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よのなかよもやま寄稿 03:南半球に暮らす人は楽園に北国をイメージするのか?
私は常に楽しく楽して暮らしたいと思っている。
働きたくない。動きたくない。ずっと寝ていたい。部屋の掃除なんてしたくないし、洗濯物を畳みたくない。
ああ、何にもしないで暮らせたらどんなに良いだろうか。
怠け者と謗らないでほしい。きっとあなたも同じはずだ。
面倒な上司に嫌味を言われながら望んでいない仕事という作業に追われたくないはずだし、本当なら不快な目覚まし時計の音に苛立ちながら起床することなく、自分の眠気が完全になくなるまで柔らかい布団にくるまっていたいはずだ。
「自分はそうではない」? 得意げにあなたはそういうかもしれない。
しかし辛く苦しい物事に苛まれることを美徳とするのは構わないが、そこに心からの幸福を感じられる人はいないだろう。美徳とはパフォーマンスの一種に私は思う。
もしあなたが真に辛さ苦しさへ幸福とありがたさを感じているというのならきっとあなたはジム通いのトレーニーに違いない。トレーニーは体が今まさに鍛えられていると実感できるきついトレーニングが大好きな連中ばかりだから。
かくいう私もトレーニーの端くれだ。体を痛めつけた後日、筋肉痛で階段が降りづらかったりするとちょっと良い気分になったりする変態である。
トレーニーでないというのなら……うん、そうならば私の見識の狭さゆえの勘違いということで謝罪させていただきたい。
私は、とにかく楽しく幸福に行きたい。
いやなことから逃げたい、離れたい。
だから折を見て「遠くへ行きたい」と考えてしまうのだ。
遠くへ、すなわちそれは旅への欲求。
そうして私はまた旅に出るのだ。
まだ見ぬ場所へ。もう一度あの場所へ。
星間飛行をするボイジャー号よろしく、私は生活圏を飛び出すのである。
そして実は、私は心の奥底にある旅の真の目的に気が付いていたりする。
見知らぬ物事をこの目で見たいとか、ご当地の料理を口にしたいとかそういう理由ももちろんあるけれど。
きっと私は、探しているのだ。
どこかにあると信じ、いつかは見つけられると願う『楽園』を、心のどこかで探し続けているのである。
楽園は南方にあり。なぜなら私は北に住んでいるから
楽園とはどこのことを言うのだろう?
何をもって楽園とするかは人によるはずだ。
雄大な山の世界を楽園に思う人もいれば、蒼き海の世界を楽園に思う人もいるだろう。
自分しかいない部屋の中……これもまた、楽園かもしれない。
部屋の中では誰もが自由だ、自分こそがルールの世界である。
宗教的に言えば、アダムとイブが追放された場所が楽園と考える人もいるだろうし、違うかもしれないが極楽浄土もある種の楽園かもしれない。
と、このように楽園と一口に言っても様々なのだが……しかし今回は、特に旅先のイメージで考えてみたい。
私個人の考えを言わせてもらう。
楽園、それはすなわち『南国』ではないだろうか?
温暖な気候に美しい海と砂浜、トロピカルな植物にフルーツ。陽気で独特の音楽。あの南国特有の鮮やかさはとても魅力的だ。
半袖にハーフパンツな服装にサンダルを履いたいで立ちで、涼しい日陰なんかに腰を下ろしてフルーツジュースを飲みつつ海を眺める。
コッテコテの南国っぽさといえばこんな風だろう。
事実、沖縄やハワイは日本人にとってポピュラーな観光地である。
寒くないのが楽園の条件?
