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またあなたの孫にしてくれますか?

最近、晴れた日には、4歳の次男と一緒に手を繋いで登園しています。

往復でおおよそ30分くらいの道のり。

まだ日本語になりきれていない次男の言葉には、はてなが浮かぶことがよくあるけれど、彼とゆっくり会話できるひとときは、僕にとってたまらなく愛おしく大好きな時間です。

数日前も、次男と一緒にテクテク歩いていたら、こんな話題が次男の口から飛び出しました。


次男:「パパ。あのね、ママから聞いたんだけど、みんないつか必ず死んじゃうんだって」


なぜ妻がそんな話をしたのかはわからないけれど、きっと次男にとっては「死」というものが印象的だったのでしょう。すごく悲しそうな顔をしていました。

そこで「その話を聞いて、どんな気持ちになったの?」と聞いてみると。


次男:「すごく悲しい。だから、僕は生まれ変わったらまたすぐにこの家族になりたいな〜。パパはパパで、ママはママで、お兄ちゃんはお兄ちゃんがいいし、僕は僕がいい。」


次男の純粋な愛の言葉が嬉しすぎて、思わず涙ぐみそうになっちゃた。道端だったけれど、ギュッと抱きしめて「パパも、また君のパパがいいな」と伝え、そのまま彼をおんぶをして歩き続けました。

背中に感じる、柔らかくて優しい次男の身体が愛おしくてたまらなかった。


そうして、しばらくそうして歩いているうちに、15年ほど前に亡くなったおじいちゃんのことを思い出しました。

おじいちゃんは、僕が今だに人間の中で一番尊敬している大好きで、すごい人。

そんな大好きなおじいちゃんとは、ある日突然、交通事故がきっかけで二度と会えなくなってしまいました。

あのときは、本当に辛かったな。「ありがとう」を伝えることすらできなかったことが悔しくて、数日間泣き続けたことを覚えています。

人間って、自分の死期がわかるものなのでしょうか。

病気で亡くなったならまだしも、僕のおじいちゃんは交通事故で亡くなったから、自分の死期なんてわかるはずがないんですが、亡くなる少し前から、まるで遺言のように

「じいちゃんが死んだら、葬式でギターを弾いてほしい」

と、お願いされていました。

本当は、そんなお願いを叶える日なんて来ないで欲しかったんだけれど。僕は、おじいちゃんの遺言を守り、お葬式の当日はギターを弾きました。

涙でボロボロになりながら、声を震わせ弾いたギターは、間違いなく過去一下手くそで酷い演奏だったと思う。

そのとき、自然と僕の口からは、こんな言葉が漏れたことを覚えています。


「生まれ変わったら、またあなたの孫にしてくれますか?」


そのときの僕は、きっと次男が「またこの家族がいいな」と言ってくれたのと同じような気持ちだったと思うんですよね。

もし、「生まれ変わり」というものが本当にあるんだとしたら?

きっと僕は、前の人生でも同じようなことを思って、この家族と一緒になりたいと強く願い、今の人生をやっているんじゃないかな。いや、きっとそうだと信じたい。

「袖ふれあうも他生の縁」

毎日、今ある「家族との時間」を大切に生きていきたいものですよね。


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