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「自分を知る」こと(Fo-LAB 2期 #2)

「やっぱちょっと人と変わってるよね」
「毎日頭の中、ぐーるぐるだ」
ちょっぴりだらだら書きますね

いっぱいの愛を受け取って

正直、note書いただけでこんなに反響をもらえると思ってなかった←
りよなさんからも遙さんからも、こんなにメッセージもらえると思ってなかった
ちゃんと愛を送ってくれている
ただ、それが幸せだなぁ...って
(SOKOAGE感出ますね、これだけで)

「実践していく中で、自分がどんな時に、どんな感情を抱くのか覚えておこう」って言葉
あー、なんか今自分に向けられたなってすごく感じたし、ちゃんと読んでくれたんだなーって感じた
ありがたいことだし、これも場作りの一つだよね...

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(幸せのワンショット)

「ファシをしている自分の状態を逐一把握すること」(By りよなさん)

これが今の自分にとって難しいことっていうか、考えたこともなかった
場を作ることに必死で、場を回すことに必死だったし「できてない」って現実を突きつけられたときの自分のメンタルが崩壊する音が聞こえるから
「表情を読み取れていないっていうのはどんなとき?それはなんで?」
「困惑するってどんな感情?言葉が詰まるのか、うまく説明できなくなるのか...」

この間あったのは、高校生と街歩きをする企画
高校生5~6人に、自分がついて街を紹介しながら仲良くなるってやつ
学校の授業の一環で、すごく暑くて、生徒もそんなに前向きではなかった
関係性作りも目的の一つだったんだけど、全然話が盛り上がらないの、これが
「普段部活何やってるのー?」ってこっちが聞いて、「○○です」って答えて、それで会話が終わる
あー、あんまり興味持ってくれてなかったのかーって今となっては思うけど
その時は「どうしよう」「全然上手くいかない」って焦ってばっかだったな

今、受講しているときのノートを振り返ってるんだけど、書いてあるメモが
「なんのためのチェックインなんだろ」「どんなことを想定?」「休憩をどう設計するか?」って結構コンテンツベースでの疑問が多くて(オタクですね、はい)、あんまり自分の状態のこと書けなかったな
後から自分の状態を言語化することはあるけど、その時その時で言葉にすることあんまりないしなぁとも
ただ一つ、プレゼンするときに「相手に促されると困る...(涙)」とは書いてあった
実はプレゼン準備の時にお腹痛くてトイレ行ってて、帰ってきたらすぐプレゼンだったから全然心の準備できなくて、「お願いしますー」って言われても5秒くらい黙っていて...笑(いや、まじでごめんなさい...)
ちゃんと心の準備しなきゃダメだなぁって改めて感じました...

「実践していく中で、自分がどんな時に、どんな感情を抱くのか覚えておこう」
これもう少し、次回は意識できたらいいなって思ってます

○自分が自信を持っていること/いないこと(By 遥さん)

昨日、車で津和野に行ってきました
津和野の友人に誘われて、高校生との対話をファシリしてきました
テーマは、「恋と愛の違い」
「『好き』と『愛してる』ってどんな使い方をする?」
「『恋』と『愛』の違いを表現する物差しは?」
「『恋』と『愛』は連続体?」

この3つが主に投げた問い

一通り終わって、友人からかけられた言葉がこれ

「なんか、一般的な解を探す対話になっちゃったね」

そう、これが自分にはわからないこと
一つ一つの発言に対して理解することはできる
最低限の安全性を保つような声かけや仕草はできる
でも、こうなんだろ、その対話がどのような性質を持っているか、どんな性格を持っているか、っていう分析がその場でできない
一つ一つの言葉にはついていけるけど、それらを関連づけることができない、ってことなのかな(上手な言葉が見つからない)
「もっと、自己開示挟めばよかったね」って振り返っていました

これが、「自分に引き出しが足りない」って感じている一側面
上手に言葉にできなくて、頭グルグルしてて「なんてnoteに記そう」って悩んでいたけど、とりあえず出来事を記述することにしました←

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(めっちゃ汗かいたけどめっちゃ素敵な場所だった)

プレゼンとファシリの違い

プレゼンとファシリの違いを自分の言葉で言語化すると?

