見出し画像

気がつけばいつのまにか #22

つい1か月半くらい前まであった近所の家が急遽取り壊されることになった。

瓦屋根の年季のはいった木造建築で、これ以上ここに住むことを住民が断念したのだろうか。毎朝の通勤の途中、朝早くから大型のショベルカーやダンプカーがせっせと家を取り壊していくのを横目に、一日のことを考えていた。

そのあと、土地を購入してすぐに新しい家が建つことになり、気が付けば完成目前までの仕上がりに。今日はそんな住宅が出来上がる様子を書いてみようと思います。

創造はすべて人から

あらゆる人工物の発端は、人間の手によってつくられている。
当然と言えば当然ですが、果たして日常でどれくらいその思いを馳せながら、理解できているかと言われたら、都度考えてしまいます。

田内学さんの「お金の向こうにあるものは」にもあるように、お金を払うこととは、自分ではできないことをお金の向こうにいる相手が代わりになって問題解決をしてくれることだ、とお金の本質を語っています。

自分で生きていくということは、
挑戦することをあきらめず、絶えず自分を磨いてくことで結果として、相手や社会に貢献することだ。

そして、同時に相手の力を上手に借りながら、相手と対話や協働しつつ共存していくことも大切です。

創造とは果てしない化学反応の連鎖によって生まれるものである。

そこにいる人たちはどんな意志で?

建築に携わる業者のおっちゃんたちは、朝早くからせっせと木材や機材を運んでいた。
中には、狭い道路なので交通車両の安全を確認する人もいた。

家を建てるためは、そこに携わる人たちがみなチームなのである。
お客様のために家を建てるという共通の目標を達成するために編成されたスペシャルな集団だ。

朝早くから仕事をしているわけですが、その顔ぶれは真剣そのもの。ミスが許されない仕事でもあるから、必死な気持ちが伝わってくる。

でも、全員が全員真剣なのかと言われたら、それは当人のみぞ知る問題ではあるが。

出来上がる日々を待ちわびて

ここからは想像の話になりますが、
新居に住む住人は、我が家が建築される様子を見に来たことはあるのだろうか。

幼いころ、近所に新しい家が建つ際に、棟上げに参加したことがある。
お菓子やお餅がたくさん投げられて、こっちにもっと投げて!と必死こいてないものねだりしたもので、とっても興奮した時間でした。

都会の家はそうした儀式などはほとんどしないのでしょう。
でも、大金をはたいて自分の命の次と言っていいほど過言ではない家を愛することは見捨てられない。

今は家を買う予定などこれっぽちもないが、
いつかマイホームを買うことになったら、それはそれは盛大にお祝いをして愛してあげたいものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?