見出し画像

寂しくても、それでも。

最近、3回生(次の4回生)が就活をしているのがよく目に入るようになった。
俺も、もぉ次3回生かー。早すぎてやばい。。(汗)
1回生の時は3回生が就活してるのあんまり目に入らんかったけど、2回生なってこんなに目に入るようになったのは、焦りから来ているのだろうか。
心の中では「俺はこのサッカーが就活や!」なんて息巻いてるものの、就活でいう面接も、インターンも、企業説明会にも参加できていないのが現状である。

そんなこんなで、親にも「そろそろサッカーええんちゃう?」とか、「この会社やったら紹介できるで」とか冗談半分で言われる。親は心配してくれてるのかもしれないが、なかなかの屈辱だし、悔しい。そして、こんなに近くにいる親にさえ俺の熱は伝わっていないのかと、なんだか寂しさを感じた。
でも、親の脛をかじってるのも事実だし、何も結果を出せていないのも事実だしな。
まぁ、結果も出てないしそんなもんだよなとも納得した。
結果が出るまでは、誰も見向きもしてくれない孤独な闘いだよな。

自分が本当は何を考えているかんなんか、誰にもわからないし、人が本当に何を考えているかなんてわからない。

そんなことを思っていた矢先、前に、大学サッカーで日本一になったどこかのキャプテンが言っていたことを思い出した。
「日本一になっても、何も変わらないし、ちょっと知り合いがおめでとうと言ってくれるくらいだ。同じ大学の人でさえ、しらない人の方が多い。」
たしかに世の中そんなもんだよな。と思い、少し寂しい気持ちになったのを覚えている。

また、ある元オリンピック選手がこんなことを言っていた。
「不安に思ったら、自分が不安に思っていることを別の立場から見る事をする。たとえば、オリンピックを目指していない人の立場から考えてみると、オリンピックは壮大なことだけど、出れなくても私の人生に関係ないんだよねと思っている。すごい事だけど、すぐ忘れ去ることでもある。選手にとったら寂しい事だけど。」

俺は、俺やから、俺のことがいつも見えてるだけで、人から俺なんて見えてないねんな。

人から見たら大した事ないものでも、自分からしたらとてつもなく大きなものだったりする。それがプラスに働いて幸せなら、それは素晴らしいことだけど、僕の場合、真っ直ぐ物事をみたら嫌なことに映る方が多い。だから、第三者目線に立って客観的に自分のことを考えてみたり、フィクションに目を向けたりする。

深く考えるゾーンに入るとなかなか抜け出せなくなるから、その時にこそ、違う視点を持つのは、幸せに生きる為には、とても大事になってくる。
言い換えれば現実逃避に聞こえるが、そういう事だ。
上手く現実とフィクションを行き来する。
これをネガティブに捉えることもできるが俺はポジティブに捉えたい。
よく考えてみると、この世で起きている事は、すごいけど、別に俺には無関係で、どうでもいいことでできている。
だからこそ、俺は俺に正直に、俺のやる事、やれる事を全うして、幸せでありたい。

#エッセイ #サッカー#不安

草場勇斗 いただいたサポートは、一部をボランティア団体に寄付させていただきます。残りは夢を追うための活動資金として大切に使わせて頂きます。応援よろしくお願いします。