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【ミニマリズム思考をこじらせるとこうなる?】人生や日常生活にどこまで貨幣空間の侵入を許すか?

最近経済の書籍を読んでまして、そこから考えていることをつらつら書く回です。

コロナが始まってから「ソロ(1人)」に対する世間的な見方も大きく変わってきたと思います。

コロナ以前は「寂しいやつ」という風潮が少なからずあったと思いますし、「一人で何かしているやつ=危険」みたいな偏見もあったかと思います
(私のように「変わり者」と誰からも言われるタイプは一人でいても不思議がられませんでしたが笑)

しかし、コロナ禍では一人好ましい状況や「大人数=危険」みたいな180度転換する状況も起こり、アフターコロナの現在は一人でいる人を見てもなんとも思われない状況になりました。

しかし、人間というのは孤独で生き続けられるようプログラミングされていません。

孤独が平気と思っていても、孤独な生活を続けると精神疾患や病気のリスク向上などが見られていることは学問的に証明されたりしています。

孤独について書いてきましたが、書籍の話に戻りましょう。

そこでは「ソロ充」という人種が存在していることが書かれていました。
(プア充とかもありました。)

このソロ充とは、「友達や家族はいないが、お金がたんまりあるのでお金で孤独を解消している」人種を指します
(引用はしていないので、自分の解釈や偏見が入っていることはご了承ください。)

お金がたんまりあるといっても、大富豪を指すわけでもなく「生活資金以上にゆとりある収入を持っている」程度の人から含まれています。

どういうことを意味しているのかと言えば、
友達や家族はいなくても、
(食事や家事は当たり前に外注して)休日はフットサルなどの単発のコミュニティに参加したり、恋愛はレンタル彼氏(彼女)などを利用し、性事情もそういうお店に行くなど、すべて貨幣(お金)で賄うことで孤独を感じない空間を形成している

みたいなニュアンスが書かれていました。(もちろん男女問いません。)

現代において我々のほとんどに貨幣空間が侵入しているため、自力で賄うことが難しいときは(あるいは効率化を計るために)、貨幣の力を借りれば充足させることができます。

現代でもまだ実現してないのはもはや「気のおけない親友」、「(戸籍上の)家族」と「血縁関係」くらいかもしれないよな〜なんて思っています。

私のようなミニマリズム思考を意識している人やミニマリストなどの究極(成れの果て?笑)は、持ち物全てをレンタルやサービスで補うことかもしれません笑

こう聞くと世も末だよな、なんて思うかもしれませんが、
ひと昔前ではマイカーが当たり前でしたが、最近はシェアリングカーも普通になりました。

つまり、現代の当たり前が将来は「シェアが当たり前」になることなんて全然起こりうるわけで。

ここで書きたい内容は「どこまで自分の領域に貨幣を持ち込むのか?」ということを考えても良いよね、ということです。

私の例で言えば、引っ越してから家具をレンタルに変えました。

スタンディングデスクと洗濯機は私にとっては「貨幣で補うことに抵抗がなかった」ケースです。

友達を単発のコミュニティに参加することで補うことは抵抗があります。

気のおけない友達とご飯行ったり、しゃべることは過去を振り返っても非常に価値ある時間です。

しかし、人によっては「友達も貨幣で補って、常に話し相手を確保したい」という人もいるでしょう。

もっと言えば「全部所有したい!」っていう方は、スタンディングデスクも洗濯機もテレビもファッションも家も所有したいでしょう。

どこまでなら貨幣で補ってもいいか?みたいな思考を一度してみると、じつはミニマリズム思考としてまた一つ柔軟になるかもしれません


では、また次回!



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