性犯罪は男の敵でもある

 1988年生まれの私は、85年に発売されたおニャン子クラブの曲「セーラー服を脱がさないで」の歌詞をつい最近、初めて知ってびっくり仰天した。ここでは割愛するが、興味のある読者諸兄はぜひ調べてみてほしい。作詞したのは発売当時27歳だった秋元康氏。氏の功績は誰もが知るところだが、いまこんな歌詞の歌を世に出そうもんなら、己の信奉する”正義感”を振りかざし、品行方正こそ素晴らしく、若者がセックスに耽るのは堕落だと見做すような人たちに激烈な袋叩きに遭うことは間違いない。

 あの歌が受け容れられ、流行歌となった時代。私はただの復古主義者ではないが、大らかな時代だなあ、いいなあ、と感じてしまう。そりゃ、女の子だってエッチがしたいし、好きな人とは親密になりたいでしょうよ。にゃんにゃんしたいでしょうよ。親に無断で外泊したいでしょうよ。

 高校生だって性と愛を謳歌すべきだ。だがそれには性感染症や避妊にまつわる知識が土台になくてはならないし、男と女・あるいは同性同士でももちろんOKだが、相互理解が欠かせない。それを欠いた性愛は必ず、どっちかが傷つく。往々にして、女が傷つく場合が圧倒的に多いんだが。性教育の重要性はそこにある。教壇、頼むて。生徒相手にわいせつなことやってる場合じゃないて。

 ここでタイトルに戻る。性犯罪は相互理解や相手への思いやりを欠いた人間によって引き起こされる。「性犯罪」=「女性が被害者」と無意識に思っていないか。テレビ局で働いている時、私も無意識にそう思っていた。思い込んでいた。でも現実はちょっと違う。いや、違うと云うか、「女性が被害者」は一面的でしかない。例えば教諭が加害者の場合、被害者は男子生徒のこともある。同性愛も含むし、教諭が女性である場合もある。男性諸君も被害者たり得るのだ。それを忘れないでほしい。




 ・・・これで締めては2流記事だ。話はここで終わらない。私は声を大にして云いたいのは、男女の断絶に起因する社会の衰退だ。何を云いたいのかって?つまりこーゆーことだ。性犯罪がたくさん起こったり、報道される→大抵の加害者は男なので、被害者の女性たちは心と体にひどい傷を負う→報道に接した女性たちは男どもに怒り、幻滅し、嫌悪する→男女間の断絶が深まる→「男イラネ」な女性が増える→健康的で幸せな恋愛をできる人たちの絶対数が減る→子どもが生まれにくくなり、社会が小さくなるのが加速する・・・
 どうだろうか。一部の身勝手な性犯罪者のおかげで、こうした事態を招きかねないわけだ。とすれば、性犯罪は女性だけでなく、男から見ても憎むべき犯罪であることがわかる。そりゃそーだ。男嫌いな女が増えた社会は、多くの男性にとって生きていて楽しいか否か?答えは明白だろう。
 ちなみに、性犯罪を含む刑法犯は昭和の一時よりも遙かに減っているので、「最近治安が悪化した」という論調には、それが「犯罪件数が昔より増えている」という意味であるならば、私は与しないので了承して欲しい。

 時代は令和になった。いまだにレイプだの、盗撮だの、痴漢だのって。バカげてやがる。進歩しようぜ、男どもよう。

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