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なぜ運動会は弁当なのか?

学校で行われる運動会であるのに弁当を持参するのはなぜであろうか。

実は歴史的な背景がある。

そもそも運動会の始まりは明治初期の話である。
当時の文部大臣森有礼は児童生徒の集団訓練と体位向上のために運動会の開催を奨励した。

しかし当時の日本の学校は就学率が低く運動場等の施設もないため運動会を開ける状態になかった。

そこで地域のいくつかの学校が集まって連合運動会を開催してることになる。
場所は寺社の境内瓦屋雑草地などの地域の所有地が選ばれた。

そのため、檀家や氏子の協力が必要となり彼らの参加できる種目が取り入れられた。
それがパン食い競争や豚追い競争といった種目である。

連合運動会の会場は遠く離れた距離になる場合が多く演奏足の要素が加わったため母親は弁当を作るようになった。
これが現在の運動会で弁当を持参する起源である。

また寺社の境内を使うのならば夏祭りや秋祭りの一環として開催するべしという声があがり盆踊りや豊年万作踊りを踊るようになった。

そのため祭りにふさわしい豪華な弁当が助けられるようになった。

ちなみに騎馬戦や棒倒しなどの種目の由来は自由民権運動である。
明治政府の弾圧によって自由に活動ができなくなった自由民権運動の獣たちたちは壮士運動会と称する運動会を開催した。
この時に棒倒し屋騎馬戦を行い自らの主張を展開した。

さらに仮装をして芝居などを行う中でも自分たちの主張を訴えたこれが仮装行列のルーツと言われている。

スポーツは本来遊びである。

しかし、最近のスポーツは目的志向が強くスポーツそのものを楽しむという感覚があまり持たれずにいる。
特に学生スポーツではその傾向が強い。

明治時代の人々はその当時武道などの技術よりも精神を重んじる傾向があったが、一方でスポーツを楽しむ、スポーツは遊びであるという感覚を持っていた。

近年の運動会では昼食を教室で食べたり危険というわけで棒倒しや騎馬戦を行わない傾向がある。
その結果陸上競技大会のような物になりスポーツは遊びであると言う明治の人々が発揮した遊びの創造力を否定しているといえる。

運動会は多くがクラス対抗や縦割りでの組対抗になっている。

競い合うことによって得られる楽しみもあるが、スポーツそのものを楽しむと言う感覚よりも、勝利のためにといった、スポーツが手段に成り下がってしまうような気がする。

これでは森有礼が推奨した運動会と同じになってしまう。

目的は違えど結果として歴史は繰り返されてしまっているのではないかと思う。

今回はここまで。

参考図書
スポーツとは何か 玉木正之
1999年発行されたものだが、2018年にも新たに発行されているだけあり今読んでもとても面白い。運動会からオリンピックまでスポーツ文化を根本から問い直すというコンセプトの本なので是非読んでみてください!

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