一息ついてまたはじめ #33

今年のGWはめちゃくちゃ飲兵衛な生活。

友人や同僚のに誘われて、近所の飲み屋街を散策し、
同僚の友人が経営するベトナム料理にも舌鼓でき、

疲れて火照っていた身体も心も存分に癒されました。

やはり、一日7時間仕事って、
良いパフォーマンスを維持するのは難しいと感じます。このままの働き方で人生を過ごしていくのか、と考えこむ日々。

さて、どうしたものか、今日はそんなことを考えてみます。

逆境はたまに起きる

以前の記事でも書いた通り、
今、引きずっているのは、大きな失敗によるもの。

今までたくさんの失敗をしてきましたが、
失敗に対する分析が微量のまま、時間が先に解決してくれたケースが圧倒的に多いです。

まぁ、忘れる、風化させるというのも1つの解決策ではありますが、

それに浸っていては、また同じような失敗を起こしかねません。
それは愚か者、要するに馬鹿ですから、絶対にミスはできません。

今回の件を通して、逃げない自分、度正面から向き合う自分と時間をそれ相当にとれ、と神様に告げられているような気がします。

常に目的思考と、軸をつくる

仕事が作業になると、目的を見失って仕事をしてしまいます。

授業も、面談も、すべてにおいて何のためにという思考に立ち返ることは極めて重要。

逆に目的が説明できなければ、それは精査してよい業務、やめても差し支えない業務なのかもしれません。

今回の面談は「新年度における生徒の状況把握。」
これ、よくよく考えると、本当に必要なのかと思ってしまいます。

4月からGWにかけては、新年度で何かと動きが多く、生活に慣れるのも一苦労。そもそも、交友関係や部活なんかも探っている最中であり、本人も把握ができないかもしれない。

こんな時に面談なんて果たして必要なのか。

納得できないと理解が追い付かない

おそらくこれが自分の性分なのでしょう。

納得できないことに理解が追い付いていかない。
その結果、疑心暗鬼しながら行動に移してしまい、結果が定まらなくなる。

この理解というのも、予定調和の中で見出されているだけだと、
対応力が損なわれる。

対応力とは、人の考えや自分が想定していることとは別の事象が起きた時に、冷静に分析ながら行動できる力とします。

でも、納得はできなくとも、
組織で決まったことは、自分の意図がすべて通るわけでもない。

そうなれば、組織の意向にしたがって、
自分の手で目的を構築するしかなくなるのである。

今回は、その目的が自分の中で府落ちできていなかったことが最大の原因だろう。

常に物事を考え、目的に立ち返り、物事の本質とはなにかを見極められる人間でありたい。

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