やはり寒さがないのが良いのだろうか。
寒さは辛い。
体がガタガタ震えてくるから、厚着をしたり一刻も早く暖房の効いた暖かな部屋に逃げ込みたくなる。
生き物たちも寒さは辛そうだ。
植物は葉を落として冬の寒さに耐え、動物は体を寄せ合って寒さに耐える。
そうでなければ寒さの弱い地域に大移動をして冬の間をやり過ごしたりする。
そのような対策を取れない寒さに弱い者たちは、寒さにやられて命を落としていく。
熱帯原産の動物や植物はたいてい冬の寒さを耐えられない。
そもそも人間は元々アフリカ生まれだ。
しかも現代人は体毛がほとんどないから、裸では正直寒さには強くない。
人が寒さに耐えられるのは服を着ているからで、服を着ていてもやはり暖かい場所を好むのだから、本質的に人は寒さが苦手なのだ。
だから、人は暖かい土地を好むのかもしれない。
しかも暖かい土地は景色がきれいだ。
時には枯葉と枝だらけの荒涼とした風景しか無くなる北国と違って、南国はいつでも賑やかで極彩色な世界だ。
華やかで、見ていて楽しくなる。
加えて年中暖かいがゆえに作物の実る期間も長い。ともすれば年中だ。
そんな場所だから、私は南国へ行くと心が開放的になりストレスも感じにくくなる。
日陰に吹くそよ風のように、私の心は穏やかになっていくのだ。
だからこそ、私は癒しを求めて南国に赴く。
思い描く『楽園』を求めて飛行機に乗り込むのである。
だが、私はふと思った。
私が南に楽園をイメージするのと反対に、南に住む人は北に楽園をイメージするのだろうか?
きっと常識、されど常識
ふむ、しかしそれは当たり前のことだろう。
私がイメージする南の楽園とはさっき書いた通り、蒼い海があって白い砂浜があって、ヤシの木やトロピカルフルーツがあってというもので……つまり熱帯に近い気候の地域のイメージだ。
熱帯の地域は赤道の近くにある。
北半球に住む私には、それらの地域は方角として南にあるのだ。
だからこそ、『楽園 = 南』というイメージになっているのだろう。
対して南半球に住む人は、南北に対するイメージが私とは真逆になっているはずだ。
例えば1日の中で太陽が最も天高く昇る方角は北半球では南だが、南半球では北である。
ちなみに1日で太陽が空に一番高くことを日本では南中と言ったりするが、これは日本独自の表現なのだそうだ。
ちなみに南半球バージョンである北中もしっかり言葉としてあるらしい。
話を戻せば、北の南のイメージは南半球では逆転しているはずだ。
だからもしかしたら、『楽園』についてこんな風な話をすることになる。
「ああ、北は暖かくていいところだよなぁ。休みができたら北の島に行ってのんびりしたいなぁ」
別に間違ったことは言っていない。
でもなんだか変に感じるのは、私が北半球住まいだからだろう。
長ったらしく書いてみたが、実際のところ「何を当たり前のことを言っているんだ」と即座に言われてしまうような疑問である。
しかし実際に、私のこの大したことのない疑問、そしてそれについての推測が合っているのか確かめてみたいものだ。
私は南半球に友人が今のところいないから、この疑問について今は答えを知ることができないが、いずれは機会があれば答え合わせをしてみたい。
「ああ、やっぱりか。だろうなとは思ったよ」
きっと、相手の答えに私はそう思って、当たり前のことに疑問を持った自分にちょっとだけ呆れてしまうかもしれない。
でも、呆れられるならそれもいいか。
普段なら見向きもされない常識に、私が少しでも目を向けてあげられたということなのだから。
ちなみに話は違うが、『敗北』という言葉には北の文字が使われている。
敵に負けたら寒い北の地域へと逃げるしかないから、北の字が使われているのかと思っていたがそうではないらしい。
曰く、北という漢字は『二人が背(ここにも北が!)を向けあっているさま』を表しているらしく、意味としても『相手に背を向ける』なのだそうだ。
実際、『北むく』で『そむく』と読む。
そしてそのような意味が転じて、『にげる』になったわけである。
だから敗北したとしても別に、北に行く必要はないのだ。
勝利したときも安心して北へ行こう。敗北しても安心して南に行こう。
まあでも、やっぱり負けたくはないけれど。
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