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過剰な幸福はかえって不安を抱くかもと思った話

(マンスリーマンションに引っ越して次の日に書いています)

当日は荷物の引き取りや回収、タクシーでの移動に関する搬入やらで多少バタバタしていましたが、夕方には落ち着き、そして翌日はWiFiの環境も早々に整い落ち着きすぎています笑

前回の投稿で今回の自宅は家電付きという話を書いた気がしますが、早速家電に溺れていまして、電子レンジを手放して以来ぶりに冷凍食品(たこ焼きと焼きおにぎり)とスイーツとかでご飯をすましているという不健康極まりない生活が始まっています

家電は充実していますが、キッチンのスペースが皆無(IHと流しが直結していて調理スペースがないやつ)でして、過去一自炊にとっての逆境を迎えています。

一応フライパンやらまな板は買ったんですが、どう調理していくかは今後検討という形です。

しかし、それにしても今時点で「あまりにも満たされすぎている」という感覚になっておりまして、

いままで家電やら家具をほとんど持たない暮らしをしている私にすれば「ほんとうにすることがないよね」という感情に陥っています

何がいいたいかというと、
もう働く必要ないよな

これから先が「余生」になっているということです
(ちなみに現在20代後半です)

あまりにも満たされすぎているといろんなことを考えるため、変な思考に陥り、(不必要と思いつつ)適度に働いていた方が何も考えなくて済むよなということをいままで数回経験してきました。

しかし、今回はある種一つの夢がもう叶い始めていて、求めるものが何もないという現状で、もっと違うことをしたいなと。

友人と会うたびに「今欲しいものある?」という質問をしたくなるんですが、特に有名な企業に勤めている人ほど欲しいものがない、という答えが返ってくるようになりました。

そして、そういう友人ほど「なんとなく正解を生きている」というように見えてきました。

正解を生きているというのは、有名な企業に勤めて、それなりに成長し、それなりに稼ぎ、適当なタイミングで結婚し、マイホームやらマイカーやら購入し、子供の教育に集中する、みたいなテンプレート的人生を意味します。

これは私が変なだけで、基本的な路線はいまだにこれが王道に思えています。

昔であれば、上記の路線でもなお、足りないものが多かったり、物質主義が強かったと思っているので、むしろバリバリ稼いでたくさんものを買って、ということが強かったんですが、今はむしろ過剰な状態であり、欲しいものがないという状況です。

つまり、「それなり」というグレードがあまりにも満たされていて、幻想的な不安を抱く方が強くなっているのかなと思います。

ものが不足しているというより、散財やハイブランドのマウントとか、Attention Economyのような注目がすべてのような不安感が蔓延しちゃっているため、消費が抑えられなくなるのかなと。

マンスリーマンションに住んでみて、特に家電とかがデフォルトでついてくると、本当に買うものがないし、毎年のバージョンアップも「本当に必要なアップグレードなの?」という疑問も起こります

逆にこれ以上お金を稼いでいても安心感を得られることも特にないですし、買いたいものがないので、むしろ自分がやりたいことをちゃんと向き合いたいなと。

というわけで、ぼちぼち国外で移住することでおセンチになっているかもと思っている現場からの投稿でした!

では、また次回!

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