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だから「できない」と「やらない」は違うって

僕の愛も、無尽蔵ではないみたい
まぁ、「愛を振りまいてやるぜ」なんて偉そうに言える立場じゃないけど

愛のコーヒーカップ

愛のコーヒーカップっていう概念を知ってますか?

人は一人一つ カップを持っています
このカップには「愛」という名のコーヒーが注がれます
このカップにコーヒーが注がれることで、私たちは元気になれます
でも、まず自分が愛に満たされないと、人に愛を送ることはできない
だから、まずは自分に愛を注ごう、と

多分、ある意味「人類愛」みたいな概念を自分は持っているとも思います
本当は、愛をみんなに送りたい
そして、その愛は一方通行でなければならないと思っていました
なぜなら、愛は受け取らなきゃいけないものじゃないから

愛を受け取れ!ってなると
「なんで送ってるのに受け取らないんだ!」ってなり
「なんで今いらないものを受け取らなきゃいけないんだ!」ってなり
誰の幸せにならないものだから

受け取らなくてもいいよ
裏切られてもいいよ
そんなことを真剣に考えていたし、信じていました

「やらない」に愛を送ること

でも、そんなこと言うのが疲れてしまいまして

とある人が
「全員に愛を送るなんて難しいよ」
「裏切られることを覚悟しないと」
と言ってたんですけど
本当にその通りだな、と
もう、裏切られてばっか

なんだろ
「できない」はいいんですよ
スキルが追いついてない・余裕がない その他いろいろ理由はあれど
「やりたいけどできない」は別にいい

問題は、「やらない」と意思表示された時
「自分にはあなたの愛を受け取る意思がありません」と言われた時
僕はどうすればいいんでしょう

今までは、ただひたすらに愛を送る元気があったし、その意思が僕にもあった
でも、最近はそうじゃない
僕に少し余裕がなくなってきてるし、傷も増えてきた
その中で「やらない」にまで愛を送ることが難しくなってきた
「やらない」「やりたくない」って人に無理やり振り向いてもらうのも違うよね

多分、元気がある時
自分のカップにコーヒーがある時は、無尽蔵に送ることができる
でも、自分のカップにコーヒーがない時は、それができない

力不足を感じながら
でも、それでいいんだって思いながら
常にコーヒーを持っていられない自分を責めながら
常在させることを目指しながら
やっていくしかないんだろうな

「できない」と「やらない」は違うって

この立場になると、いろいろ見えてくるもんだな

「やらない」って選択してる人
愛を送っている側はこうやって判断してるんですよ
「やらない」は「やらない」でいい
でも、その意思表示をどうするか
「次こそは...」と言うのか
それとも、無視するのか
それによって、受け取り方は大きく変わってくる

だから言ったじゃん
チャンスの神様は平等じゃないって

同じ無の状態でも
「できない」と「やらない」は違う
「やらない」に愛が注がれることはなくなってくる

自分の戒めに、生きていこう


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