今回の講座のテーマは「プレゼンとファシリの違いを知る」
(やっと本題)(いいテーマだなぁって本当に思う)
Fora的には、プレゼンは「話を聞いて理解してもらう」もので、ファシリは「理解した上で行動してもらう」ためのもの
よくあるPRのためのプレゼンも、「ファシリよりのプレゼン」なんだそう
ファシリテーションといえば、ワークショップだったり会議だったりってイメージが強かった自分にとって、この枠組みは少し意外だった

でも、全く受け入れられなかったってものでもない
大学で授業案を考えているいる時、「これってファシリテーションだよなぁ」って思ったことが何回もあった
どう環境を整備するか、どう引きつけるか、どうプリントと板書を使うか...etc.
その感覚と一致したなぁってすごく感じた

今の自分の正直な感覚を表すと、「自分の中でプレゼンという概念が消滅した」ってこと
だって、結局はプロポーサルも、商品発表会も、TEDも、会議での"プレゼン"も全部ファシリテーションなんだから
「相手に理解してもらう」ってそもそも「相手」に「理解する」って行動を求めている時点でファシリテーションな気がする
それでも違いを求めるなら、それは多分決定的な違いじゃなくて、連続体の上に評価される概念なんじゃないかなってこと
そして、その軸は多分、「どこまで相手のことを考えるか」ってこと
「プレゼン100%、ただ自分の考えを伝えたい!」って一点と、「ファシリ100%、相手がより行動できるようにするぞー!」って一点の間に全ての行動が位置付けられる気がする
(そう考えると、自分のこのnoteはプレゼン100%なのかも)

・プレゼンとファシリはスペクトラム上に存在する
・それは、「どこまで相手に行動を求めるか」で決まる

これが今の自分の答えかなぁ...

プレゼンテーション1

(なんとなくの概観図)

でもやっぱり準備も大切だよね

プレゼンをやっていて感じた違和感は?

さっきも書いたように、正直まともにプレゼンの準備をすることができなかった...涙
やっぱり準備も大切だなぁって痛感しました...

それは話す内容だけじゃなくて、自分の心の準備も
最初、言葉が出なかったのは、「話すぞ!」って心の準備ができていなかったのが影響として大きかったと思う
「え、あ、あ、うん、わかりました」って心の中で呟いてた
最初の5秒は、きっと話す準備をしていたんだと思う
内容の準備だけじゃなくて、心も準備する

あとねー、Good&Moreのフィードバックも難しい
だって、こっちに見えてないこと多すぎるんだもん
今回、ひなのさんにFBしたけど、正直ひなのさんのパワーアップというより、環境のせいで大きな声出せなかったって言ってたし
何が「本人が気付いていないMore」なのかわからない
(あ、これも「引き出しが足りない」につながっているな)

一つ、やっているのは「I メッセージで話す」ってこと
客観的な正解じゃなくて、「私は○○だと思った」ってあくまで自分の主観であると伝えること
他にないかいい方法ないかなー

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(こんな写真撮ってたっけ?)

終わりに

今思ったんだけど、講座の内容よりも、自分の状態、あり方に注視した振り返りになってるな
講座終わった後の振り返りもそうだった
みんなが「プレゼンとファシリの違い」についてちゃんと書いてるのに、僕だけ「もっと、自分がどう感じているのか、を記述しておきたいなと思いました」って書いてある、意味がわからん(いや、わかるんだけど)
ちゃんと講座の内容も受け取ってる、理解はできてるけど、それ以上に周りの人のあり方に影響を受けてるのかなぁって

久々に自分の感覚、自分の感情を大事にした一週間でした
だから、「わからない〜〜」も多くて、頭の中ぐ〜るぐるって感覚
同時に、就活の話もあり、「むり〜〜」って泣きながらnoteを書いています...

でも、久々に自分の感情をちゃんと聞こうって思ったのはこれのおかげだし
まぁ、なんとかなるかなあとも思ってます

・こうやってゆっくり文章書く時間も大事だね
・ってか、就活の相談乗ってもらいたい
・ちゃんと講座の内容も復習しようね
・もっと一回一回の実践に意味を持って取り組まなきゃね
「今回意識したのは何?」「今回チャレンジしたのはどこ?」「絶対守ることは何?」ってもっと考えてから場に臨む
これは継続したいこと

では、また来週!


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