウルフという掃除屋がやってきて、気持ち良いほど手際良く物事を解決してゆきます。これがプロの仕事かと、みていて気持ち良くなりますね。最後死体を運ぶ時、ウルフは特にヴィンセントに「警察に会ったら、大人しくしろ」と言います。「そんなに言っている以上は、なきあると思いきや」何もありません。物語の定石を裏切ってますね。そして、エピローグに入ります。ここでは、きちんとレストランの風景を映してから、ジュールスとヴィンセントか食事している場面になりますね。ジュールスは大切なのは「俺が神を感じたということだ」と言います。このエピソードは、これを言わせたいエピソードなのでしょう。「カンフー映画にあるだろ?冒険の旅に出るのさ」ジュールスは言います。これも、物語を皮肉ってますね。このセリフが、この映画を読み解くヒントだったのかもしれません。最後、エピローグの続きの二人の男女の強盗がレストランを襲うのですが、ジュールスに捕まることになります。自分の金さえ取ろうとした、強盗を許すとことで、ジュールスの変化を示しているのでしょう。そしてジュールスは、いつも人を殺す前に暗唱している聖書の一節を話します。その解釈が自分の中で変わったことを。ジュールスが変化していることを強調していますね。第2、第3エピソードがなかったら、実に物語として感動的に終わっていたでしょうね。

こうやって、この映画の厚みに気づくと楽しめます。あと、会話劇を楽しめる人。そうでないと、それほどアクション場面もないので、あまり楽しめないかも。私も感想書くまで「これはどういう映画かと、考えてはいけない映画か」と思いました。


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